http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2019/12/13/2019121380113.html
「朝鮮日報日本語版」 2019/12/15 06:05
■「彼らを地獄へ送る手助けをしたという後悔がある」
「北送船に乗った瞬間、在日韓国人にとっては地獄が始まったのです。当時は日本のあらゆる新聞やテレビが、北朝鮮は地上の楽園だと宣伝していて、そのことが分かりませんでした」。
1959年から在日韓国人の北送船が新潟港をたつたびに現場を取材し、「新潟協力会ニュース」を作って配ってきた小島晴則さん(88)=写真=は、悔恨に満ちた姿だった。小島さんは3年前、北送事業が行われた現場を伝える『写真で綴(つづ)る北朝鮮帰国事業の記録 帰国者九万三千余名 最後の別れ』というタイトルの資料集を出版した。
新潟市の自宅で会った小島さんは「結果的には私が彼らを地獄へ送る手助けをした、という悔やみがある」と語った。
共産党員だった小島さんは、在日朝鮮人帰国協力会の新潟支部で事務局長を務め、「新潟協力会ニュース」の実質的な編集長として活動した。「月に3回ほど帰還事業関連の新聞を発行した。新潟港から去っていく彼らを写真に撮り、記事を書き、およそ5000部を刷って各界に送った」
小島さんが変わったのは、60年代に3週間、北朝鮮を訪れた後からだ。「北朝鮮の体制は、豊かに暮らしているというけれど、そうではなかった。人の顔はうそをつかない。行って、会ってみると、みんな栄養失調の顔をしていた」。小島さんは戻ってきて、帰国協力会の活動をやめた。共産党からも脱党した。97年からは、北朝鮮によって拉致された女子中学生の横田めぐみさん救出のため活動している。
小島さんは、在日韓国人北送事業が日本社会でこのまま忘れられてはならないという思いから、自分が編集していた新聞と写真を集め、資料集を出した。
小島さんは「帰還事業は在日韓国人だけでなく、日本人妻や子ども、およそ6000人も関連している事件」だとして「日本人拉致問題だけが重要なのではない。9万人が地獄にいるのに知らないふりをしたら、安倍首相は嘲笑されるだろう」と語った。
新潟=李河遠(イ・ハウォン)特派員
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2019/12/13/2019121380111.html
「朝鮮日報日本語版」 2019/12/15 06:04
■帰還事業を積極支持した日本政府、責任は徹底回避
9万3000人の在日韓国人が1959年から25年間にわたって北朝鮮へ送られた事件は、北朝鮮政府が引っ張り日本政府が後押しした、希代の人権じゅうりん事件だ。とりわけ1950年代末、日本の体制側は「植民支配に怨恨を抱く韓国人を一人でも多く日本の地から出ていかせるのがいい」という判断の下、北朝鮮の「帰還事業」を積極的に支持した。日本の共産党から自民党まで、日本の言論メディアから社会団体まで乗り出して、在日韓国人を北朝鮮へ送ることに熱心だった。
その後、北送された在日韓国人はもちろん、日本人妻やその子どもらおよそ6000人も差別待遇を受け、苦痛に満ちた生活を送ったことが確認されたが、日本政府は微動だにしない。「全ては在日韓国人の自由意志によって進められた」として顔を背けている。
日本政府だけでなく裁判所も、彼らの被害救済に消極的だ。在日韓国人北送事業で北朝鮮へ渡り、その後脱北した被害者5人が、昨年8月に金正恩(キム・ジョンウン)政権を相手取って日本の裁判所に損害賠償請求訴訟を起こした。「北朝鮮が『地上の楽園』だと偽った『帰還事業』に参加して人権を抑圧された」として、日本の裁判所に訴え出たのだ。5人は北朝鮮で十分な食料の配給が受けられず、出国を禁止され、人権をじゅうりんされたと主張し、北朝鮮の金正恩政権に総額5億円の賠償を要求した。
北送事業の被害者を支援している日本人弁護士らによると、日本の裁判所内部には、この訴訟を受け入れるべきだという雰囲気があるという。日本で2009年に制定された「外国等に対する我が国の民事裁判権に関する法律」により、北朝鮮は未承認国であって「国家免除」を受けられる外国に該当せず、裁判は可能だという。また、北朝鮮が詐欺行為で在日韓国人を連れていった後、出国を許さなかったことは一種の拉致であって、民法上の不法行為の時効は適用されないと判断しているという。
