大和ミュージアム

2008-05-08 00:00:00 | 美術館・博物館・工芸品
83109e7f.jpg広島から呉市へ。山陽本線から分かれ、鉄道は海岸沿いに安芸路走る。ちょうど、昼下がりの緩行列車は眠気を誘うが、眠り込む直前に目的地、呉に到着。駅から海に向かって再開発されていて、大型スーパーの二階を通り抜けると、そこは戦艦大和のレプリカのある「大和ミュージアム」である。正式には、呉市海軍歴史科学館というそうだが、あまりに大和の存在感が大きい。

83109e7f.jpgたまたま、企画展が開かれていて、「海軍が来た」といって、なぜ、呉が海軍の町になったかという紐解きがなされていた。そもそも海軍で鎮守府構想があり、全国5つの鎮守府(海軍基地)を設ける予定だったそうだ。まず、「横須賀」、さらに「呉」、「長崎」、「舞鶴」、そして計画では室蘭だったそうだが室蘭には置かれなかった。それぞれ、場所の設定にはさまざまな理由があり、呉になったのは、瀬戸内海の中心に近く、さらに深い入り江があり防衛上有利だったし、大きな艦船も係留できる。対抗馬が尾道だったそうだが、尾道は目前の向島との間が狭すぎる(尾道水道)。しかし、呉は瀬戸内海の奥深い場所にある。ここまで、敵がやってくるようでは、もう駄目なのだが変なところにこだわっている。

港湾工事は大倉組(ホテルオークラや大成建設)、藤田組(藤田観光)、水野組(五洋建設)が受持ち、懐を肥やした。今も昔も軍事産業は大儲けできるわけだ。

83109e7f.jpg戦艦大和だが、1/10の模型が展示されている。長さが1/10ということは、体積は1/1000である。大和の威容はすごいわけだが、どうも、展示に力が入っているのは、大和のそばにある人間魚雷。実物が各種大きさで何種類も展示されている。一人用から大型のものまで。海の特攻隊である。自筆の遺書とか・・

どうも、靖国神社の海軍版のように感じる。逆説的だが、建物の入口に立つ、男性ヌードが、やや恥ずかしいモノをぶらさげていて、海の神、ネプチューンらしいのだが、それは目くらましで、海軍は本当は別の神様を祀っていたのではなかっただろうか・


83109e7f.jpgそして、海軍歴史科学館を出ると、隣には、海上自衛隊呉史料館「てつのくじら館」がある。自衛隊の呼称が軍に昇格すると、こちらは海軍史料館になるのだろうか。「てつのくじら」と言っても、私の目には、鯨には見えず、潜水艦に見える。れっきとした現物の退役潜水艦で、「あさしお」と力士(親方)みたいな名前がついている。潜水艦の内部は公開されているが、何しろ狭い。

館内の唯一個室は館長室だが、その部屋とて、縦横高さ2メートル。その他の自衛官のスペースは、あちこちの空間スペースの三段ベッドだが、ベッドの幅は50センチくらいだ。プライバシーどころか、館内で体を動かすたびに他人とぶつかる。大江戸線やゆりかもめより窮屈だ。私なんか1時間で逃走、と思ってもこの環境ほど脱走困難な場所はないだろう。(生涯、窮屈感の中で生きている団塊世代なら我慢できるかな?)

驚いたことに、潜水艦から脱出して出口へ向かうと、自衛官募集をしていたが、潜水艦に乗りたくて自衛隊に入る、という若者が、果たしているのだろうか。?????

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