女流棋士の移籍

2008-07-05 00:00:46 | しょうぎ
d25074ad.jpg棋士であり、またソムリエでもある唯一の女性、船戸陽子さん(34)が7月1日から将棋連盟所属から日本女子プロ将棋協会(LPSA)に移籍になる。移籍というのは、片方を辞めて片方に移ることで、いわば転職みたいなもの。次の仕事を確保してから辞表(退会願)を出したに違いないのだろう。確かLPSAは加盟者が基金に30万円ずつを拠出して出発したはず。彼女も払ったのだろうかと、つまらないことを思ってしまう。

まず、ニュースの伝え方。日本将棋連盟HPから。


船戸陽子女流二段が退会(6/25)

この度、6月30日付で船戸陽子女流二段が日本将棋連盟に退会届けを提出し、理事会で受理されました。
また、7月1日付で日本女子プロ将棋協会(LPSA)に入会届けを提出いたしました。
今後は、日本女子プロ将棋協会(LPSA)所属女流棋士として、各女流公式棋戦に出場いたします。

当然ながら、味もそっけもない。実際の所、最初の一行だけだっていいのだろうが、それでは問い合わせが殺到するので、付け加えたのだろう。

次に、加盟先のLPSAのHP。


船戸陽子女流二段、LPSA入会のお知らせ

このたび、日本女子プロ将棋協会(LPSA)に新入会員が登録されることとなりましたので、ご報告申し上げます。
日本将棋連盟所属女流棋士二段の船戸陽子(ふなと・ようこ)は6月30日を以って将棋連盟を退会し、7月1日付けで当協会に入会します。
今後は日本女子プロ将棋協会所属女流棋士として、公式戦ほか各棋戦に出場致しますので、よろしくお願い申し上げます。

船戸陽子二段のコメント
「長年お世話になりました将棋連盟を巣立ち、LPSAに入会することになりました。環境は少し変わりますが将棋はこれからも続けていきますし、私が私であることに変わりはありません。新天地で自分でできることを見つけていきたいです。今後もどうぞ応援よろしくお願いします」

<船戸陽子二段 プロフィール>
1974年4月23日、東京都渋谷区出身。
1986年育成会入会。1988年3月、3級で女流棋士に。
1990年3月29日 1級
1991年3月11日 初段
2000年4月1日 二段
居飛車党で早見えの攻め将棋。
教室「マンデーレッスン」の講師を第1期から務める。
日本ソムリエ協会認定ソムリエの資格を持つ。
マイクロソフト社のサイト「INNO.」にて巻末コラム「マイ デジタル ワイン ライフ」連載中。

もちろん、紹介もかなりの分量であるが、プロフィールをよく読むと、LPSAの「マンデーレッスン」の講師を1期から務める、と書かれている。以前から「こっそり」仕事をしていたということなのだろうか。狭い業界なので、すぐに知れ渡るだろうから、鬼会長から呼び出され、詰問の末、追い出されたのかもしれない、と想像。

そして、新聞社の報道は、この二団体の発表を適当に仕立て直したもののように見える。

毎日新聞。


船戸陽子女流二段が6月30日付で…

船戸陽子女流二段が6月30日付で日本将棋連盟に退会届を提出し、受理された。7月1日付で日本女子プロ将棋協会に入会する。同協会所属は18人になった。「新天地で自分ができることを見つけたい」とコメント。2008年7月1日

次に、朝日新聞。


船戸女流二段、日本女子プロ将棋協会に移籍

将棋女流棋士の船戸陽子女流二段(34)が、6月30日付で日本将棋連盟を退会し、7月1日付で日本女子プロ将棋協会(LPSA)に入会した。今後は同協会所属として公式戦など各棋戦に出場する。

昨年5月末に女流棋士17人が同連盟から独立して協会を立ち上げたが、設立2年目にして初めての移籍。連盟所属の女流棋士は40人(引退3人含む)、協会所属は18人(引退3人含む)になる。 2008年7月1日