北朝鮮に抑留され拷問の後遺症で死亡した米国の大学生オットー・ワームビアさんの両親が昨年、米国の裁判所に起こした損害賠償請求訴訟が認められた点も、前向きな変数だ。当時、米国の裁判所は金正恩政権の責任を問い、5億ドル(現在のレートでおよそ540億円)の損害賠償を命じた。
こうした雰囲気を基に、今年初めから裁判が始まる可能性が高いという見込みが出ていたが、裁判が始まるかどうかは依然として不透明だ。東京の消息筋は「韓国の裁判所が、全ての事案に関与する司法積極主義を信奉しているのとは異なり、日本では司法消極主義がまん延していて、日本の裁判所は日本政府の顔色をうかがっているらしい」と語った。これに先立ち、在日韓国人の脱北者が在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)を相手取って類似の訴訟を起こしたが、証拠不十分などを理由に裁判は開かれなかった。
東京=李河遠(イ・ハウォン)特派員
https://japanese.joins.com/JArticle/260697
https://japanese.joins.com/JArticle/260698
「中央日報日本語版」 2019.12.19 10:12
■【コラム】在日同胞の北送事業…北朝鮮演出、朝鮮総連主演、日本政府助演の「巨大詐欺」
【写真】1959年12月14日、北送在日同胞の第1陣を乗せて新潟港を離れる準備をしているソ連の船舶トボリスク。この日から1984年までに約9万3000人余りの在日同胞が新潟港を通じて北朝鮮に渡っていった。[中央フォト]
文在寅(ムン・ジェイン)大統領が今月初め、檮オル(トオル)金容沃(キム・ヨンオク)氏の『統一、青春を語る』という本を読んだ後、国民に一読を勧めた。柳時敏(ユ・シミン)氏のYouTubeチャネル「アリレオ」に出演して大胆な内容を整理したのだ。大統領の推薦もあり、この本を買って読んでものの、84ページからなかなか先に進まず、何度か繰り返し読んだ。北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長の母親である高容姫(コ・ヨンヒ)が在日同胞出身であることを話している途中に出てくるのがこの部分だ。
▼柳時敏(ユ・シミン)=「北送船に乗った人々のほとんどは故郷が南側の人々なのに、なぜそれほど多くの人々が北朝鮮に移住することになったか理解ができません」
▼金容沃=「我々が知らなければならないことは北送船には全く強制性はなかったということです。(中略)冷戦体制下で資本主義国家から社会主義国家に民族大移動が行われた唯一の事例といいます。(中略)当時日本に住んでいた朝鮮人の立場から見る時、北朝鮮社会が韓国社会よりも道徳性があり、暮らしの条件も魅力があると感じられたということです。このような歴史を私たちは客観的に反すうしなければなりません」
▼柳時敏=「ああ、本当に重要なことをおっしゃられています」
北送僑胞の選択は、地域別割当量を充足するための朝鮮総連幹部の督促ないし強権が一部あったとは言っても、形式上では「自発的」なやり方で行われた。「新生社会主義祖国建設」の一員になるという使命感、ないしは愛国心を持つ者もいただろう。
だが、それよりも多くの絶対多数は誰でもお腹いっぱいに食べられ、教育と医療費が全額無償という宣伝に惑わされてて右も左も分からない土地に向かった。金容沃氏の話のように、僑胞が向かった朝鮮民主主義人民共和国は「道徳的で魅力的な国」だっただろうか。彼らは自身の選択を後悔せずに北朝鮮で幸せな生活を送っただろうか。北送はたとえ強制動員でなかったとしても、その本質は「巨大な詐欺」だった。北送僑胞出身の脱北者に数人会っただけでも難なく確認することができる。
◆北送在日同胞脱北者とのインタビュー
満60年前の1959年12月14日、在日同胞975人を乗せた帰国船第1陣が日本の新潟港を出発して清津(チョンジン)へ向かった。北朝鮮が「帰国事業」と呼んだ北送の開始だった。1984年までに計9万3339人が北送船に乗った。初期の1960年36次北送船に高知県の僑胞2世の少年ムン・ジュヒョン(現在71歳)も含まれていた。17日、2000年に脱北してソウルに住んでいるムン氏に会った。
