三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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今月22日の裁判(口頭弁論)を前にして 2

2014年05月10日 | 紀州鉱山
■原告準備書面(2)
(二)「紀州鉱山への朝鮮人強制連行」にかかわる非科学的虚言

 「答弁書」の「第3 請求原因に対する認否」の1の①の「「1 紀州鉱山への朝鮮人強制連行」について」において、被告熊野市は、どの部分がみずからの文章であるか、どの部分が引用あるいは孫引きであるかがわかりにくい非科学的で不正な形式で、本訴の根本問題にかかわって叙述している。
 ここで、被告熊野市の訴訟代理人と訴訟指定代理人計6人は、「「紀州鉱山への朝鮮人強制連行」について」と題して、紀州鉱山への朝鮮人強制連行という個別の歴史的事実にかんしてまったく具体的に述べることなく、1952年7月13日付けの「大半、自由意思で居住 外務省、在日朝鮮人で発表 戦時徴用は245人」という誤解を招きやすい表題の『朝日新聞』の記事、その記事の基である1952年7月11日付けの外務省の発表「在日朝鮮人の引揚に関するいきさつ」(正確な表題は「在日朝鮮人の渡来および引揚げに関する経緯、とくに、戦時中の徴用労務者について」)などを恣意的に引用し、なかば自分の文章であるかのように仮装して、日本への朝鮮人強制連行の歴史的事実を極端に小さく書き表している。
 このとき、かれらは、かれらの虚言につごうのいい「大半、自由意思で居住 外務省、在日朝鮮人で発表 戦時徴用は245人」という表題の1952年7月13日付けの『朝日新聞』の記事を引用し、それを2013年6月3日付け「証拠説明書」で「乙第4号証」として裁判所に提出しているが、この記事の内容にたいする反論を報道している翌日の記事、つまり1959年7月14日付けの『朝日新聞』の記事「外務省発表はデタラメ 徴用者の数 朝鮮総連が反論」は提出していない。
 このような欺瞞は、科学的な歴史叙述においてはもちろん、対裁判所文書においても許されることではない。
 在日本朝鮮人総聯合会中央常任委員会は、同年7月14日に、7月12日に日本外務省が発表した「在日朝鮮人の渡来および引揚げに関する経緯、とくに、戦時中の徴用労務者について」という“白書”は事実に反しており帰国遅延策であるという声明を発表していた。
 2013年6月13日付けの「乙第4号証」の「立証趣旨」に、熊野市は、
   「韓国側の「在日朝鮮人の大半は戦時中に日本政府が強制労働をさせるためにつれてきた」といった中傷に対し、
   外務省が、在日朝鮮人の大半が自由意思で居住し、そのうち戦時徴用された者は245人であると発表したと、
   朝日新聞が報道したこと」
と書いている。これだけを読むと、あたかも外務省が「戦時徴用された者は245人であると発表した」かのようではないか。
 熊野市は、1959年7月13日付けの『朝日新聞』の記事や1959年7月11日付けの外務省の文書などをもちだしてきて、1945年8月以前のことと以後のことをあえてごっちゃにして、
   「「……現在日本政府が本人の意志に反して日本に留めているような朝鮮人は犯罪者を除き1名もいない」と明記さ
   れている」
などと浅はかなトリックをつかってデタラメを書き、裁判所を愚弄し欺こうとしている。
 熊野市は、さまざまな姑息な方法で、日本への朝鮮人強制連行にかんしてあたかも資料にもとづくかのように偽装して偽りの歴史を述べている。
 熊野市は「答弁書」の「証拠説明書」の「乙第5号証」の立証趣旨に、
   「1939年(原文元号)以降も、朝鮮から日本への密航者が続出していたことを朝日新聞が報道していたこと  乙4
   の朝日新聞の記事の基になった外務省の発表内容」
と書いている。「乙第4号証」は、水間政憲著『朝日新聞が報道した「日韓併合」の真実』(徳間書店、2010年7月)の一部分の複写だが、同書は、朝鮮人強制連行にかかわる歴史事実を示すものではないだけでなく、歴史事実を隠蔽し虚偽を叙述しているものである。
 熊野市は、「答弁書」の「第3 請求原因に対する認否」の1の①の「「 紀州鉱山への朝鮮人強制連行」について」において1959年7月11日の外務省の文書を利用しているが、それは、原文ではなく、水間政憲著『朝日新聞が報道した「日韓併合」の真実』からの孫引きであり、誤植もそのまま踏襲されている粗雑なものである。
 被告熊野市は、1952年7月11日付けの外務省の発表「在日朝鮮人の渡来および引揚げに関する経緯、とくに、戦時中の徴用労務者について」を根拠として、日本への朝鮮人強制連行について虚偽を述べているが、大蔵省管理局の文書『日本人の海外活動に関する歴史的調査』(1947年12月ころ作成。1950年までに大蔵省管理局が刊行)の通巻第十冊朝鮮編第九分冊に掲載されている「朝鮮人労務者対日本動員数調」には、1939年から1945年までに72万4787人が「動員」されたと書かれている(82頁)。
 被告熊野市は、「紀州鉱山への朝鮮人強制連行」、「紀州鉱山での朝鮮人強制労働」にかんする歴史的事実を「知らない」としていながら、実際には、「乙第5号証」のような証明力のない「証拠」を利用して歴的事実を歪曲し、熊野市の歴史的・法的責任を逃れようとしている。
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