いささか舊聞に屬するが、今年になつて「太陽の塔」の初期デッサンが見つかつた。正面の中央にある顏の形、そしてその左右にある稻妻のやうな赤い線、最上部の黄金の顏、塔の腕、そして大屋根との接續の仕方、それらが萬博開催の三年前1967年から徐徐に出來上つていく樣子がうかゞへる。
岡本太郎と太陽の塔 (Shogakukan Creative Visual Book) 価格:¥ 2,940(税込) 発売日:2008-06 |
詳細は、先日小學館から發行された『岡本太郎と太陽の塔』に掲載されてゐるが、その本が出る前に實物が見たくてなつて五月の土日を使つて岡本太郎記念館に行つて來た。一つの用事だけで状況できるほど精神的にも金錢的にも餘裕があるわけではないので、詰込んだスケジュールの中、わづかに30分ほど歸りの新幹線にぎりぎり間に合ふやうに時間を設定して見てきた。高級ブランドが立ち竝ぶ表參道、青山通りを拔けて氣持はたかぶつていつた。
アトリエを改造して作られたこの小さな美術館は、入るだけで滿足する。太郎がいつでもアトリエから出て來さうな氣配だからである。收藏品の多さも規模の大きさも川崎の岡本太郎美術館とは比較すべくもないが、私にとつての魅力はこちらにまさるものではない。一階のカフェは滿席だつたが、二階のスケッチが置かれてゐる部屋には係の人がゐるだけだつた。一枚一枚についての感想は特にない。誕生の經緯を垣間見ることができたことが嬉しかつた。
藝術は爆發だ――で有名になつた太郎であらうが、三年前からアイディアを次次と重ねてゆき、石膏模型を作る段になつてからもずゐぶんと手を入れてゐるといふ經緯を見れば、その言葉は少少誤解をうむかもしれない。やはり用意周到である。その言葉のもともとの發聲は「藝術は場數だ」であつたと言ふが、場數を踏んで少しづつ作品は出來上つてゆくといふことであり、自らの構想も試行錯誤を繰り返しながらだんだんと確實な形を得て行くといふことなのである。制作理念としてはしごく正統なものであらう。
しかし、この太陽の塔、ほんたうに孤獨である。他の太郎の作品とも違つてゐる。千里の丘に天から舞ひ降りて來た鳥のやうと言へば、きつと人は冷笑するであらうが、あの白い清清しい鳥のやうな塔は、羽を擴げたままであり、今もまた飛立たうとしてゐるやうにも見える。聖書の創世紀にあるオリーブの葉を咥へて戻つてゆく鳩のやうにも思へる。願はくは、もう飛立たずに、この地に留まらんことを。