「北朝鮮はお金が必要ない社会だと宣伝していて、私もそう信じていた。誰でも商店で必要な物を必要なだけ持ち出して使う社会だと思った。そのような思いは清津港に到着した瞬間から崩れた。荒野に何もない市内の様子、歓迎に出てきた学生たちの身なりが日本とはあまりにも違いすぎた。『間違って来てしまった』と当惑していた父の表情を忘れることができない」
--北朝鮮に行ったことを後悔してずっと生きてきたのか。
「私は水泳選手になるという夢があったので北朝鮮行きに反対したが、父は『祖国で水泳すればいいじゃないか』と言った。なんと、清津どころか平壌にもプールがなかった。『私をなぜ連れてきたのか』と恨んで、1カ月間、父としゃべらなかったこともある。父も後悔のうちに生き、そして亡くなった。『父はどこへ行っても訴える場所もないのだから、あなたが理解して許してあげなさい』という母の言葉が忘れられない」
--生活はどうだったか。
「私たちは他の人に比べれば苦労をあまりしないで豊かな暮らしをしたほうに属する。母が持ってきた日本製のセイコー時計50個のおかげだ。生活が困るたびにそれを幹部や軍将校にこっそりと売った。事務職で仕事をしていた父の月給が1ウォン60銭だった時期に北朝鮮のお金300ウォンを受け取った。母は『地上の楽園というから来たのに、資本主義社会で一生懸命働いて稼いだものを売って生きていかなければならないのが残念だ』と言った。50個が底をついた後は、日本に残った親戚が訪問団として来るたびに時計を持ってきた。僑胞の中にはすべてのものが無償という話だけを信じて布団さえ持たないで来た人々がいたが、その生活は本当にみじめだった」
--在日同胞は北朝鮮でも差別を受けたというのは事実か。
「初めはなかったが、1976年ごろから都市から追い出された人が多い。金日成(キム・イルソン)の写真が乗せられた新聞を折りたたんで保管したなどの理由だったが、私も阿吾地(アオジ)炭鉱に行って製炭工として働いたことがある。日本に残っていた親戚の中で朝鮮総連の幹部をしていた人が1980年に平壌『光復通り』造成事業をする時に日本円で1000万円を寄付し、私たち家族のゆくえを探して阿吾地まで訪ねてきた。その時に100万円を手に握らせてくれながら『もうすぐいいことがある』と言い、その1~2カ月後に清津に戻った」。
【写真】北送船出港を報道した日本新聞の記事には「希望」という単語が登場する。東京の在日韓人歴史資料館示物。イェ・ヨンジュン記者
ムン氏の証言は大田(テジョン)に住むイ・チャンソン氏やソウルに居住後亡くなったオ・スリョン氏など筆者が接した他の在日同胞出身の脱北者の証言と大同小異だ。今まで在日同胞脱北者200人余りが日本に戻り、韓国にはそれよりも若干少ない人々が暮らしているといわれている。彼らの一部は北送事業に協力した日本政府を相手に損害賠償訴訟を起こした。国交がなかった北朝鮮と日本政府に代わって両方の赤十字社が締結した協定により北送事業が行われた。
少数民族としては過度に高い在日同胞の存在に負担を感じた日本政府は北送事業に積極的に協力した。岸信介内閣の1959年決定文には「在日朝鮮人は治安上問題となり、財政的に負担になっている」という表現が出てくる。治安・財政負担というのは、当時在日同胞の生活保護対象者の比率(4人に1人の割合)が日本人の8倍に達して社会主義指向が強かった事実を示すものだ。日本メディアも批判から自由ではない。北朝鮮当局の招待を受けて現地を取材をした日本の記者たちは北朝鮮が見せるものだけを見て帰ってきて『地上の楽園』宣伝に同調するような内容のルポ記事を相次いで掲載した。
北朝鮮の実状はメディアでなく、ムン氏の父親のように「だまされた」と気づいて僑胞が日本に残っていた家族に送った手紙を通じて知らされた。北朝鮮当局の検閲を経て配達された手紙は「聞いていた通り祖国は地上の楽園だ」という称賛一色だった。だが、残った家族は事前に約束した暗号で真実を知った。「私が到着した後、手紙を縦書きで送ったら残った家族も一日も早く帰国船に乗り、横書きで送ったら絶対に来るな」。不幸にも残った家族が受け取った手紙は横書きだった。このような手紙もあった。「ここでの生活は日本の○○○のように豊かだ」。手紙に書かれた○○○は日本貧民街の地名だった。
