太宰治は、昭和22年の作品『斜陽』の中で「待つ。ああ、人間の生活には、喜んだり怒つたり悲しんだり憎んだり、いろいろの感情があるけれども、けれどもそれは人間の生活のほんの一パーセントを占めてゐるだけの感情で、あとの九十九パーセントは、ただ待つて暮してゐるのではないででうか。幸福の足音が、廊下に聞えるのを今か今かと胸のつぶれる思ひで待つて、からつぽ。ああ、人間の生活つて、あんまりみじめ。生れて来ないはうがよかつたとみんなが考へてゐるこの現実。さうして毎日、朝から晩まで、はかなく何かを待つてゐる。」と書いた。
太宰は何を待つてゐたのか、今はその詳細には立ち入らないが、その「待つ」といふ感情を持続できなかつたことが彼の死を招いたといふことは言へるかも知れない。
福田恆存はかう書いてゐた。
「太宰治は自己を責める『神』を發見したが、自己を許す『神』は發見しなかつたのだ。そしてこのことは現代日本の知識階級にとつて、いまなほ解決しえぬもつとも根本的な課題なのである。おそらくわれわれはこの太宰治のつまづきから出發しなければならぬであらう。」
(昭和26年 作品集解説)