麻布学講座(1)

2008-05-29 00:00:14 | 歴史
東京港区の区民大学に足を伸ばす。今年は麻布学。区民大学といっても大学を借りて、麻布の歴史を学ぶという講座。全6回だが、たぶん2回は参加できない。会費は数千円。某氏から頼まれている原稿のことなどすっかり忘れて、麻布学に参戦する。

実は、当初、会場は東洋英和大学ということだったが、希望者が多すぎて(90人強)、東洋英和の付属の中学校の視聴覚室に変更。この東洋英和だが、女子大学。以前、「赤い靴はいてた女の子」シリーズをアップしたのだが、大いに関係あって、この東洋英和はメソジスト系の鳥居坂教会と一体化した大学である。実在の「赤い靴はいてた女の子」である岩崎きみちゃんは、その極めて短い9年間の人生を、この鳥居坂教会の付属の孤児院で終え、現在は青山墓地の鳥居坂教会の共同墓地に眠っている。

全6回の講座の中には、この青山墓地の回もある(ただし外国人について)。きみちゃんだけじゃなく、幕末の日米のはざまで生きたアメリカ彦蔵も眠っているし、忠犬ハチも一緒だ。

で、東洋英和の付属中学に向かうが、まず、最大の問題は、「女子中学」ということ。もちろん東洋英和も女子専用である。六本木の駅でトイレに行っておく。そして、厳重な守衛チェックの末、やっと会場に辿り着くと、男性も1/3はいるようだ。年齢は上下ばらばら。

f92d3f43.jpg第一回目の講座は「国際文化会館」。まず、位置関係だが、六本木交差点の近くにある「ロア(ROI)ビル」の横にある交差点を奥に入っていく。生活道路風だが、交通量はある。この道は10分くらいで麻布十番方面に抜けるのだが、まず、芸能人御用達の焼肉店、巨牛荘がある。その先が鳥居坂教会(東洋英和)エリア。さらに川崎ハウスがあって、さらに国際文化会館になる。その先は下り坂で鳥居坂と呼ばれ、左手にシンガポール大使館がある。この大使館の場所に鳥居某という旗本が居をなしていたのが地名の由来だと思ったが、講座では不明とされていた(なぜ、坂の下に有力旗本がいたかについての自分なりの仮説もあるが省略)。


で、国際文化会館の話をされるのは、この会館、そしてこの地に深い縁のある「松本洋氏」講座の中で昭和5年生まれと言われたので、今年78歳。ほぼ健康。徐々に判ってきたのだが、この方の父親が松本重治さんで、この国際文化会館の開設に大きな功績があった3人のうちの一人である。残る二人は樺山某氏とロックフェラー三世。樺山家といえば白洲家と婚姻関係にある。ロックフェラー三世は別の本を読むと、CIAが世界中に組織を拡大することに大いに協力したらしいだが、もちろん講座ではそれらの話は何も出ない。

しかも、父松本重治氏の二人の祖父だが、一人は松本重太郎といって関西の大実業家。もう一人は松方正義。薩摩出身の総理大臣であり、実業家であり、こどもが24人いたそうだ。で、閨閥の話を書き始めると終わらなくなるので、この辺で終わりにしたいが、どうも、この六本木の裏の国際文化会館の土地は、そういう系譜と切り離せないようなところがあるようだ。

1)京極家の屋敷
 江戸時代は、京極家(多度津藩)の屋敷だったそうだ。京極本家は丸亀藩である。確か、お市の方の三人の娘の一人が京極家に嫁いだはず(残る二人は、淀君とお江)。この京極家の秘伝の宝物だったのが、野々村仁清の大壺である。国宝として熱海のMOA美術館最大の貴重品(というか日本屈指の国宝)であるが、驚くことに、講師の松本さんの家に昭和6年まであったそうだ。何らかの理由で京極家が手放し、何らかの理由で松本家が手放す。講師が生まれたのが昭和5年なので、ミルク代に窮したのだろうか。

