三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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「米軍誤爆 民間犠牲 永遠に埋められるのか」

2017年05月06日 | 韓国で
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/5452.html
「The Hankyoreh」 2010-07-16
■米軍誤爆 民間犠牲 永遠に埋められるのか
 [韓国戦争の陰‘米軍爆撃’]
 60年前の今日、ソウルの空を覆った米爆撃機
 北韓軍 南下 遅らせようと龍山駅近隣施設に爆撃
 学校など大きな被害…真実和解委も‘糾明不能’

 60年前の今日‘龍山爆撃’忘れられた悲劇

 "その時 私は学生でした。すでに60年の歳月が流れたが、そのことは今でも忘れられません。"
 去る12日午後、ソウル市立大図書館で会ったソン・ジョンモク(82)ソウル市立大名誉教授は頭の奥深くから記憶を引き出しながら話を始めた。60年前の1950年6月25日。突然勃発した戦争でソウルは大混乱に陥った。ソウルは戦争がはじまり3日で陥落し、当時140万人に達したソウル市民の大部分は漢江の橋が破壊されたために川の向こう側への避難は思いもよらないまま足止めをくってしまった。
 その時、高麗大学校法学科に編入したばかりの22才のソン教授がいた。7月16日、新堂洞の親戚の家の秘密地下室に隠れ、碧初 洪命熹の<林巨正>を読んでいたソン教授は、勇気を出して大邱大学(現 嶺南大学校)時代から恩師と仰いでいたキム・サムス教授(当時 高大経済学科)の龍山区、厚岩洞の家を訪ねた。午後2時。キム教授の家で昼食のもてなしを受け、家へ帰ろうと現在の安重根記念館(旧 朝鮮神宮跡)付近の稜線にのぼる瞬間だった。
 「突然、けたたましい爆撃機の轟音が轟いたんだ。後を振り返ると、あまりに恐ろしくて、その場にどっかり座り込んでしまった。」北韓軍の南下速度を遅らせようと当時の龍山駅(現在の龍山民間駅ビル)後方にあった鉄道操車場と工作厰を破壊するために出撃した米国極東空軍爆撃機司令部傘下のB-29重爆撃機50機余りがソウル上空を覆っていた。
 攻撃対象は軍事施設だったが誤爆も起きた。キム・テウ ソウル大奎章閣研究教授は「龍山爆撃に対する米軍の作戦命令書などを見れば、当時 米空軍は軍事施設である鉄道操車場を照準爆撃をするとしてはいるが、B-29の誤爆率が高く軍事施設でない民家や官公庁、学校なども大きな被害をこうむったと見られる」と話した。
 龍山爆撃の被害はどの程度だったのだろうか。1950年末、広報処統計局が作成した戦争初期3ヶ月間のソウル市民の死亡・負傷現況によれば、全体死亡者1万7127人の内、4分の1が空襲で死亡した。特に、龍山爆撃の直接被害地域である龍山区は全体死亡者2709人の内の58.6%にあたる1587人が被爆死亡者だと確認された。
 今は人々の記憶から忘れられたが、龍山爆撃は当時の人々に大小の傷を残した。キム・ソンチル ソウル大史学科教授は回顧録で「龍山と隣接している解放村の人々、数千名が猛爆を浴びて無残に死んだ」と書き、小説家イ・ポムソンは作品<誤発弾>(1959年)を通じて、龍山爆撃の衝撃のために精神異常者となった主人公ソン・チョルホの母親の悲劇を告発した。
 キム・ドンチュン前‘真実和解のための過去史整理委員会’(真実和解委)常任委員は「村共同体が残っている地方とは異なり、ソウルは人口移動が多くこの爆撃でどのくらい多くの人々が亡くなり負傷したかは良く分からなかった」として「私たちがすでに忘れてしまった大きな悲劇の一つ」と話した。一方、この事件の遺族2人が真実和解委に真実糾明を申請したが、真実和解委は先月末‘龍山爆撃は軍事上必要だった作戦’として真実糾明不能決定を出した。

キル・ユンヒョン記者、ソン・ジュンヒョン先任記者
原文: http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/430606.html
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