言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

言葉の救はれ――宿命の國語3

2004年10月16日 20時53分48秒 | 福田恆存
(承前)
 昭和三十四年七月十一日、内閣總理大臣岸信介の名で、訓令告示された「送りがなのつけ方」が、國語問題協議會を設立するきつかけであつた。同協議会は、送りがなの問題を突破口に國語政策のあり方に異論を唱へた。福田四十八歳の決斷は、當然の行動である。そして、翌翌年三月二十二日、改革反對の、作家の舟橋聖一、東大教授の宇野精一、實踐女子大學長の山岸徳平、大正大教授の鹽田良平、東大教授の成瀬政勝の五氏が、第五期の國語審議會を脱退した。
 戰後の國語改惡の經緯を簡單にまとめておかう。

昭和二十年十一月二十日 GHQのCIE(民間情報教育局)教育課員のロバート・キング・ホール少佐から文部官僚に「日本の教科書を                 ローマ字化」するやう勸告される。
 同二一年   四月三十日 『アメリカ教育使節團報告書』で漢字制限論・假名文字論・ローマ字論を提案し、結論的には「ローマ字の採                  用」が勸告される。
 同二一年十一月十六日 「當用漢字表」(一八五〇字)「現代かなづかい」内閣訓令告示
 同二三年   二月十六日 「當用漢字別表」(いはゆる「教育漢字」のこと)「同音訓表」内閣訓令告示
 同二四年   四月二八日 「當用漢字字體表」内閣訓令告示
 同二五年   四月十七日  「國語審議會令」公布(この第一條は、「所掌事務」についてであるが、そこには「國語の改善に關する事項」 「國語の教育の振興に關する事項」とならんで「ローマ字に關する事項」が記されてゐる。國語審議會が「ローマ字」を檢討するのである。そして、これに基き「ローマ字調査分科審議會」が設置された)
 同二六年  五月二五日 「人名用漢字別表」内閣訓令告示
 同二九年十二月   九日 「ローマ字のつづり方」内閣訓令告示
 同三四年  七月十一日 「送りがなのつけ方」「送りがなのつけ方の實施について」内閣訓令告示
 同五六年   十月 一日 「常用漢字表」(一九四五字)内閣訓令告示

 ここでは、戰後のみのものを採上げたが、もちろん、戰前より、國語改革といふことは行はれてゐた。
 なほ、昭和三十三年二月一日には、隣國中共で、「當面の文字改革と漢語表音方案に關する報告」といふものが出され、①漢字の簡略化をおこない、文盲を一掃する。②標準語を廣め、方言をなくす。③漢語の發音に、ローマ字を用ゐて、標準語の普及を助ける。の三つがその要點であつた。そして、國語改革もそれに沿つて行はれてしまつたのである。
 知識人や政治家などが、中共の方針になびいてゐた當時の情勢が、國語問題にも色濃く反映してゐたと、今更ながら思ふ。將來ローマ字に變へることを目的として「言語政策を話合ふ會」が結成されたのも、同年の四月十日である。何と機を見るに敏か。國會議員六十九名、學識經驗者百四十九名が會員であつたといふ。
 かうした一聯の流れに對して、福田恆存が属した國語問題協議會は批判的であるが、もちろんそれは主流の考へではない。
 最近もまた、日本語の世界化、つまり「開かれた日本語」の文脈で肯定的に評價する識者が表はれた。雜誌「中央公論」の四月號(平成十二年)に掲載された、加藤秀俊氏の「日本語の敗北」である。



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