http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2017/05/05/2017050500688.html
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2017/05/05/2017050500688_2.html 「朝鮮日報日本語版」記事入力 : 2017/05/07 06:08
■【コラム】韓国で復権する対日協力「学兵世代」
「なぜ日本の走狗のようなことをする学兵を拒否せず、戦場に行ったのか」「カイロ宣言が出たのは1943年末ごろだった。いかに強い圧力を受けたからといって、日本軍への参加を志願できるのか」
「学兵」出身の作家・李炳注(イ・ビョンジュ)=1920-92=は、こういう追及を受けて実に無念だったらしい。学兵に行かなければ徴用されかねず、カイロ宣言は知らなかったと答えても、受け入れられなかった。「あなたがたの世代が社会で主導権を握っているかぎり、日帝隷属は終わらない」と言い切る者までいた。李炳注は「われわれの世代は、後進に最も信用されない世代だということを知るべきだ」と残念がった。
「学兵世代」とは、植民地時代末期に大学や専門学校へ通い、学兵として日本軍に「志願」入隊した世代のことを指す。年齢層でいえば、1917年から23年までの間に生まれた世代で、生きていれば既に90歳を超えている。43年10月、「半島人学徒特別志願兵制」が公布され、翌年1月から合計4385人が入隊した。当時入隊した張俊河(チャン・ジュンハ)や金俊燁(キム・ジュンヨプ)は、日本の敗戦前後に脱走し、光復軍に合流した。しかし大多数の学兵出身者は、最近まで「日本に協力した反逆加担者」として追われ、非難されてきた。特に60年代後半以降、4・19革命(1960年4月19日。不正選挙に端を発したデモにより、当時の李承晩〈イ・スンマン〉大統領が下野した事件)を起こした世代が知識社会で台頭し、文化面で権力を握るようになると、日本のエリート教育を受けた「学兵世代」を残酷に追い立てた。解放後に正規教育を受けた4・19世代は、自らを日本軍国主義に汚染されなかった最初の世代と自負し、先輩に当たる「学兵世代」を打倒の対象にした。
そんな「学兵世代」の復権が静かに進んでいる。国文学者の金允植(キム・ユンシク)ソウル大学名誉教授は、割と早くから学兵世代の文に注目して研究書を出し、安京煥(アン・ギョンファン)ソウル大学名誉教授は、数年前に学兵出身の黄竜珠(ファン・ヨンジュ)元MBC社長の評伝を書いた。最近ではキム・ゴンウ大田大学教授が、こんにちの韓国を設計して作り上げた主役として「学兵世代」を取り上げた著書『大韓民国の設計者たち』を出版した。政治やメディア、教育、宗教、学術など韓国の枠組みを磨き上げたのが「学兵世代」だというのだ。学兵出身の金寿煥(キム・スファン)枢機卿や張俊河・金俊燁、作家の金声翰(キム・ソンハン)・韓雲史(ハン・ウンサ)、そして彼らと同年代で体験を共有した歴史学者の李基白(イ・キベク)、詩人の趙芝薫(チョ・ジフン)・金洙暎(キム・スヨン)、ジャーナリストの鮮于輝(ソンウ・ヒ)などの汎学兵世代にも併せて注目した。「現代史の孤児」(安京煥)から「親日の反逆加担者」に至るまで、追い立てられてきた「学兵世代」の劇的な逆転だ。
1950年代半ば以降、知識人のアジトと呼ばれてきた雑誌『思想界』は、張俊河・金俊燁をはじめ学兵世代が主導してきた雑誌だ。キム・ゴンウ教授は、李承晩(イ・スンマン)・朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領の独裁を批判した『思想界』グループの共通基盤は「国家と民族の近代化」だったと分析した。『思想界』の全盛期だった4・19前後に主幹を務めた金俊燁は、『思想界』運動について「雑誌のためではなく、近代化運動をやったと考えている」と語った。民主化も、政治的な近代化として理解したという。韓国現代史の主役を産業化勢力と民主化勢力に分けて考える慣行から抜け出し、近代化を共に夢見て実践した、イデオロギー的な同志関係としてとらえているわけだ。
