言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

もはや内乱状態にある韓国。

2017年03月12日 10時20分37秒 | 日記

  これが冷戦時であれば、臨時政府は戒厳令を敷く事態であらう。

  ろうそく革命と名付けられた朴大統領罷免運動は、憲法裁判所の裁定で結論が出てしまつた。何といふことを、またしても韓国人は自分たちの未熟さを宰相の首を斬ることで誤魔化してしまつたのである。北朝鮮と対峙し、中国との貿易も不調をきたしてゐる。この事態の克服の機会の喪失と、大統領の利益供与事件の断罪とを天秤にかけることもせずに、不満感情の解消を優先する。これがいかにも韓国人らしいと言へば言へようが、二十代の数年を韓国で過ごした者としては、この残酷な状況の到来をひどく落ち込みながら聞いてゐる。

  もちろん韓国が倒れれば、それが内部崩壊か北朝鮮からの攻撃に寄るかは問はずに、日本にも少なからぬ影響がある。すは第二次韓国動乱かとなれば、想像を絶することにならう。いたづらなシナリオを考へる必要もなからうが、今日の日本人の、あるいは日本社会のあまりの無関心にも閉口する。拉致問題のメガネでしか北朝鮮を見られなくなつてゐるのは、平和ボケの病から未だ立ち直つてゐない証拠である。

  大統領擁護派が星条旗を掲げ、ろうそく革命家たちは何らかの北朝鮮からの指示があるかないかはともかく北朝鮮を利してゐる状況は、もはや内乱である。半島の宿命とは言へ、歴史的事実として歴史家が記述する事態である。

  となれば、日本国民としてはどうすべきか。

  戒厳令が時代錯誤なら、憲法裁判所の裁定の執行延期を主張すべきである。そのための裁判を起こし、時を稼ぐしかあるまい。熱い人々に冷静になれと言つても無理であるから、時間をかけることが有効だ。今こそ仏教、キリスト教か、天主教、儒教などの韓国宗教界が国民に訴へるべきである。在日の韓国人からの提案でそれが可能になる道はあらう。

  国難をただ見てやり過ごしてゐるのでは、禍根を残すことになりかねない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする