言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

にもかかはらず3――話を振り出しに

2006年10月08日 09時07分34秒 | インポート

論點が擴散して來ましたので、話を振り出しに戻します。

  今囘の議論の出發點は、次のことです。

   松原先生の「空しさ」と福田恆存の「空しさ」は違ふ。なぜなら、松原先生は知識人に語るべきことを庶民に傳へてゐるからである。主張と讀者とのミスマッチングによるものである。

  このことについては、まだ私は説得されてゐません。

それにしても、今囘の論爭があつてから、アクセス數が飛躍的に伸びました。通常の4倍ほどです。論爭が好きなのでせうか。それとも、これ自體、松原先生の言ふ「政治好き」の日本人の證明なのでせうか。

コメント (18)
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