言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

『解つてたまるか!』が終つて

2009年01月13日 23時03分59秒 | 福田恆存

  『解つてたまるか!』が終はつた。これまで何囘かこの作品について書いたが、友人の土井さんから、主人公の村木と作者の福田恆存とを結び附け過ぎとの感想をいただいた。まつたくその通りである。少少近視眼的な見方をしたかもしれない。ともあれ、あの死について整理すべく長めの文章を書いた。公表する場所があればしたいと思ふ。

  千秋樂をやはり見に行つた。もしかしたらこれでお藏入りといふことになるかもしれないとの直觀があつて、出かけてしまつた。客は結構入つてゐた。でも何かが足りない。それは役者によるのか、演出によるのか、いやそもそも作品に原因があるのか、それも考へるべき點である。淺利氏も見に來たといふ。さて、劇團四季での上演はどうなるのか。ゲスな關心事である。

  土井さんによれば、福田恆存は淺利慶太の演出を買つてゐなかつたといふ(初演で村木を演じた日下氏に對しては絶讚であつたが)。村木が星條旗を見てコカコーラか何かの會社かと思つたといふ臺詞を本當に田舍者のやうに發話させたが、村木はそんな人物ではないと福田恆存は書いてゐる。あれだけの言葉を吐ける人物はどんな時でも意識的で、その臺詞も意識的に田舍者を演じたやうに言はせなければならないと言ふのだ。なるほどさういふものかと思つた。とは言へ、福田自身が演出した村木も、決してうまくはいかなかつた。北村總一郎では難しかつたらしい。この芝居、やはり相當に手強いのである。

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