三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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今月22日の裁判(口頭弁論)を前にして 3

2014年05月11日 | 紀州鉱山
■原告準備書面(2)
(三)「以上に反する原告らの主張に対しては争う」について

 「答弁書」の「第3 請求原因に対する認否」の1の①の「「 紀州鉱山への朝鮮人強制連行」について」で、熊野市は、主として外務省の「在日朝鮮人の渡来および引揚げに関する経緯、とくに、戦時中の徴用労務者について」を正確な表題すら示すことができないまま恣意的に引用し、みずからの主張とし、その最末部で、「以上に反する原告らの主張に対しては争う」と述べている。原告は、被告熊野市がこの約束を厳守することを望んでいる。
 被告熊野市は原告の主張にたいして、これを「争う」として、国民徴用令の解釈と朝日新聞の記事にもとづくひとりの国会議員の発言などを手がかりとして朝鮮人の強制連行という歴史的事実の犯罪性を軽減しようとしている。
 被告熊野市は日本植民地支配下の朝鮮から朝鮮人がどのようにして日本の国内に連れてこられ、どのような労働を強いられたのかについてみずから真剣に追究することなく、歴史的事実を隠蔽しようとしている日本外務省の1959年の日韓会談当時のひとつの実証性の希薄な文書を「証拠」として「答弁」している。このような「答弁」は、裁判所を愚弄する犯罪行為である。
 「答弁書」3頁~5頁では、「当時の朝鮮人」を「いうまでもなく日本国民であった」としたうえで、「国民徴用令」によって「徴用」された朝鮮人だけが「徴用労務者」であったかのような欺瞞が述べられており、「募集」・「官斡旋」によって日本で働いた朝鮮人は強制連行されたのではなかったかのようにされている。「徴用」を拒否する者にたいして下される罰則は「日本人でも同様であって、朝鮮人に対してだけではなかったことは言うまでもない」として、朝鮮人が「国民徴用令」にもとづく強制労働に従事させられたことを肯定している。
 熊野市は、他国の主権を侵害し、他国の民衆の人権を踏みにじる行為を正当化し、歴史にたいする無反省な態度に終始している。
 日本政府による朝鮮人強制連行の政策と、戦後その実態が隠蔽されてきた経緯を以下に述べる。

1、日本政府による国家総動員法以降の朝鮮人強制連行政策
 1938年の「国家総動員法ヲ朝鮮、台湾及樺太ニ施行スルノ件(勅令316号)」によって、「国家総動員法」が朝鮮で「施行」された(朝鮮総督府企画室編纂『朝鮮時局関係法規 全』〈台本1938年10月~追録15号1944年9月〉参照)。
 この「国家総動員法」を前提にして、1939年7月4日に日本政府は1939年度の「労務動員実施計画綱領」を閣議決定した。そこでは、
   「朝鮮人の労力移入を図り適切なる方策の下に特に其の労力を必要とする事業に従事せしむるものと
   す」(第13条)
とされていた。朝鮮人の日本への連行(「労力移入」)は、閣議決定により国民国家日本の政策として実施された。それは、「従事せしむるもの」という強制的なものであった。
 1939年7月28日に、「朝鮮人労務者内地移住に関する方針」、「朝鮮人労務者募集要綱」(内務・厚生両次官名義の依命通牒)がだされ、「募集」方式での朝鮮人の日本への労働者としての連行が開始された。
 アジア太平洋戦争開始2か月後、1942年2月に日本政府は「朝鮮人労務者活用に関する方策」を閣議決定し、「官斡旋」方式での朝鮮人の日本への労働者としての連行を開始した。
 厚生省が提出した1943年の第84回帝国議会参考資料文書によれば、朝鮮人の日本への連行実施にあたり、厚生省、拓務省、朝鮮総督府が協議し「具体的移入要項」を決定し、「朝鮮人労務者募集要綱」を地方長官に通牒している。「特に其の労力を必要とする事業」(軍需指定事業)の事業主は、「移入許可申請」を職業指導所に提出し、日本政府の許可のもとで朝鮮人を日本に連行している。
 1944年9月に日本政府は「半島人労務者ノ移入ニ関スル件」を閣議決定し、「徴用」方式での朝鮮人の日本への労働者としての連行が開始された。
 「募集」方式での朝鮮人の日本への労働者としての連行、「官斡旋」方式での朝鮮人の日本への労働者としての連行、「徴用」方式での朝鮮人の日本への労働者としての連行のいずれも、朝鮮人の自由意志にもとづくものではなく、強制力の強度の違いはあったが、強制的な連行であった。

2、戦後における日本政府の朝鮮人強制連行にかんするずさんな調査
 日本政府は、現在にいたるまで、朝鮮人強制連行にかんする具体的な調査をほとんどおこなっておらず、関係文書も十分には公開しておらず、特に重要な基本文書は隠蔽しており、強制連行した朝鮮人やその遺族に謝罪も賠償もしていない。
 そのような状況のなかで、2010年3月10日、衆議院外務委員会で自民党議員のひとりが、1959年7月11日付けの外務省文書「在日朝鮮人の渡来および引揚げに関する経緯、とくに、戦時中の徴用労務者について」をとりあげ、
   「もしも、この外務省発表資料の記載が正しければ、いわゆる「強制連行」なる事実はなく、「同じ日
   本国民としての戦時徴用」と呼ぶべきだということになります」、
   「また、「戦時中に徴用労務者として日本内地に来られて、戦後も日本に残留された在日韓国人数」は19
   59年(原文元号)時点で245人のみとなっており」、「強制連行」を根拠に、現在では46万9415人も居られ
   る在日永住韓国人に参政権を付与しようとする原口総務大臣などの主張は筋が通らないということにもな
   ります」、
と発言している。この発言は、翌日の『産経新聞』で報道され、その直後から、朝鮮人強制連行という事実はなかったといういつわりの歴史を主張する日本人によって、1959年7月13日付けの『朝日新聞』東京版朝刊記事「大半、自由意志で居住 外務省、在日朝鮮人で発表 戦時徴用は245人」とともにネット上などで流布された。
 しかし、その後、日本政府は2010年7月1日の閣議で、「245人にすぎない」とした1959年7月の外務省発表について「詳細について確認することができないため、お答えすることは困難である」とする答弁書を決定した。日本政府は、現在、朝鮮人の強制連行について詳細な調査を行っていないために強制連行された朝鮮人の数を回答することができないのである。
 被告熊野市も、みずから朝鮮人強制連行・強制労働にかんする歴史的事実を追究しようとせず、それどころか歴史を偽造しようとする日本人の言説を利用し、歴史の偽造に加担している。
 日本政府と被告熊野市は朝鮮人強制連行の歴史的事実を調査せず、事実を隠蔽し、謝罪も賠償もしていないが、これにたいして韓国政府は、強制連行された朝鮮人とその遺族に日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会などの調査にもとづいて、「慰労金」を払っている。
 日本政府が事実調査を回避しつづけ、基本資料を隠蔽していることもあって、「募集」方式、「官斡旋」方式、「徴用」方式での朝鮮人連行の実態を明らかにするためには、被害者やその遺族などからの証言を聞かせてもらうことが重要である。また、加害者から事実を話してもらうことも重要である。
 原告らは、紀州鉱山に強制連行された朝鮮人本人、および石原産業の関係者から証言を聞き取り、強制連行・強制労働の事実を明らかにしたうえで、日本がその歴史的責任を取るべきことを訴えて、朝鮮人犠牲者の追悼碑を建立したのである。
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