三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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海南島における日本の侵略犯罪  とくに「朝鮮報国隊」について 1

2017年05月27日 | 海南島史研究
■海南島における日本の侵略犯罪  とくに「朝鮮報国隊」について
 해남도에 있어서 일본의 침략범죄  특히 「朝鮮報國隊」에 대해

  1、国民国家日本の歴史は他地域他国侵略の歴史
  2、海南島での朝鮮人強制労働
  3、海南島に日本軍兵士としておくられた朝鮮人
  4、海南島に連行された朝鮮人女性・台湾人女性
  5、「朝鮮報国隊」
      ①、「報国隊」とは
      ②、「朝鮮報国隊」虐殺
      ③、いまも海南島に埋められている朝鮮人
  6、日本の国家犯罪の歴史的責任
  資料 海南島への朝鮮人連行・「朝鮮報国隊」「朝鮮村」

1、国民国家日本の歴史は他地域他国侵略の歴史
 國民國家일본의 역사는 타지역과 타국침력의 역사

 国民国家日本は1868年に形成されはじめた。国民国家形成の過程で日本は植民地と占領地を拡大した。国民国家日本の歴史は、他地域・他国侵略の歴史であった。
 1895年4月、「日清講和条約」によって清国は、日本に台湾・澎湖列島・遼東半島、および3億円をわたした。このとき、宮古・八重山地域(宮古島、石垣島、西表島、与那国島など)も日本の植民地とされた。
 1904年2月8日に、日本陸軍(「韓国臨時派遣隊」)が朝鮮の仁川に上陸し、その翌日、日本海軍が仁川沖のロシア軍艦を奇襲攻撃した。日本は、「日清戦争」のときと同様に「宣戦布告」することなく、ロシアとの戦争を開始した(「宣戦布告」は、2月10日)。
 1905年2月に、国民国家日本は、独島を日本領土とした。日本が独島を略奪し、大韓帝国を植民地化(「乙巳保護条約」受諾強要)したのは、ヘレロ虐殺・マジマジ虐殺の時期だった。日本の独島占領は、国民国家日本の領土拡大の一環であり、アイヌモシリ植民地化、琉球王国植民地化、小笠原諸島領土化、台湾・澎湖島植民地化、八重山諸島植民地化、南鳥島日本領化に続くものであった。
 1905年11月に、日本政府は朝鮮に統監府を設置した。大韓帝国政府が日本正規軍の占領下で内政権、財政権、警察権を侵害され、外交権を奪われた。
 「日清戦争」前後から「日ロ戦争」前後に至る時期は、アメリカ合州国のハワイ・サモア植民地化、フランスのマダガスカル・ダホメ・サモリ帝国植民地化、ドイツの東南アフリカ・マーシャル諸島植民地化、日本・アメリカ合州国・イギリス・ロシア・ドイツ・オーストリア・フランス・イタリア8か国連合軍の中国侵略(義和団戦争)の時期だった。
 東アフリカ民衆がマジマジ戦争を戦っているさ中、1906年に、朝鮮で反日義兵が中心となって独立戦争を開始した(第1次朝鮮独立戦争)。数年にわたる戦いのなかで、大量の武器と弾薬をもって襲撃してくる日本の軍警によって、日本側文書によっても1万7千人を越す朝鮮民衆が殺害された(朝鮮駐箚軍司令部『朝鮮暴徒討伐誌』1913年、附表第二)。朝鮮民衆が第1次独立戦争を戦っている時期に、台湾民衆は1895年以降、抗日反日武装闘争を戦いつづけていた。
 1910年6月22日、日本政府は、拓務局官制を公布した。そこでは、「拓務局は……台湾、樺太、韓国に関する事項を統理す」とされており、この時点ですでに、朝鮮は台湾、樺太と同様に「統理」の対象とされていた。その2か月後、1910年8月に、大日本帝国は大韓帝国を「併合」した。
 第1次世界大戦開始後まもなく、1914年8月に、日本はドイツに宣戦布告し、10月に、ドイツが植民地としていたミクロネシア地域(「マーシャル諸島」、「マリアナ諸島」、「カロリン諸島」)を占領し、12月に軍政をしいた。