北朝鮮では在日同胞の北送事業がどのように知られているのだろうか。太永浩(テ・ヨンホ)前駐英北朝鮮大使館公使に聞いたところこのような答えが返ってきた。
「東西体制の競争が激しかった時期、東ドイツから西ドイツに脱出する人が多かった。社会主義陣営全体の体制優越性を傷つけることだった。同じ分断国家である韓国で逆の状況を作り出せばこれを挽回することができた。そのためソ連が北送を積極支援することになった。僑胞が乗った帰国船もソ連の船だった。だが、北朝鮮で在日同胞は高い地位に上がることはできなかった。知識人出身も行政職程度に終わり、党員になるのは難しかった。私が働いていた外務省にも在日同胞はいなかった。資本主義生活を経験したせいで金日成の唯一領導体制にうまく従うことができなかったためだ。中学校の友人の中にも僑胞はいたが、北朝鮮式会議の進め方に慣れなくて自分の意見を正直に話して注意を受けていた」
要するに、北送事業は体制優越性を国際的に誇示したかった北朝鮮と朝鮮総連、犯罪率が高く社会主義に傾倒した潜在的危険集団を『整理』したかった日本政府が主犯と従犯、共犯として加担して広がった『詐欺』だった。北朝鮮の宣伝にだまされて巧妙に演出された集団狂気に巻き込まれて不帰の海峡を渡った9万3000人は巨大詐欺の被害者だった。彼らの屈折した人生に対する一抹の憐憫でもあるなら、金容沃氏のような発言を公然とすることはできないだろう。
ただ北送事業に関する記述だけでなく、金容沃氏の著書には大韓民国の正統性を問題視して北朝鮮に道徳的優位を置いていると解釈される言及が随所に登場する。個人がどのような歴史観を持ってどのような本を書こうが自由民主主義国家である大韓民国で問題になることはない。だが、そのような歴史観に土台を置いた著書を指して「私たちの認識と知恵を広めてくれる本」という文大統領の推薦には同意することはできない。百歩譲っても北送事業に対する記述だけは「人が先」という大統領が勧めるべき部分ではない。
「朝鮮日報日本語版」 2019/12/15 06:05
■「彼らを地獄へ送る手助けをしたという後悔がある」
「北送船に乗った瞬間、在日韓国人にとっては地獄が始まったのです。当時は日本のあらゆる新聞やテレビが、北朝鮮は地上の楽園だと宣伝していて、そのことが分かりませんでした」。
1959年から在日韓国人の北送船が新潟港をたつたびに現場を取材し、「新潟協力会ニュース」を作って配ってきた小島晴則さん(88)=写真=は、悔恨に満ちた姿だった。小島さんは3年前、北送事業が行われた現場を伝える『写真で綴(つづ)る北朝鮮帰国事業の記録 帰国者九万三千余名 最後の別れ』というタイトルの資料集を出版した。
新潟市の自宅で会った小島さんは「結果的には私が彼らを地獄へ送る手助けをした、という悔やみがある」と語った。
共産党員だった小島さんは、在日朝鮮人帰国協力会の新潟支部で事務局長を務め、「新潟協力会ニュース」の実質的な編集長として活動した。「月に3回ほど帰還事業関連の新聞を発行した。新潟港から去っていく彼らを写真に撮り、記事を書き、およそ5000部を刷って各界に送った」
小島さんが変わったのは、60年代に3週間、北朝鮮を訪れた後からだ。「北朝鮮の体制は、豊かに暮らしているというけれど、そうではなかった。人の顔はうそをつかない。行って、会ってみると、みんな栄養失調の顔をしていた」。小島さんは戻ってきて、帰国協力会の活動をやめた。共産党からも脱党した。97年からは、北朝鮮によって拉致された女子中学生の横田めぐみさん救出のため活動している。
小島さんは、在日韓国人北送事業が日本社会でこのまま忘れられてはならないという思いから、自分が編集していた新聞と写真を集め、資料集を出した。
小島さんは「帰還事業は在日韓国人だけでなく、日本人妻や子ども、およそ6000人も関連している事件」だとして「日本人拉致問題だけが重要なのではない。9万人が地獄にいるのに知らないふりをしたら、安倍首相は嘲笑されるだろう」と語った。
新潟=李河遠(イ・ハウォン)特派員
