三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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「略奪した日本が「返してほしい」…日本から盗んできた金銅仏像の所有権で紛争」

2020年05月12日 | 韓国で
https://japanese.joins.com/JArticle/265530?servcode=A00§code=A10
「中央日報日本語版」 2020.05.03 13:21
■略奪した日本が「返してほしい」…日本から盗んできた金銅仏像の所有権で紛争
窃盗犯が日本の対馬から盗んできた高麗時代の仏像の所有権をめぐる控訴審裁判が再開された。1審で裁判所はもともと仏像があった韓国の寺の所有を認めたが、国に代わり検察が控訴し2審裁判が進行中だ。
 大田(テジョン)高裁民事1部は忠清南道瑞山(チュンチョンナムド・ソサン)の浮石寺(プソクサ)が国(韓国)を相手に提起した有体動産(金銅観音菩薩坐像)引き渡しをめぐる控訴審公判を先月28日に開いた。公判が再開されたのは昨年6月25日に弁論準備手続きを終えてから10カ月ぶりだ。
 裁判は2016年6月に浮石寺が対馬の寺で盗難に遭った後韓国に持ち込まれた観音菩薩坐像の所有権を主張して始まった。浮石寺は「仏像を持ち主に返してほしい」として裁判所に民事訴訟を提起した。
 1審を担当した大田地裁が2017年1月に「これまで進めた弁論と仏像に対する現場検証を通じ仏像は浮石寺所有と推定される。歴史的・宗教的価値を考慮すると仏像を原告である浮石寺に引き渡す義務がある」と判決した。
 当時裁判所は「贈与と売買など正常な方法ではなく盗難・略奪などの方法で対馬に移された後に安置されたと推定される。高麗史にも仏像が製作された1330年以降に倭寇が瑞山地域に侵入した記録が残っている点も略奪の根拠とみることができる」と明らかにした。
 浮石寺と信徒は歓迎したが、国に代わって訴訟を引き受けた検察は判決に不服として控訴した。「仏像が浮石寺所有なのかを明確にしなければならない」という名分を掲げたが、本音は日本との外交的摩擦を懸念した措置だった。
 観音菩薩坐像が窃盗犯によって韓国に持ち込まれた事実が明らかになると日本政府は多様な外交チャンネルを通じ仏像返還を要求した。1審判決直後には日本の菅義偉官房長官が「こうした判決が下されたことはきわめて遺憾」として抗議することもした。
 現在仏像は大田にある文化財庁国立文化財研究所に保管中だ。1審判決直後に検察は裁判所に「金銅観音菩薩坐像仮執行引き渡し強制執行停止申請」を出した。浮石寺に返した場合には毀損の可能性があり、控訴審や大法院(最高裁)で判決が覆された場合に仏像の回収が困難になると判断したためだ。裁判所は検察の主張が妥当と判断し申請を認めた。
 10カ月ぶりに再開された控訴審公判には浮石寺側弁護士と政府代理人である検察(大田高検)関係者らが参加した。控訴審裁判所は仏像と縁結文(信徒の仏心を入れる腹蔵記録物)の真贋を確認するため専門家を呼び法理的争点を整理する方針だ。仏像の試料を採取し、正確な製作年度も確認することにした。次の公判は6月9日に同じ大田高裁で開かれる。
 対馬の観音寺にあった金銅観音菩薩坐像は高さ50.5センチメートル、重さ38.6キログラムで、14世紀初期に製作されたと推定される。1973年に日本で文化財に指定された。浮石寺は仏像が1300年代末に倭寇に略奪された後、1526年ごろ観音寺に安置されたとみている。
 2012年10月当時68歳の男ら文化財窃盗団4人は対馬の観音寺などに侵入し、観音菩薩坐像と銅造如来立像の仏像2点を盗み韓国に持ち込んだ。これを知った日本政府がインターポールを通じて協力を要請し、警察が窃盗団を検挙した。警察が回収した仏像2点のうち銅造如来立像は2016年7月に日本に返還された。
 浮石寺の元住職の円牛(ウォンウ)僧侶は「日本政府も自分たちの所有を主張できる根拠や資料を立証できない状況。観音菩薩坐像に対する保存処理がされておらず損傷が進んでいるため早急な判決が必要だ」と話した。


