言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

時事評論石川――最新號

2011年02月21日 20時44分34秒 | 告知

○時事評論石川の最新号の目次を以下に記します。どうぞ御關心がありましたら、御購讀ください。1部200圓、年間では2000圓です。

 今年最初の今月號に一文を寄せさせていただいた。今の政治や經濟やその他「戰後社會」全體の體たらくを批判するのは簡單だ。しかし、その刀を自らに向ければどうか。途端に口ごもつてしまふはずだ。ダメには彼我の差は無し。それなら待つにしくはない。もちろん何もしないで待てとは言はない。やるべきことを早急に進めるべきだ。しかし、やるべきことをやらないで結果ばかりを求めてゐると、とんでもない結末を迎へる、そんな氣がする。いつまで待てば良いのか、と氣の早い讀者は訊いてくるかも知れない。しかし、さういふ氣の早さが今の體たらくを招いたと考へたらどうであらうか。「お調子者」が多過ぎるのが問題だ。やるべきことをやる、それに盡きる。それ以外にない。

    朝鮮人學校への支援については、積極的に否定も肯定もしない。北朝鮮との交渉の打開策を立てる姿勢すら見せない現政權が、日本にゐる朝鮮人學校に對してだけ嚴しくするといふのは弱いものいじめに映る。現實の朝鮮人學校に通ふ生徒の6割が韓國籍である(大阪)といふことを考へると、彼等の教育に對して北朝鮮の蠻行を楯に支援を打ち切るのは少し無理がある。何か手はないものか。いつそ教科書を檢定教科書にすればいいのだが。

「待つ」しかないではないか

    ―代用の近代の終はり―

             文藝批評家 前田嘉則

言語道斷 朝鮮人學校授業料無償化

     報道されぬ朝鮮總聯の無償化獲得への工作                                    

                         新聞記者  安藤慶太

教育隨想       

日本臺灣學生會議と日臺交流教育會 (勝)

落ちる臺灣、危ない日本

     日本の友人への手紙                                    

                         臺灣在住作家  張  明彦

奔流            

解散に追い込めるのか

  ―自民黨の力量も問われている―

          拓殖大學大學院教授 花岡信昭

コラム

        消費税増税を推進する適格性  (菊)

        檢察批判より正義を考へよ (柴田裕三)

        三浦哲郎の死を悼む(星)

        與謝野無節操を追及した朝日(蝶)            

  問ひ合せ

電話076-264-1119    ファックス  076-231-7009

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする