アメリカ彦蔵(吉村昭)

2008-05-23 00:00:29 | 書評
2006年に体内につながったチューブを引き抜き、自ら病床とサヨナラした作家、吉村昭氏にも、また、幕末1850年代に太平洋を何往復もした播磨出身の孤児、彦蔵にとっても、私なんかに絶賛されて、いい迷惑かもしれないが、新潮文庫で550ページを超える長編小説は、読み進むにつれ、読み終わりたくないという思いが嵩じていくのである。私にとって、忘れられない一冊になった。



吉村氏の特に歴史物はカバーする時代が江戸の末期から昭和20年代まで。おそらく、この範囲の史実と言うのは、「相当多量な」資料が残されている。「アメリカ彦蔵」も1837年生まれの彦蔵が13歳にして両親を失い、見習い船乗りになり、回送船に乗り込むところは、まだ本著の20ページ目である。

その後、17人の船員を乗せた永力丸は、紀伊半島沖で暴雨風に襲われ、転覆寸前になり、投げ荷を行なったり、帆柱を自ら切り倒し、転覆だけは免れる。しかし、遭難場所は太平洋。帆柱のない船はただ海流に身を任せるだけの運命となる。

仮に、時代が1700年代であれば、永力丸の運命は事実上、そこで終わり。いずれ食糧が尽きるか再度の大時化があれば、それが命日となるはずだった。しかし、彼らが漂流したのは1850年。日本周辺には日本開国を狙う欧米各国や衰えた清帝国に群がり、富を得ようとする外国船が多数存在していた。

幸いなことに、永力丸はそれらの中の一隻の商船にピックアップされるわけだ。オークランド号。そのまま、カリフォルニアに向かうわけだ。実はまだ全550ページの57ページ目だ。

そして、一命をとりとめた彼らの帰国物語がこれから始まるのだが、当時の日本は、まだ鎖国中(鎖国ということばの定義は難しいが、とりあえず無許可外国船は大砲で追い払い、キリスト教徒は火焙りにしていた)で、一旦外国に行ったものは、帰国拒否、あるいは死罪になると考えられていた。(まるで昭和20年の日本兵みたいだ)

その後、彼らの他にも難破船の乗組員大勢が主に米国船に救助され、帰国を狙っていることを知るわけだ。彼らは、時代の潮目をどう読むか、自ら判断せざるを得なくなり、考え方の違いから数グループに別れ、独自に帰国の道をさぐることになる。考え方の違いというのは、イデオロギーとか帰国戦略の差というようなものではなく、情報も見えず、不確定な国際情勢の中で、生と死というギャンブルをどう張るか、という戦術的な差と考えるべきだろう。

彦蔵はどう考えたか。

彼は、日米の国力の差を肌で感じ、遅かれ早かれ、日本は開国されるだろう。その後、日本に帰国し、日米間の交易で働く仕事があるだろうから、それまで米国で勉強しよう、と考えたわけだ。ある意味、彼にはすでに両親はなく、帰る場所もないわけだ。まだ200ページ目あたり。

そして、慎重な彼にしては、一つのミスがおきる。クリスチャンになり、洗礼を受けたわけだ。思えば、それが彼の人生に一つの方向性をつける。キリスト教徒になった彼が、日本人として早期に帰国することは、とうてい困難となった。そして選んだのが、米国籍の取得である。米国帰化第一号である。米国人として、日本に上陸することになる。

実は、このあたりでまだ、小説の分量の半分くらいなのだから、本著は大変だ。海洋冒険小説と幕末政治小説の合作のようなもので、ここからは日本と米国の狭間で生きる彼の苦闘物語になる。リンカーンを含む三人の米国大統領に会ったこと、横浜で日本初の新聞を発刊したこと、米国公使館に勤めたこと、横浜で輸出入の仕事をしたこと、長崎でグラバー商会と協力したこと、などが続く。

そして、明治になり、数々の名声に奢ることなく、彦蔵はあくまでも彦蔵スタイルを通し、明治30年、61歳で亡くなる。青山墓地に眠る。幕末の多くの人たちと同様、波乱の前半生に人生のほとんどのエネルギーを使い、後半は自分スタイルで流したのだろう。

実は、本著には著者自らが「あとがき」を付している。膨大な資料を読み解く苦労について、軽く書いてある。誰がどうみても軽い仕事のはずがない。それが吉村昭のスタイルなのだろう。


仕事師、吉村昭の著作は、毎年1、2冊のペースで読んでいる。何か、一冊を読むとその衝撃と言うか余韻というか、打ちのめされてしまい、すぐ、次に取り組めないのだ。既に筆をおいた好きな作者の作を全部読めないとしたら、それは愛読者の怠惰なのだろう。

さあ、次は・・