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2019/12/13/2019121380111.html
「朝鮮日報日本語版」 2019/12/15 06:04
■帰還事業を積極支持した日本政府、責任は徹底回避
9万3000人の在日韓国人が1959年から25年間にわたって北朝鮮へ送られた事件は、北朝鮮政府が引っ張り日本政府が後押しした、希代の人権じゅうりん事件だ。とりわけ1950年代末、日本の体制側は「植民支配に怨恨を抱く韓国人を一人でも多く日本の地から出ていかせるのがいい」という判断の下、北朝鮮の「帰還事業」を積極的に支持した。日本の共産党から自民党まで、日本の言論メディアから社会団体まで乗り出して、在日韓国人を北朝鮮へ送ることに熱心だった。
その後、北送された在日韓国人はもちろん、日本人妻やその子どもらおよそ6000人も差別待遇を受け、苦痛に満ちた生活を送ったことが確認されたが、日本政府は微動だにしない。「全ては在日韓国人の自由意志によって進められた」として顔を背けている。
日本政府だけでなく裁判所も、彼らの被害救済に消極的だ。在日韓国人北送事業で北朝鮮へ渡り、その後脱北した被害者5人が、昨年8月に金正恩(キム・ジョンウン)政権を相手取って日本の裁判所に損害賠償請求訴訟を起こした。「北朝鮮が『地上の楽園』だと偽った『帰還事業』に参加して人権を抑圧された」として、日本の裁判所に訴え出たのだ。5人は北朝鮮で十分な食料の配給が受けられず、出国を禁止され、人権をじゅうりんされたと主張し、北朝鮮の金正恩政権に総額5億円の賠償を要求した。
北送事業の被害者を支援している日本人弁護士らによると、日本の裁判所内部には、この訴訟を受け入れるべきだという雰囲気があるという。日本で2009年に制定された「外国等に対する我が国の民事裁判権に関する法律」により、北朝鮮は未承認国であって「国家免除」を受けられる外国に該当せず、裁判は可能だという。また、北朝鮮が詐欺行為で在日韓国人を連れていった後、出国を許さなかったことは一種の拉致であって、民法上の不法行為の時効は適用されないと判断しているという。
北朝鮮に抑留され拷問の後遺症で死亡した米国の大学生オットー・ワームビアさんの両親が昨年、米国の裁判所に起こした損害賠償請求訴訟が認められた点も、前向きな変数だ。当時、米国の裁判所は金正恩政権の責任を問い、5億ドル(現在のレートでおよそ540億円)の損害賠償を命じた。
こうした雰囲気を基に、今年初めから裁判が始まる可能性が高いという見込みが出ていたが、裁判が始まるかどうかは依然として不透明だ。東京の消息筋は「韓国の裁判所が、全ての事案に関与する司法積極主義を信奉しているのとは異なり、日本では司法消極主義がまん延していて、日本の裁判所は日本政府の顔色をうかがっているらしい」と語った。これに先立ち、在日韓国人の脱北者が在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)を相手取って類似の訴訟を起こしたが、証拠不十分などを理由に裁判は開かれなかった。
東京=李河遠(イ・ハウォン)特派員
https://japanese.joins.com/JArticle/260697
https://japanese.joins.com/JArticle/260698
「中央日報日本語版」 2019.12.19 10:12
■【コラム】在日同胞の北送事業…北朝鮮演出、朝鮮総連主演、日本政府助演の「巨大詐欺」
【写真】1959年12月14日、北送在日同胞の第1陣を乗せて新潟港を離れる準備をしているソ連の船舶トボリスク。この日から1984年までに約9万3000人余りの在日同胞が新潟港を通じて北朝鮮に渡っていった。[中央フォト]
文在寅(ムン・ジェイン)大統領が今月初め、檮オル(トオル)金容沃(キム・ヨンオク)氏の『統一、青春を語る』という本を読んだ後、国民に一読を勧めた。柳時敏(ユ・シミン)氏のYouTubeチャネル「アリレオ」に出演して大胆な内容を整理したのだ。大統領の推薦もあり、この本を買って読んでものの、84ページからなかなか先に進まず、何度か繰り返し読んだ。北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長の母親である高容姫(コ・ヨンヒ)が在日同胞出身であることを話している途中に出てくるのがこの部分だ。
