美食国家の本領発揮

2008-07-11 00:00:33 | 市民A
サミットは終わり、成功か失敗か、各紙によって評価がわかれるようだ。ということは、大成功でも大失敗でもないのだろう。その中で、このサミットのハイライトである7月7日の晩餐会が小さな話題になっている。

美食が並ぶサミット・ディナー、利尻ウニやオホーツク毛ガニも
7月8日8時5分配信 ロイター

[北海道洞爺湖 7日 ロイター]首脳間の白熱した議論とともに毎年のサミットで注目されるのが、ホスト国の知恵を絞った首脳夕食会の美食メニューだ。「総理夫妻主催 社交ディナー」と銘打った7日夜の晩餐会には、各国首脳が夫人とともに招かれ、利尻島のウニ、オホーツク海の毛ガニ、白糠(しらぬか)の子羊肉など北海道が誇る高級食材を使った豪華料理に舌鼓を打った。

日本政府のサミット事務局によると、このディナーは「北海道のすばらしい食材を中心に和洋折衷の料理で首脳夫妻をもてなす」のが目的。前菜には、キャビアやウニ、スモークサーモンなどが盛り込まれ、日本人が初めて設立したワイナリーで造られたシャンパンが供された。

七夕飾りの付いた皿に盛られた美瑛産のアスパラや和牛の冷しゃぶ。毛ガニのスープや網走沖で獲れたキンキの塩焼き。メーン料理は黒トリュフ風味で調理された子羊のロースト。

ワインは、ブルゴーニュ産の白、カリフォルニア産の赤、デザートワインとしてハンガリー産のトカイワインが準備され、静岡県の清酒「磯自慢」も日本産の代表として各国首脳に振舞われた。

この日、アフリカ諸国との拡大会合で深刻な貧困や食糧対策を議論したG8各首脳。しかし、ディナーでは、夫人とともにサミットならではの美食メニューを堪能し、会場となった「ザ・ウインザーホテル・洞爺」2階の和食レストランは華やかな雰囲気に包まれた。最終更新:7月8日8時5分


どうも、英国系のジャーナリズムは、一斉に「美食批判」をしているらしい。「食料危機がテーマなのに、この豪華なディナーは何だ!」ということだ。

「食文化が欠落している国が何を言うか!日本はミシュラン三ツ星大国だ!」

と言いたいところを我慢して、冷静に考えてみる。

まず、本当にすごく豪華か?というと、そうでもないのではないだろうか。

前菜:キャビアとウニとスモークサーモンの盛り合わせ
 キャビアもウニも高級食材だが、何しろ前菜である。ちょびっとだろう。ウニも本場北海道ではそんない高くないだろう。まさか、ウニが生のまま出たわけじゃないだろうから、焼いて破片のようになっていたのではないだろうか。スモークサーモンは格安だろう。日本のワイナリーのシャンパンだし。

アスパラと和牛の冷しゃぶ
 北海道のアスパラは安いが、和牛の冷しゃぶは問題がある。「和牛」はピンキリである。黒毛和牛A5ランクから乳牛まで。しかし、メインディッシュではない、冷しゃぶなら、3切か4切ではないだろうか。(ソースがゴマかタレかはっきりしない。)

毛蟹のスープ
 これについては、ちょっとイメージが想像できない。新しいメニューのような気がする。イセエビのスープのようなものだろうか。最近読んだ「蟹工船」には、紹介されていなかった。

キンキの塩焼き
 キンキは単価的には超高級魚になっているが、外国人が塩焼きを食べて、その価値を見出すかどうか、相当疑問がある。日本人の自己満足に終わってもったいないなあ、と思えるのである。ペリーが日本に来日したときに用意した土産の小田原提灯みたいなものかもしれない。

メーン料理は子羊のロースト
 札幌ビール園みたいだ。国産のラム肉ということだろうか。

ワイン
 白はブルゴーニュ、赤はカリフォルニア、デザートワインはトカイワインというのはまったく普通と思う。

静岡県の清酒「磯自慢」
 これは、まったく不思議だ。なぜ、日本代表になったのだろうか。背後関係(利権関係)が知りたい。

こうみると、案外、食料危機を回避した食材のように見えなくもない。野菜と魚介類。それも沿海物だ。コーンや米の値上げに関係ある食材は少ない。子羊は草を食べているのだろう。気になるのは冷しゃぶ用の牛肉くらいか。


とはいえ、食材のわからない英国人から、無用な突っ込みを入れられそうなのは、開会直前には感じていたはず。もっと無難なメニューに入れ替えるべきだったかもしれない。キャビアでなく、イクラかタラコに換え、キンキではなくホタテを塩焼きにして、、毛ガニのスープではなくワタリ蟹の味噌汁とかだ。それと、冷やし牛しゃぶは米国産にするとか


このメニューのことを調べてみると、サミットの半年前から研究していたそうだ。道産素材を中心に試作に試作を繰り返すという念の入れようである。現場の厨房サイドでは、直前のメニュー変更など不可能、と言うのだろうが、実際にそんなことはないはずだ。要するに、メニュー入れ替えの「ツルの一言」が言える「決断の政治家」がいないからだろう。善悪はともかく、愛知万博の「弁当持込禁止制度」を、ただの一言で撤回させた小泉首相とはまったく力量が違う、ということなのだろう。


話は、メニューから離れるのだが、このように国の指導者のリーダーシップがボロボロになっていく、という例が歴史には散見できる。

近くには、1939年1月から8月までの平沼内閣。緊迫の国際情勢の中、ノモンハン事件で大敗したあと、独ソ不可侵条約を読みきれず、空中分解。その少し後に登場した第二次近衛内閣は1940年7月から1年頑張り、41年7月18日に第三次近衛内閣を組閣したが、3ヶ月で崩壊する。江戸末期の徳川慶喜。1866年7月20日、14代将軍家茂が亡くなった後、徳川家を継ぐが、1年後に大政奉還。翌1868年、江戸幕府崩壊。はるか昔に遡れば、1180年、平清盛亡き後、急遽家督を継いだ平宗盛。5年間で政権は崩れ去り、1185年3月24日、壇ノ浦で平家滅亡。実際には、捕虜となり、東国と京都の間を引き回された末、7月19日に子息らとともに斬殺。

7月は政権騒乱の月である。

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