三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

被害者の恨(ハン)はいつ晴れるか 初めて集会に参加して

2018年10月23日 | 紀州鉱山
 昨年11月18、19日の両日、「李基允氏と裵相度氏の24回目の追悼集会」と「紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する追悼集会」に初めて参加した。
 所謂「木本事件」と三重県への朝鮮人強制連行、紀州鉱山での過酷な強制労働については書物を通して知識としては知っていたが、実際に現場に足を運ぶのは初めてであった。
 虐殺現場を回り、差別戒名が記された墓石を見て、鉱山の周辺を回りながら犠牲となった朝鮮人の方々に一人の朝鮮青年として深い哀悼の意を表した。
 現場に来てみると、当時に思いを馳せ、追体験の努力を傾けるしかないのであるが、異国の地で「鮮人」と蔑まれ、デマによって虐殺され、過酷な労働の果てに無念の死を迎えるしかなかった被害者の悔しさを思うとやりきれない気持ちになると同時に、その事実を隠蔽しようとする様々な動きに対する怒りがさらに強まった。
 学生時代に「木本事件」を知った時、関東大震災での朝鮮人大虐殺から3年もたたないうちに地元である三重でこのような事件が起きていたという事に衝撃を覚えたが、今回集会に参加し、三重県の在日朝鮮人の歴史を少しでも調べてきた者として現場に足を運ぶのが遅くなったことを恥じるともに、この事件が「素朴な愛町心の発露」と記されている事実から、最近の関東大震災の虐殺否定論(「テロ計画からの正当防衛」)の跋扈を含め、様々な妄言が堂々と放たれる現在の社会状況に対する恐怖を覚えた。
 筆者自身が持つ力は微弱ではあるが、この事実をしっかりと記憶し、伝え、絶対に風化させてはならないという事を胸に刻んだ。
 筆者自身は強制連行被害者の子孫ではないが、同じ植民地支配の結果として「在日」する朝鮮人の一人として被害同胞の恨(ハン)が晴れるよう、微力を尽くしていきたい。
 最後に、様々な困難、特に歴史修正主義が蔓延する最近の社会状況の中で、あくまで責任追及の立場を堅持し、被害者の追悼と真相究明の活動を繰り広げられている主催者の方々に心から敬意を表したい。
                                       申正春
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