▼柳時敏(ユ・シミン)=「北送船に乗った人々のほとんどは故郷が南側の人々なのに、なぜそれほど多くの人々が北朝鮮に移住することになったか理解ができません」
▼金容沃=「我々が知らなければならないことは北送船には全く強制性はなかったということです。(中略)冷戦体制下で資本主義国家から社会主義国家に民族大移動が行われた唯一の事例といいます。(中略)当時日本に住んでいた朝鮮人の立場から見る時、北朝鮮社会が韓国社会よりも道徳性があり、暮らしの条件も魅力があると感じられたということです。このような歴史を私たちは客観的に反すうしなければなりません」
▼柳時敏=「ああ、本当に重要なことをおっしゃられています」
北送僑胞の選択は、地域別割当量を充足するための朝鮮総連幹部の督促ないし強権が一部あったとは言っても、形式上では「自発的」なやり方で行われた。「新生社会主義祖国建設」の一員になるという使命感、ないしは愛国心を持つ者もいただろう。
だが、それよりも多くの絶対多数は誰でもお腹いっぱいに食べられ、教育と医療費が全額無償という宣伝に惑わされてて右も左も分からない土地に向かった。金容沃氏の話のように、僑胞が向かった朝鮮民主主義人民共和国は「道徳的で魅力的な国」だっただろうか。彼らは自身の選択を後悔せずに北朝鮮で幸せな生活を送っただろうか。北送はたとえ強制動員でなかったとしても、その本質は「巨大な詐欺」だった。北送僑胞出身の脱北者に数人会っただけでも難なく確認することができる。
◆北送在日同胞脱北者とのインタビュー
満60年前の1959年12月14日、在日同胞975人を乗せた帰国船第1陣が日本の新潟港を出発して清津(チョンジン)へ向かった。北朝鮮が「帰国事業」と呼んだ北送の開始だった。1984年までに計9万3339人が北送船に乗った。初期の1960年36次北送船に高知県の僑胞2世の少年ムン・ジュヒョン(現在71歳)も含まれていた。17日、2000年に脱北してソウルに住んでいるムン氏に会った。
「北朝鮮はお金が必要ない社会だと宣伝していて、私もそう信じていた。誰でも商店で必要な物を必要なだけ持ち出して使う社会だと思った。そのような思いは清津港に到着した瞬間から崩れた。荒野に何もない市内の様子、歓迎に出てきた学生たちの身なりが日本とはあまりにも違いすぎた。『間違って来てしまった』と当惑していた父の表情を忘れることができない」
--北朝鮮に行ったことを後悔してずっと生きてきたのか。
「私は水泳選手になるという夢があったので北朝鮮行きに反対したが、父は『祖国で水泳すればいいじゃないか』と言った。なんと、清津どころか平壌にもプールがなかった。『私をなぜ連れてきたのか』と恨んで、1カ月間、父としゃべらなかったこともある。父も後悔のうちに生き、そして亡くなった。『父はどこへ行っても訴える場所もないのだから、あなたが理解して許してあげなさい』という母の言葉が忘れられない」
--生活はどうだったか。
「私たちは他の人に比べれば苦労をあまりしないで豊かな暮らしをしたほうに属する。母が持ってきた日本製のセイコー時計50個のおかげだ。生活が困るたびにそれを幹部や軍将校にこっそりと売った。事務職で仕事をしていた父の月給が1ウォン60銭だった時期に北朝鮮のお金300ウォンを受け取った。母は『地上の楽園というから来たのに、資本主義社会で一生懸命働いて稼いだものを売って生きていかなければならないのが残念だ』と言った。50個が底をついた後は、日本に残った親戚が訪問団として来るたびに時計を持ってきた。僑胞の中にはすべてのものが無償という話だけを信じて布団さえ持たないで来た人々がいたが、その生活は本当にみじめだった」
--在日同胞は北朝鮮でも差別を受けたというのは事実か。
「初めはなかったが、1976年ごろから都市から追い出された人が多い。金日成(キム・イルソン)の写真が乗せられた新聞を折りたたんで保管したなどの理由だったが、私も阿吾地(アオジ)炭鉱に行って製炭工として働いたことがある。日本に残っていた親戚の中で朝鮮総連の幹部をしていた人が1980年に平壌『光復通り』造成事業をする時に日本円で1000万円を寄付し、私たち家族のゆくえを探して阿吾地まで訪ねてきた。その時に100万円を手に握らせてくれながら『もうすぐいいことがある』と言い、その1~2カ月後に清津に戻った」。