 第1次世界戦争は、日本にとっては第1次アジア太平洋戦争であった。この戦争の時期に、台湾では原住民族が日本軍と戦っていた。第1次アジア太平洋戦争と台湾戦争が同時に戦われていた。1914年に台湾戦争で戦死した日本軍兵士は66人、日本人警官は71人であった(靖国神社社務所『靖国神社忠魂史』第5巻)。
 1919年に帝国主義諸国は、国際連盟を利用して、ドイツからとりあげた土地を分配しあった。日本は、ドイツが占領していた太平洋諸島のうち赤道以北のすべての島の「統治」を国際連盟から「委任」され、海軍が軍政を続けた。1922年4月に、日本政府は、軍政を廃止し「南洋庁」を設置した。「南洋庁」はアイヌモシリ植民地機関である北海道庁と同じく内務省が管轄した(1935年に日本拓務省内に「南洋群島開発調査委員会」が設立され、1936年に朝鮮の東洋拓殖株式会社に相当する国策会社である南洋拓殖株式会社が設立された)。
 日本は、1931年7月に、沖之鳥島と名付けた2平方メートルの放置しておけば水没する岩礁を日本の領土とした。現在、日本の最南端とされている岩礁(沖之鳥島)の周囲50メートルをコンクリートで固めている。
 1931年9月に、日本は中国東北部・モンゴル東南部への武力侵略を開始し、1932年3月に「満洲国」を偽造して、支配地域を拡大した。
 1933年1月1日に、日本軍は、長城を越えて中国河北省への軍事侵略を開始した。
 1935年12月25日に、日本政府・日本軍は、傀儡「冀東防共自治政府」をつくり、1937年7月7日の「盧溝橋事件」後、1937年12月14日に華北に傀儡「臨時政府」を、1938年3月28日に華中に傀儡「維新政府」をつくり、1940年3月30日に中国の占領地域の傀儡政府を統合して「中華民国中央政府」をつくった。
 1938年12月23日、日本政府は、海南島のはるか南方の、ベトナム東南方・ボルネオ島北方・フィリピンのパラワン島西方にある「新南群島」を日本領土に編入すると、閣議決定し、天皇ヒロヒトは、12月28日にそれを承認した。
 1939年2月10日に、日本陸海軍が、海南島侵略を開始した。
 1940年7月26日、日本政府は閣議で、日本を中心として「大東亜の新秩序」を建設することを国家の基本方針とするという「基本国策要綱」を決定した。
 1941年12月、日本軍は、マラヤのコタバル、フィリピンのダバオ、ハワイのパールハーバーを、ほぼ同時に奇襲攻撃し、第2次アジア太平洋戦争を開始した。太平洋の島々が戦場となり、多くの住民が日本軍とアメリカ合州国軍に殺された。
 1943年5月に、日本天皇ヒロヒトと日本政府および日本軍中枢は、オランダの植民地とされていたスマトラ島、ジャワ島、ボルネオ島、セレベス島などを「帝国ノ領土ト決定」した(「大東亜政略指導大綱」)。
 1945年1月18日に、最高戦争指導会議は「今後とるべき戦争指導の大綱」を決定し、翌19日に「帝國陸海軍作戦計画大綱」をヒロヒトが承認(裁可)した。この大綱は、「本土決戦」にそなえてオキナワをアメリカ合州国軍との戦場とすることをきめていた。その50日後の3月27日にアメリカ合州国軍がオキナワ上陸を開始し、以後3か月の間に、おおくのオキナワ民衆がアメリカ合州国軍と日本軍に殺された。
 1945年8月14日、日本政府は、ポツダム宣言(日本への降伏要求の最終宣言)を受諾した。この日の夜録音した「終戦の詔勅」で、ヒロヒトは、なおも、第2次アジア太平洋戦争の戦争目的を「帝国の自存と東亜の安定」であったとし、「忠良なる爾臣民」に対して「神州の不滅」を信じることを要求した。
                                        佐藤正人
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