間宮林蔵・探検家一代(高橋大輔著)

2009-03-04 00:00:03 | 書評
mamiya間宮林蔵は、日本が生んだ最初の偉大な探検家である。そして、本著の作者である高橋大輔も探検家である。ロビンソン・クルーソーの家を探しに行ったりしている。世界には、大航海時代という地図のない時代があり、冒険家の最大の仕事は地図を作り、見聞録を出版することだった。その時代のほぼ最後に世界地図の白地が埋められたのは、サハリンである。現代の探検家にとってその存在理由が微妙なのは、探検家の夢を追って、当時の気持ちを分析して、そして出版する、という二番煎じ感がぬぐえないことである。

本著は、現代人高橋が間宮林蔵の二回の北方探検を、自らなぞることにより、謎の多い間宮林蔵の探検を現代人の前に明らかにしようという狙いなのである。

詳しくは本を読んでもらうしかないが、まず間宮の出自。農民である。茨城と栃木の県境のあたり。1770年頃生まれる。そこで彼は青年になるまでに治水事業などを勉強。秀才ぶりを幕府の官吏に見出され、江戸に出ることになる。その後、北海道方面で各種調査にあたっていた林蔵に大仕事が舞い込む。1808年、第一次樺太調査である。当時、ロシアの南方進出計画が明らかになっていて、北方方面の国防上の調査が必要とされていた。なにしろ樺太が島なのか、大陸からつながった半島なのか、はっきりしていなかった。

ところが、高橋氏が調べると、本来、この調査は最上徳内と高橋次太夫いう大物ベテラン調査員の派遣が決まっていたそうだ。しかし、度重なるロシアからの開国要求などもあり、幕府の大物官僚である二人を派遣したときにトラブルが発生することを恐れ、小者を派遣することにしたそうだ。何しろ林蔵は農民の出だ。

選ばれたのは、林蔵と松田伝十郎の二人。出発にあたって、林蔵は地図作りの大家である伊能忠敬に教えを乞うたりしている。宗谷から樺太に渡ると、二人は東西にわかれることにした。林蔵は東海岸を進み、伝十郎が西海岸。そして、ほとんどの資材を現地調達しながら、敵か味方かわからない現地の集落に行っては、人員調達しながら前に進んでいく。思えば、ことばも通じないし、日本人を敵と思うもあったようで、苦心惨憺である。



そして東海岸にそって北上して行き、ついに北シレトコ岬をもって立ち往生。あえなく引き返すことになる。そして、事前の取り決めにより、途中で撤退したものは、半島を横断して反対側(西側)海岸に向かう。当然ながら、西海岸を北へ向かった松田の方が先に行っていて、林蔵は猛烈な速度で追いかける。現代のようにメールや携帯がない時代に、そういう行動は非常に不安だろう。例えば、松田も行き詰まり、逆に東海岸を目指していたりしたらすれ違ってしまう。

しかし、運よく、彼は松田に出会うのだが、松田は、間宮海峡の近くまで行ったものの、現地人の話として、海峡で樺太が大陸と隔てられていると認定して、撤退を開始する。年上の松田が、「もう帰るよ」といえば、自分が残ることもできない。こうして、全く不完全燃焼だった林蔵の1回目の樺太探検が終わる。

そして、2回目。日本に帰るやいなや、前回まったくうまくいかなかった探検を、再び幕府にスポンサーを依頼する。リベンジ。その結果、今度こそ、一人で樺太探検が叶うことになった。そして再び、樺太に入る。

この時、幕府が林蔵に与えた課題は、「東海岸の状況をさぐれ」であった。前回、北シレトコ岬で撤退した場所より先を調べるようにという幕府のお達しである。

しかし、樺太についた林蔵は、東海岸には目もくれず西海岸を突き進むことになる。なぜか?

高橋氏は、この謎が解けないまま、まずサハリンに向かう。200年前とはまったく異なる事情で、高橋氏の探検は困難をきたす。ロシアだからだ。ルーブルは手に入らない。通訳は高いので自動翻訳機に頼るが、これが珍訳多発する。ようするに「サハリン自由旅行は大変だ」ということがわかる。行動に制限もつく。


林蔵は。西海岸を北上し、前回、松田伝十郎が自ら行かずに地元民の話をもって樺太が島であると結論付けた間宮海峡に到達する。そして、さらに北上して樺太最北部まで行ってから東海岸に回ろうとしていたようだ。つまり、密かに全島制覇を狙っていた。これが彼の考えていた東海岸調査だったのだ。

ところが、・・

地元民からの協力が得られないことになる。危険すぎるということと、もう一つは樺太の民族のこと。当時、樺太には南北に3つの民族がいて、南部のアイヌは日本のアイヌと交流していたが、中部、北部と別の民族がいた。この中部の民族と林蔵は親しく付き合うようになるのだが、北部はまた別。こうして、林蔵は、当初の目的である東海岸に行くことができないことを悟る。

挫折感に打ちのめされた林蔵はどうしたか。このまま、おめおめと日本には帰れない。そこで高飛び、ではないが大陸調査に向かうことになる。向かう先は幻の商都「デレン」。清朝の管理する交易市場があったそうだ。アムール川沿いである。しかし、当時はまだ鎖国である。勝手に外国に行くのは国法違反である。「ままよ」ということだろう。探検家の常だ。(昭和時代にはビザなしで太平洋横断したヨット野郎もいた)

しかし大河アムールを下流から上流に向かって船を漕ぐのは大変である。高橋氏は、この幻の「デレン」を探しに、ロシア人酒飲み科学者とアムール川の旅に出るが、ポンコツエンジン船の故障と密売ガソリンの入手に奔走することになる。今も昔も探検は大変だ。

本書は、その後、シーボルト事件での間宮林蔵の役割を再検証するのだが、その過程で、シーボルトが国外持ち出した地図をオランダで発見する。よくみると地図には、最上徳内が所蔵していた証拠があるそうだ。とすると、シーボルト事件には無関係とされている最上も、事件に関与していたのかもしれない、と想像できる。主犯の高橋景保が一人で罪を被ったわけだ。

また、高橋氏は、最後には、間宮林蔵の北海道でのアイヌ人現地妻まで発見し、末裔のかたにたどり着く。間見谷姓を名乗っていて、地元では結構知られているようだ。こどもの頃のニックネームが「林蔵」だったそうだ。余計なお世話のような気もする。

ところで、本書は、高橋大輔氏の体を張った力作なのだが、どうしても過去の冒険家の航跡を追い、新たな事実を発見するというスタイルは、冒険家として燃え切れないのではないだろうか。現代人にとってオリジナリティを探すのは難題である。ある意味、アイデンティティの確立よりも困難なのかもしれない。