三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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「抗日独立運動家パク・チェヒョク義士記念式、28日に開催」

2024年08月03日 | 朝鮮史
「The Hankyoreh」 2020-10-21 10:21
■抗日独立運動家パク・チェヒョク義士記念式、28日に開催
 釜山警察署爆弾投擲義挙100周年記念式

【写真】釜山出身の独立運動家、パク・チェヒョク義士=資料写真//ハンギョレ新聞社

 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の拡散によって延期されていた朴載赫(パク・チェヒョク)義士の釜山(プサン)警察署爆弾投てき義挙100周年記念式が、28日に開催される。
 パク・チェヒョク義士記念事業会は20日、「28日午前10時、釜山商工会議所2階の国際会議場で、釜山の独立運動家であるパク義士の釜山警察署爆弾投てき義挙100周年記念式を開催する」と発表した。当初、記念式は先月14日に開かれる予定だったが、新型コロナの拡散が収まらず、延期されていた。
 南区大淵洞(ナムグ・テヨンドン)のアモスアートホールでは、29日夜7時30分に学生・市民招待音楽会「パク・チェヒョクを歌う」が開かれる。釜山国際デザイン祭と連携した学生・青年デザイン体験展と、パク義士特別企画パネル展示も、記念式会場と音楽会場で行われる。
 パク義士は公立釜山商業学校を卒業後、地域で抗日運動を展開。1917年6月に中国の上海へと渡り、1920年4月に義烈団に加入した。パク義士は同年9月14日、釜山警察署で中国人の古書籍商になりすまし、当時釜山警察署長だった橋本秀平への面会を求めた。橋本はパク義士と面談し、パク義士はその場で独立運動家たちを捕らえた橋本の罪をとがめながら爆弾を投げた。橋本は死亡し、パク義士は重傷を負った。
 パク義士は現場で捕まり、大邱(テグ)刑務所に投獄され、1921年3月に死刑を言い渡された。パク義士は「日本の奴らの手で死刑になりたくない」としてハンストに入り、同年5月11日に拷問の後遺症などにより獄中で殉国した。
 パク義士の義挙後の1年間は、国内で日帝の警察署を襲撃する事件が相次いだ。政府は1962年、パク義士に建国勲章独立章を授けた。釜山中区(チュング)は昨年12月、パク義士の義挙を称える表示板を、旧釜山警察署(中区東光洞(トングァンドン))跡の隣の階段に立てている。
キム・ヨンドン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
韓国語原文入力:2020-10-20 14:13


https://japan.hani.co.kr/arti/politics/32137.html「The Hankyoreh」 2018-11-19 07:46
■1932年、永保村の兄弟峰では一体何が?
 無視された永保村の抗日闘士… 
 国家報勲処、審査基準変更し 
 崔炳秀先生など6人、有功者叙勲 
 一つの村に15人…独立運動の聖地に

【写真】1932年陰暦メーデー時、小作権移転に反対するデモが起きた全羅南道霊岩郡徳津面永保里兄弟峰=霊岩文化院提供//ハンギョレ新聞社

 日帝強制占領期間(日本の植民地期)の1931年8月、全羅南道霊岩(ヨンアム)永保村(ヨンボチョン)の青年たちは、10年に及ぶ準備の末「新思想研究会」という秘密結社組織を作る。1919年の3・1運動以後、いわゆる“文化統治”という名前で一層巧妙化した日帝の弾圧に抵抗するためだ。翌年1932年の陰暦メーデーの6月4日、これらの青年70人あまりは、永保村の裏山の兄弟峰(ヒョンジェボン)で山遊会を装って集結した。彼らは日帝に向かって「この地から出て行け」、「田畑をよこせ」と叫び村に向けて行進した。これに対し村の農民たちが加勢した。日帝は、デモ隊のうち100人あまりを逮捕し、このうち67人を裁判に付して最高5年までの重刑を宣告した。この事件は当時、新聞に「永保村兄弟峰事件」として80回ほど報道され、全国から注目を集めた。
 農民の抗日デモが起きた霊岩の永保村が、独立運動の聖地に浮上している。国家報勲処は最近、この村出身の崔炳秀(チェ・ビョンス)、崔東林(チェ・ドンニム)、シン・ヨンジュ・シン・ヨンジョム先生など6人を独立有功者として追叙した。彼らは今まで社会主義系という理由で叙勲から排除されていたが、審査基準が変わり遅れて有功者になった。報勲処は6月「社会主義活動参加者も北朝鮮の政権樹立に寄与していないならば褒賞する」と審査基準を変えた。これにより、この村出身の独立有功者は計15人に増えた。一つの村から叙勲者がこれほど多く出た事例は、独立運動史で珍しいという。

【写真】国家報勲処が17日、独立有功者に認定した崔炳秀先生の功績調書=報勲処提供//ハンギョレ新聞社

 今回独立褒章が叙勲された崔炳秀先生(1906~1965)は、当時27歳でデモの中心に立ち、1年7カ月の獄苦を体験しなければならなかった。彼は朝鮮戦争当時、北側が占領した時に霊岩の「内務署長」(警察署長)を務めた経歴のために、今まで褒賞審査に上がれなかった。彼は2015年8月12日、日本大使館前で開かれた水曜集会で焼身して亡くなったチェ・ヒョンヨル氏の父親だ。息子のヒョンヨル氏は、現場に「正しい歴史を手にするなら、戦う方法を知り、死ぬ方法も知らなければならない」という遺書を残した。
 シン・ヨンジュ(1906年生)・ヨンジョム(1910年生まれ)兄弟は、メーデーデモに揃って参加し1年以上収監される苦難に遭った。だが、朝鮮戦争当時、農民同盟員だった経歴があるとか、独立運動以後の行跡が明らかでないとの理由で忘れられた存在として残され、一歩遅れて独立有功者になった。
 チェ・ユンホ霊岩農民抗日独立運動記念事業会長(81)は「住民の血の中に火花のような正義感が受け継がれている。当時そろって抗日闘士だったが、58人は正当な評価を受けることができなかった。小さな記念館でも建てて、村の歴史を長く記憶してほしい」と話した。

アン・クァノク記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
韓国語原文入力:2018-11-18 18:03
訳J.S
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