学兵世代の復権は、紆余曲折の多かった現代史を理解しようとする努力が一歩進んだことを示している。そして、夢を実現するため共に努力した記憶の資産を、どのように培っていくべきか-ということを宿題として投げかけた。
文化部=金基哲(キム・ギチョル)部長
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■【コラム】韓国で復権する対日協力「学兵世代」
「なぜ日本の走狗のようなことをする学兵を拒否せず、戦場に行ったのか」「カイロ宣言が出たのは1943年末ごろだった。いかに強い圧力を受けたからといって、日本軍への参加を志願できるのか」
「学兵」出身の作家・李炳注(イ・ビョンジュ)=1920-92=は、こういう追及を受けて実に無念だったらしい。学兵に行かなければ徴用されかねず、カイロ宣言は知らなかったと答えても、受け入れられなかった。「あなたがたの世代が社会で主導権を握っているかぎり、日帝隷属は終わらない」と言い切る者までいた。李炳注は「われわれの世代は、後進に最も信用されない世代だということを知るべきだ」と残念がった。
「学兵世代」とは、植民地時代末期に大学や専門学校へ通い、学兵として日本軍に「志願」入隊した世代のことを指す。年齢層でいえば、1917年から23年までの間に生まれた世代で、生きていれば既に90歳を超えている。43年10月、「半島人学徒特別志願兵制」が公布され、翌年1月から合計4385人が入隊した。当時入隊した張俊河(チャン・ジュンハ)や金俊燁(キム・ジュンヨプ)は、日本の敗戦前後に脱走し、光復軍に合流した。しかし大多数の学兵出身者は、最近まで「日本に協力した反逆加担者」として追われ、非難されてきた。特に60年代後半以降、4・19革命(1960年4月19日。不正選挙に端を発したデモにより、当時の李承晩〈イ・スンマン〉大統領が下野した事件)を起こした世代が知識社会で台頭し、文化面で権力を握るようになると、日本のエリート教育を受けた「学兵世代」を残酷に追い立てた。解放後に正規教育を受けた4・19世代は、自らを日本軍国主義に汚染されなかった最初の世代と自負し、先輩に当たる「学兵世代」を打倒の対象にした。
そんな「学兵世代」の復権が静かに進んでいる。国文学者の金允植(キム・ユンシク)ソウル大学名誉教授は、割と早くから学兵世代の文に注目して研究書を出し、安京煥(アン・ギョンファン)ソウル大学名誉教授は、数年前に学兵出身の黄竜珠(ファン・ヨンジュ)元MBC社長の評伝を書いた。最近ではキム・ゴンウ大田大学教授が、こんにちの韓国を設計して作り上げた主役として「学兵世代」を取り上げた著書『大韓民国の設計者たち』を出版した。政治やメディア、教育、宗教、学術など韓国の枠組みを磨き上げたのが「学兵世代」だというのだ。学兵出身の金寿煥(キム・スファン)枢機卿や張俊河・金俊燁、作家の金声翰(キム・ソンハン)・韓雲史(ハン・ウンサ)、そして彼らと同年代で体験を共有した歴史学者の李基白(イ・キベク)、詩人の趙芝薫(チョ・ジフン)・金洙暎(キム・スヨン)、ジャーナリストの鮮于輝(ソンウ・ヒ)などの汎学兵世代にも併せて注目した。「現代史の孤児」(安京煥)から「親日の反逆加担者」に至るまで、追い立てられてきた「学兵世代」の劇的な逆転だ。
1950年代半ば以降、知識人のアジトと呼ばれてきた雑誌『思想界』は、張俊河・金俊燁をはじめ学兵世代が主導してきた雑誌だ。キム・ゴンウ教授は、李承晩(イ・スンマン)・朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領の独裁を批判した『思想界』グループの共通基盤は「国家と民族の近代化」だったと分析した。『思想界』の全盛期だった4・19前後に主幹を務めた金俊燁は、『思想界』運動について「雑誌のためではなく、近代化運動をやったと考えている」と語った。民主化も、政治的な近代化として理解したという。韓国現代史の主役を産業化勢力と民主化勢力に分けて考える慣行から抜け出し、近代化を共に夢見て実践した、イデオロギー的な同志関係としてとらえているわけだ。
学兵世代の復権は、紆余曲折の多かった現代史を理解しようとする努力が一歩進んだことを示している。そして、夢を実現するため共に努力した記憶の資産を、どのように培っていくべきか-ということを宿題として投げかけた。
文化部=金基哲(キム・ギチョル)部長