2)井上馨邸
 明治の元勲井上馨は外務大臣を経て、三井物産を創設している。この地に大邸宅を建てる。1887年(明治20年)には廃仏毀釈運動で困窮した奈良東大寺が手放した天下の名茶室「八窓庵」を移転し、天皇を招いての茶会を開いている。東大寺狙い撃ちの図だ。
 この邸宅で歴史上有名な数々の決定がなされたということらしい。歴史は夜作られたのだろうか。

3)関東大震災まで
 井上邸は、その後、皇族や実業家の手を転々とする。昭和天皇妃良子さまはこの屋敷で幼少期を過ごされたそうだ。が、1923年(大正12年)、関東大震災で倒壊してしまう。思えば良子さまは危機一髪だったわけだ。

4)岩崎小弥太邸
 三菱の創設者は岩崎弥太郎であるが、小弥太は弥太郎の甥。三菱は、財閥解体まで4人の社長がいるが、兄→弟→兄の子→弟の子という順番である。つまり小弥太は最後の社長。震災後、駿河台の本邸が焼失し、代替地を探し、ここを見つける。前所有者は赤星家。赤星某はなぜか、後に三菱地所社長になる。
 岩崎家には、もちろん金に糸目がないのだから、超巨大な館が誕生する。4410坪の土地に、またも巨大の邸宅が建つ。また小川治兵衛の手になる名庭園が完成。三菱のビジネス隆盛に大きな役割を果たす。またも夜のビジネスだ。

 が、昭和20年、空襲で焼失。庭園だけが今に残る。

5)国際文化会館
 冒頭に書いたように、戦後、ロックフェラー三世を中心に、国際文化会館が設立され、国有財産の土地の格安での払い下げが行なわれる。海外からの文化人の来日、講演を促進するために、文人ホテルとしての機能を求められ、またも当時としては巨大構築物が建設される。日本公演を行なったのは、ネルー、トインビー、バーナード・リーチ、ジョージ・ケナン、オッペンハイマーなど。

f92d3f43.jpg6)現代
 現在、国際文化会館の会員は3500人だそうだ。年会費は思ったより安い。年間数万円。入会金数十万円。会館利用料が2割引になるそうだ。カフェテラスのコーヒー650円が520円ということ。数年前にリニューアルしたということだそうだ。最近は、世界の文化を日本に紹介するのではなく、日本の文化を海外に発信することになっている(それでは、役目が終わったと言うことなのだろうか)。

 やや、あいまいな存在になっているといえないわけでもない。ホテルオークラのような高級ホテルということだろうか。一度くらい泊まってみようかな(システム的に門前払いかもしれないが)。

7)Q&Aで明らかになった六本木再開発計画
 1時間半の講座が早く終わったので、Q&Aタイムになったら、ちょっとしたハプニングが起きた(これだから講演会のQ&Aは講師にとって鬼門だ)。

 質問された方から出た話は、この国際文化会館の裏側の駐車場スペースと川崎ハウス、そして東洋英和ゾーン、さらにはロアビルまで含んだ巨大な地面が、既にあるディベロッパーに売却されていて、再開発計画が始動しているが、地元民としては絶対反対だ!という言い方をされたわけだ。確かに六本木ヒルズよりも広いかもしれない。

 与太話かと思ったら、講師の松本氏がパソコンの中を探すと、再開発後のビルのイメージ画像が現れたわけだ。以前から色々なプランが現れては消えていて、最新案だそうだ。設計者はミスターヒルズこと安藤忠雄氏。ビルのイメージは名古屋名物の外郎(ういろう)を棒のように立たせてから、上をつまんでちょっと捻ったようなデザイン。若干ねじれたビルで、水と風と緑がテーマだそうだ。

 そして賛成派の松本氏が、ちょっとしたプレゼンを行い、「怪しい商品の路上販売センターと化したロアビル周辺の健全化」論を打ち出して、時間切れ閉幕となったわけである。


私は六本木に住んでいるわけじゃないので、怪しい商品の路上販売センターを六本木から追い出すことに、あまり有意義は感じないし(別の場所に移転するだけだろう)、焼肉の巨牛荘やタイ料理店エラワンがなくなることの方が、ガッカリなのである。



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