言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

断捨離とブリコラージュ

2011年08月21日 13時57分47秒 | 日記・エッセイ・コラム

 ウィキペディアによれば、

 フランスの文化人類学者のクロード・レヴィ・ストロースは、著書 『野生の思考』(1962)などで、世界各地に見られる、端切れや余り物を使って、その本来の用途とは関係なく、当面の必要性に役立つ道具を作ることを紹介し、「ブリコラージュ」と呼んだ。彼は人類が古くから持っていた知のあり方、「野生の思考」をブリコラージュによるものづくりに例え、これを近代以降のエンジニアリングの思考、「栽培された思考」と対比させ、ブリコラージュを近代社会にも適用されている普遍的な知のあり方と考えた。

 「残り物で料理を作る法」と言へば、ずゐぶんその價値を貶しめてしまふかもしれないが、さういふことだらう(もちろん、殘り物も食べ物であるから、「本來の用途と關係なく」といふのとはズレがあるが)。かういふ方法からすれば、斷捨離はあまりに合理的な方法で、エンジリアニングの發想に近い。二年間使はないものは處分する。今必要のないものは捨ててしまふといふのは、極めて合理的な發想である。

  もちろん、兩者の兼合ひが實際の生活の場面では行はれてゐるはずである。「もう着ないから捨てよう」と「まだ着る機會があるかかしれない」や「これは車を拭く時に使はう」との間に私たちは生きてゐる。となれば、斷捨離を捨てる時の大義名分に、ブリコラージュを保存する時の大義名分に使ふのがよくないのである(そんな人は私だけか!)。

  本を整理したこの夏の私にとつて、  「もつたいない」の發想の方が馴染み易い。因みに先日、ブックオフから聯絡があり、持つて行つてもらつた書籍150册ほどの値段は、なんと900圓だつた。これにはびつくり。そのショックがブリコラージュといふ言葉を引き寄せたのかも知れない。

  補足

  ブックオフの値段の付方は、發行日と大衆性があるかないかで決めるものであるから、この値付けは相當なのでせう。それは百も承知で、專門古書店に持つていけば四五千圓にはなつたと思ふ。けれども、今囘はとにかく早く持つて行つてもらひたかつた。仕方あるまいよ。

コメント
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