言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

健鬪を祈る

2012年02月24日 22時31分54秒 | 日記・エッセイ・コラム

   明日は、國公立大學の二次試驗。教へて來た生徒らの勝負の一日です。

   心より健鬪を祈つてゐます。

   大きく準備して小さく期待する――私はさうして歩んで來ました。時に小さな努力で大きな成果を期待してしまひさうになるけれども、強く戒めて道に戻らうとして來ました。

   君がもし大きく準備して來たと思ふなら、小さく期待してみてほしい。慾張らずに最初の頁をめくる前に一呼吸置いて、周圍の人人が慌ててめくる姿を見てゐる餘裕があればいい。

   「急ぐことなく、むしろ彫刻家の愼重さで」(アラン)そんな受驗の仕方もあると思ふ。

  準備が足りなかつたのなら、なほさら期待せずに、勉強するつもりで臨んでみるのもいいかもしれない。小さな準備なら、期待する方が間違つてゐる。

   一つの教科が終はつて、自分だけの手應へで考へるのはやめよう。その問題が難しかつたのか易しかつたのかはまだ分からないのだし、自分の手應へなるものも不確かなものなのだから。

    すべての教科が終はるまでは答へ合わせはやめること。自分一人の出來不出來では何も決まらない。

   心より健鬪を祈ります。

コメント (2)
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