本当は聞こえていたベートーヴェンの耳

2009-03-05 00:00:32 | 書評
bethovenこの本は、「科学」なのか「とんでも本」なのか。

実際、私は、音楽家でもなければ、音楽評論家でもなければ、耳鼻科医でもなければ、聴覚の問題も抱えていないので、なんとも判断つかない。

著者の江時久氏は、自らの難聴の原因である米粒ほどの大きさの「あぶみ骨」の固着がベートーヴェンの聴覚障害の原因ではないかという仮定を、彼の残した様々な行跡と照らし合わせていくという方法で、根拠付けていく。一応、小説仕立てにしているが、それがスタイルとして成功しているかどうかはよくわからない。

では、彼の耳が聞こえていたとすると、交響曲第九番の発表演奏会で、指揮者の彼は、背中越しの観客席からの大拍手に(当時は演奏中に拍手してOKだった)まったく気付かなかった、という実話は、どう説明すればいいのか、ということになるが、

「近くのピアノの音だけが聞こえていた」ということだそうだ。

つまり、骨振動としての音は、大脳に伝わるのだが、声や離れた場所の物音は、耳が音を大脳に伝えない。かなり若いとき(ボン時代の少年の頃)から難聴を抱えていて、当時は周りの話がよく聞こえなくても、処世術として、適当に受け答えしていたようだ。といっても、聞こえない部分を想像力で補完して会話するため、よく、的外れのことをしゃべっていて、「奇人変人扱い」されていたそうだ。

そして、音楽家として頑張っていた彼は、そのあたりの事情を周囲に明かすことなく、ウィーンへ旅立つ。そして、交響曲とピアノの二本柱で作曲家として成功していく。

その一方で、彼の難聴はますますひどくなっていき、ついに遺書まで書いてしまう。

が、自分の弾くピアノの音だけは聞こえるのである。骨振動だからだ(彼のピアノソナタは元気な曲が多い)。そのうち、彼は自分の病状に関して大きな勘違いを始める。

神様は、ピアノの音だけを私に残した。→神に選ばれた作曲家である。

こうして楽聖ベートーヴェンが生まれる。

だから、当時、補聴器とかあったら「運命」も生まれなかったかもしれないし、ベートーベンを超えようとして超えられなかったブルックナーが、陰鬱な交響曲第五番「命運」とか書いたかもしれない。

伝えられるベートーベンの奇行の一つとして、女性を口説くときに、相手の話を聞かずに自分だけ喋り続け、「自分勝手で、つまらない男ですね」と別れ際に冷たい言葉を浴びる、という繰り返しパターンがあったそうだが、もともと相手の話が聞こえないから、それしか対応策を思いつかなかったのではないかとのことである。

もっとも約40年後に現れた、ピアノの名人リストや、ショパンは、超絶技巧練習曲とかノクターンとか女性好みの曲を毎日のように量産し、「この曲は、君のために1年かけて作ったから」とかうそぶきながら、ピアノサロン(現代のカラオケバー)からベッドに直行したそうだ。聴力の問題以前に、頭の固い純正ドイツ人と、優柔無碍を得意技にしている中欧民族の差なのだろう。