http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2020/04/29/2020042980043.html
「チョソン・ドットコム/朝鮮日報日本語版」 2020/04/29 10:30
■韓日の金銅仏像所有権訴訟が10カ月ぶりに再開、「結縁文」の真偽が争点
 韓国の文化財窃盗団が日本から韓国に持ち込んだ高麗時代の金銅観音菩薩坐像の所有権を巡る裁判が再開された。
 大田高裁民事1部は28日午前、忠清南道瑞山市にある大韓仏教曹渓宗浮石寺が韓国政府を相手取り、有体動産である仏像の引き渡しを求めて起こした訴訟の控訴審を開いた。
 問題の仏像は韓国人窃盗犯が8年前の2012年10月、日本の長崎県対馬市にある観音寺から盗み、韓国に持ち出したものだ。浮石寺側は仏像内部から発見された「結縁文」(信徒による奉納目的が記された文)を証拠とし、「倭寇に略奪されたことが確実であり、我々に返還されるべきだ」と主張している。
 結縁文には「1330年ごろ、瑞州(現在の瑞山)にある寺刹(じさつ)に奉安するために仏像を製作した」と書かれている。
 2017年1月に一審は結縁文と歴史書などに基づき、仏像を原告に引き渡すよう求める原告勝訴の判決を言い渡した。日本は判決後、外交ルートを通じ、韓国政府に遺憾を表明して抗議し、返還を要求している。
 裁判は一審判決後、被告の国が控訴し、3年間続いている。日本からの文書による回答が遅れ、裁判日程が先送りされた。
 今回の控訴審は昨年6月25日に弁論準備手続きを完了してから10カ月ぶりに開かれた。その間、担当判事の構成が変わり、検察側の訴訟代理人(検事・公益法務官)も6人以上が交代した。
 控訴審では裁判所が仏像と結縁文の真偽を判断するため、今後の審理で原告と被告が推薦する専門家に出廷を求め、法理的な争点を整理する一方、仏像からサンプルを採取し、正確な製作時期を推定する計画だ。
 浮石寺の元住持(住職)の僧侶ウォンウ氏は「裁判が始まって5年が経過したが、裁判所が速やかに判決を下す意思を示したものと受け止めている。現在大田国立文化財研究所にある仏像は酸化防止処理がなされておらず、さびた仏像を保護するためにも速やかに判決が確定することを望む」と述べた。
 次回の審理は6月9日に開かれる。
            チョン・ミンハ記者


https://jp.yna.co.kr/view/AJP20200427004500882?section=news
「聯合ニュース」 2020.04.28 06:00
■対馬の盗難仏像巡る控訴審 きょう再開=一審は韓国の寺が勝訴
【大田聯合ニュース】長崎県対馬市の観音寺から盗まれ韓国に持ち込まれた仏像「観世音菩薩坐像」(同県指定有形文化財)について、大田高裁は28日午前、所有権を主張する韓国の浮石寺(忠清南道瑞山市)が仏像を保管する韓国政府に引き渡しを求めた訴訟の控訴審を再開する。

【写真】観世音菩薩坐像(瑞山浮石寺仏像奉安委員会提供)=(聯合ニュース)

 昨年6月25日に弁論準備を理由に書類の検討が行われてから約10カ月ぶりとなる。
 原告の浮石寺は、韓国人の窃盗団が2012年に観音寺から盗んで韓国に持ち込んだこの仏像について、数百年前に日本の倭寇(わこう)に略奪されたものだと主張している。17年1月の一審判決では、仏像の中から見つかった記録などを根拠に「浮石寺の所有と十分に推定できる」として同寺への引き渡しが命じられた。
 1951年に仏像から見つかった像内納入品の中には、1330年ごろに瑞州(瑞山の高麗時代の名称)にある寺に奉安するため制作されたと読み取れる内容が記録されていたが、政府側の検察は、記録が実際に高麗時代末期に作成されたことを立証する資料がなく、記録の信ぴょう性は高いとはみなせないなどと主張し、控訴した。
 一審判決を受け、日本側は官房長官の会見をはじめ、様々なルートで韓国政府に遺憾を表明し、返還を要求した。
 控訴審は17年1月の一審判決後、すぐに始まったが、日本側からの文書の返信が遅れ、公判は進まず、昨年は1月8日と6月25日の2回、書類の検討程度が行われた。
 仏像は現在、大田市の国立文化財研究所に保管されている
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