あえて言うと、朝日の記事では、「初めての移籍」と強調されている。「初めて」という意味が、「これから増える」ということか「2年も経って一人しかいない」という意味なのか、はっきり評価しないで、読者に投げている。

さらに一歩も二歩も踏み込んだのが、読売系のスポーツ報知。女流名人戦のスポンサーだ。


船戸女流2段、移籍1号…女子プロ将棋協会へ

日本将棋連盟(米長邦雄会長)の船戸陽子女流ニ段(34)が、同連盟に退会届を提出し、日本女子プロ将棋協会(代表理事・中井広恵女流六段)に入会届を提出したことが25日、両団体から発表された。
退会は6月30日付、入会は7月1日付となる。協会は昨年5月30日に、連盟から独立する形で設立され、17人が参加。連盟が公益法人改革にともなう組織変更を検討する中での移籍第1号となった。船戸女流ニ段は「新天地で自分にできることを見つけていきたい」とコメントした。 6月25日


まず、「移籍1号」となると、2号、3号という予感を与える。さらに、「公益法人改革にともなう組織変更を検討する中での移籍第1号となった」となると、かなり深刻な裏事情を感じさせるに十分である。

勝手な想像だが、棋士は女流といえども実力の世界。常に強くなる、あるいは弱くならないことを求められている。どうすれば、強くなるかというと、一つは、公式戦の数。さらに、男性棋士や奨励会員などに混じっての研究会に顔を出すこと。さらに、棋譜の研究。そして、それらと相反するような、「イベント出席を減らすこと」ということかもしれない。

少人数のLPSAに入れば、そういう行事関係への出席が多くなるのは当然のことで、そのため本業の将棋の方が弱くなるのではにだろうかと、思っていたのかもしれない。ところが、実際に残留してみたものの、やはり庶事が多く、「これなら移籍した方が対局も増えるし・・」と考えたのかもしれない(あくまで想像)。

まあ、移った以上活躍するというのが、世間の例だが、なかなか相手もいるのでそう簡単にもいかないだろう。対立する2団体の間で態度を変えた例は、関が原の小早川秀秋が有名だが、その功績でまんまと備中50万石を手に入れたにもかかわらず、数年後、不幸に見舞われる。もっとも、関が原で寝返った大大名は秀秋だけであって、他の西軍大大名は、単に敗者として没落した。参考になるのかならないのか・・

あるいは、トロイの木馬。




ところで、船戸さんは、ソムリエでもある。ブログ「ワインづけ」を読むと、ワインとレストランの話が中心だが、今回の移籍の件がさりげなく数ヶ所に書かれていた。


6月24日

・・・・
ずっとずーっとお世話になった職場を6月いっぱいでやめます。
そしてちょっとへんぴなところにうつります。
・・・・


6月30日

・・・・
昼すぎからワインのんじゃった。
しかも仕事のはなしなのに飲んじゃった。
今日で仕事が一段落なのでおつかれさま。ということで。
と言い訳してみる。
今日は花束いただいたりとかね。
泣いちゃうかと思ったですよ。
・・・・

>「へんぴな場所」→さすが渋谷区生まれ
>「泣いちゃうかと思った」→泣かなかった

将棋が強くなるために、移籍したのならいいのだが、ワイン代を稼ぐために生活を見直すというのなら、いつか同じような例があると聞いたことがあるのだが・・・


d25074ad.jpg今回の問題だが、今週の解答と同様に、手数だけは長い。見た感じ、盤上の駒が全部消えてなくなりそうにも見えるが、そんなことはない。本当は、どこかに投稿したいが、手数と難易度から言えば、そういう出来ではないので、ここに置いておく。あとで、解答を書く作業が気が重い。

最初に一汗必要で、そのあと、繰り返し作業がある。さらに追跡が続き、最後にやっと、ということになる。7八歩にも意味はある。

いつものように、わかったと思った方は、コメント欄に最終手と手数と酷評をいただければ、正誤判断。