三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する13回目の 追悼集会に参加して

2021年10月31日 | 紀州鉱山
■紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する  13回目の 追悼集会に参加して■
                                      嶋田 実

 2020年11月22日(日)に開催された「紀州 鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する13回目 の追悼集会」に数年ぶりに参加しました。
 例年ですと土曜日に熊野市で追悼集会を行い、 翌日に紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼す る会の追悼集会を行うパターンでしたが、今 回は新型コロナウィルスの感染防止対策から、 熊野の集会を終え、そのまま紀和町に移動し、 集会を行いました。
 久しぶりに訪れた追悼の場は、だいぶ様変わ りしており、これまで熊野、紀和町の 山々をみていると変わらないことのほ うが多いように思っていましたが、今回 はいろいろな場所で時間が進んでいる ことを感じました。
 追悼の場の道を挟ん だ正面には、道の駅ができており、そこを訪 れていた若い30歳代くらい男性が、追悼集 会で私たちが集まっているのをみて、「何か あるんですか?」と尋ねてきたことが印象的 でした。きっと、向かいの道の駅に来た人が ふらりとこの追悼碑を見に来ることもきっと あるんだろうな、と思いました。 
 今年もこの追悼集会に多くの人にご参加い ただき、多くのコメントをいただきました。 追悼の場を基点として、広がりを感じること ができる追悼集会でした。



■李基允氏と裵相度氏を追悼する27回目の追悼集会■                
                                金靜美
                                                            
 1926年1月3日から、94年と11か月。2020年 11月22日はよく晴れた日だった。 
 ふたりの名前を刻んだ碑石の前で、参加者 はいつもと同じく、花を手向け、献杯し、ひ とりづつ、ことばをつむいだ。 
 碑の前で、あらためて思った。李基允氏 や裵相度氏たちは、家族や同胞とともに、 異郷に来て、 日々の生活は、どんなふうだったろうか? 
 1926年1月3日、日本人住民の襲撃に逃げ まどいながら、どれほどの憤怒にまみれた だろうか? 
 仲間の無残な死に、どのように耐えたのだろ うか? 
 かれらの憤りは、消えさることはない、と 思う。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 円通院から本龍寺へ  紀州... | トップ | 杉浦哲栄さんのこと 2021年7... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

紀州鉱山」カテゴリの最新記事