三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

「朝鮮人虐殺「木本事件」 15回目の追悼集会」

2016年12月29日 | 木本事件
http://www.kinyobi.co.jp/backnum/antenna/antenna_kiji.php?no=434
『週刊金曜日』2008/12/12 金曜アンテナ
■朝鮮人虐殺「木本事件」 15回目の追悼集会
 三重県木本町(現・熊野市)で一九二六年、トンネル工事に従事していた朝鮮人労働者二人が在郷軍人などに虐殺された「木本事件」の一五回目の追悼集会が一一月二二日、同市であった。追悼碑を建立した「三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・ペ相度)の追悼碑を建立する会」の竹本昇さんは「事件をどのように認識するかは、今に生きる私たちの課題だ。歴史を忘れようとする社会に問い続けたい」と訴えた。
 集会の冒頭で碑の前にマッコルリ(どぶろく)が捧げられ、参加者全員で献杯しながら、事件の記憶を継承することを誓った。
 同会によると、事件は関東大震災時の朝鮮人虐殺から二年四カ月後に起こった。ささいなことをきっかけに日本人が朝鮮人を刀で切りつけた。その後、町中を「朝鮮人が復讐してくる」というデマが飛び交い、在郷軍人や消防組員が飯場を襲って、騒ぎを抑えようとした二人を殺した。
 八九年に結成された同会では、現在でも事件を「素朴な愛町心の発露」と伝える「熊野市史」の書き換えを求めている。一方で、地元の小学生が総合学習で現場に足を運ぶなど事件の教訓を学ぼうという動きも広がっている。
 紀伊半島の南端に近い人口五〇〇〇人ほど(当時)の小さな町で起こった事件だが、歴史的に持つ意味は重い。
 同会の佐藤正人さん(六六歳)は「一九二〇年代の新潟・中津川事件(水力発電所工事現場での朝鮮人虐殺)や関東大震災時の大量虐殺と根を同じくしている。植民地支配に基づく民族差別を原因とし、現在も真相や責任の所在はあいまいなままだ。(木本事件では)明らかにした事実に基づいて、行政の責任追及を続けてゆきたい」と話した。

                             山本柚・ライター
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする