国語問題論争史 価格:¥ 5,040(税込) 発売日:2005-01 |
10代の若者では74%が「來れる」派だと言ふ。なるほど、それで「勝負が見えてきた」といふのである。なんとも愚かなことだ。「來られる」といふ人にとつては、「來れる」は間違ひだと認識されるのであるから、いつまで經つても勝負はつかない。だいたい、言葉における勝負とは何を言ひたいのであらうか。「來れる」派と「來られる」派との對決とは、政治でも經濟でも、今日の原發にたいする見解でも何でも勝負事にしてみたい、自稱「平和主義」社の朝日新聞らしい物言ひである。
いつまで經つても、「來られる」を使ふ人は、使ふ。それが言葉の自然である。
部屋を掃除するのが好きな人の割合を10代の若者に調べてみればいい。9割の者が「嫌ひ」と答へるだらう。それで、勝負はついた。「部屋をきれいにする時代は終はつた」と報道するのが滑稽であるやうに、この度の報道も實に滑稽である。言葉は、使ふ主體がどう思ふかで、それは國語の在り方と別の話である。