【写真】北送船出港を報道した日本新聞の記事には「希望」という単語が登場する。東京の在日韓人歴史資料館示物。イェ・ヨンジュン記者
ムン氏の証言は大田(テジョン)に住むイ・チャンソン氏やソウルに居住後亡くなったオ・スリョン氏など筆者が接した他の在日同胞出身の脱北者の証言と大同小異だ。今まで在日同胞脱北者200人余りが日本に戻り、韓国にはそれよりも若干少ない人々が暮らしているといわれている。彼らの一部は北送事業に協力した日本政府を相手に損害賠償訴訟を起こした。国交がなかった北朝鮮と日本政府に代わって両方の赤十字社が締結した協定により北送事業が行われた。
少数民族としては過度に高い在日同胞の存在に負担を感じた日本政府は北送事業に積極的に協力した。岸信介内閣の1959年決定文には「在日朝鮮人は治安上問題となり、財政的に負担になっている」という表現が出てくる。治安・財政負担というのは、当時在日同胞の生活保護対象者の比率(4人に1人の割合)が日本人の8倍に達して社会主義指向が強かった事実を示すものだ。日本メディアも批判から自由ではない。北朝鮮当局の招待を受けて現地を取材をした日本の記者たちは北朝鮮が見せるものだけを見て帰ってきて『地上の楽園』宣伝に同調するような内容のルポ記事を相次いで掲載した。
北朝鮮の実状はメディアでなく、ムン氏の父親のように「だまされた」と気づいて僑胞が日本に残っていた家族に送った手紙を通じて知らされた。北朝鮮当局の検閲を経て配達された手紙は「聞いていた通り祖国は地上の楽園だ」という称賛一色だった。だが、残った家族は事前に約束した暗号で真実を知った。「私が到着した後、手紙を縦書きで送ったら残った家族も一日も早く帰国船に乗り、横書きで送ったら絶対に来るな」。不幸にも残った家族が受け取った手紙は横書きだった。このような手紙もあった。「ここでの生活は日本の○○○のように豊かだ」。手紙に書かれた○○○は日本貧民街の地名だった。
北朝鮮では在日同胞の北送事業がどのように知られているのだろうか。太永浩(テ・ヨンホ)前駐英北朝鮮大使館公使に聞いたところこのような答えが返ってきた。
「東西体制の競争が激しかった時期、東ドイツから西ドイツに脱出する人が多かった。社会主義陣営全体の体制優越性を傷つけることだった。同じ分断国家である韓国で逆の状況を作り出せばこれを挽回することができた。そのためソ連が北送を積極支援することになった。僑胞が乗った帰国船もソ連の船だった。だが、北朝鮮で在日同胞は高い地位に上がることはできなかった。知識人出身も行政職程度に終わり、党員になるのは難しかった。私が働いていた外務省にも在日同胞はいなかった。資本主義生活を経験したせいで金日成の唯一領導体制にうまく従うことができなかったためだ。中学校の友人の中にも僑胞はいたが、北朝鮮式会議の進め方に慣れなくて自分の意見を正直に話して注意を受けていた」
要するに、北送事業は体制優越性を国際的に誇示したかった北朝鮮と朝鮮総連、犯罪率が高く社会主義に傾倒した潜在的危険集団を『整理』したかった日本政府が主犯と従犯、共犯として加担して広がった『詐欺』だった。北朝鮮の宣伝にだまされて巧妙に演出された集団狂気に巻き込まれて不帰の海峡を渡った9万3000人は巨大詐欺の被害者だった。彼らの屈折した人生に対する一抹の憐憫でもあるなら、金容沃氏のような発言を公然とすることはできないだろう。
ただ北送事業に関する記述だけでなく、金容沃氏の著書には大韓民国の正統性を問題視して北朝鮮に道徳的優位を置いていると解釈される言及が随所に登場する。個人がどのような歴史観を持ってどのような本を書こうが自由民主主義国家である大韓民国で問題になることはない。だが、そのような歴史観に土台を置いた著書を指して「私たちの認識と知恵を広めてくれる本」という文大統領の推薦には同意することはできない。百歩譲っても北送事業に対する記述だけは「人が先」という大統領が勧めるべき部分ではない。
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