言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

『帝国の昭和』と黒田少年

2019年02月10日 09時39分26秒 | 本と雑誌
帝国の昭和 日本の歴史23 (講談社学術文庫)
有馬 学
講談社

 

 画家で、福田恆存と交流の深かつた黒田良夫氏から本を頂戴した。

 九州大学名誉教授の有馬学氏が講談社の『日本の歴史』シリーズに書かれた23巻『帝国の昭和』に、黒田先生の少年時代の記録が転載されてゐる。

 先生は昭和七年に信州の諏訪でお生まれになり、現在もその地で過ごされてゐる。小林秀雄が御柱の祭りを見学された時も案内し、晩年の福田恆存とはたいへんに深い交流をされてゐたことは、『黒田良夫著作集』第三巻に詳しく書かれてゐる。

 先生の少年時代は、たいへんに貧しい。しかし、その貧しさは黒田家だけのものではなく、日本の貧しさである。それでも父と長男だけは少し「豊かさ」を示すやうな逸話もあつて、なるほど家父長的な日本の姿を活写してゐる。私の両親は昭和四年生まれであり、山梨と栃木に生まれてゐるが、黒田先生のやうな生活の細部を聞いたことはない。先生の記憶力とその描写力とは、後年に画家になるだけの繊細な観察眼の証明であらう。

 本書のわづか3頁ほどであるが、有馬氏が黒田先生の文章を見つけ、それを的確に引用されるといふことも、すばらしい研究の成果だと感じる。

 昭和前期は貧しかつた。そして厳しかつた。それを有馬氏は「外国」と比喩してゐる。まつたくその通りであらう。しかし、昭和中期に生まれた私には、平成のこの時代も外国である。もしかしたら、この国は戦争をしてゐて、再び負けてしまつたのではないか。そんな感慨があるほど、異質さを感じてゐる。戦争に負ける度に、私たちの国は、その国柄を失つていくやうだ。

 

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