三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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臨高県皇桐鎮美吉村で

2016年12月10日 | 海南島史研究
 11月10日朝9時半に臨高県皇桐鎮美吉村を訪ねました。
 林光珠・呉振華口述「日軍皇桐地区的暴行」(『臨高文史』政協臨高県文史資料研究委員会編 10〈日本侵臨暴行史料専輯、1995年12月〉)に、“1944年春、日本軍は美吉村に侵入して37人を虐殺した”と書かかれています。
 省道305号線を臨高鎮から皇桐鎮に向かって進むと、皇桐鎮の少し手前の左側(北側)に、美吉村と刻んだ石碑がたっていました。その石碑から300メートルほど入ったところに美吉村がりました。  
 麦朝利さん(1937年生)に自宅で話を聞かせてもらいました。麦朝利さんは、
   “日本兵をみた、長い刀をもっていた。
    叔父の麦元香が日本兵に銃殺された。25歳くらいだった”、
と話しました。麦朝利さんに案内されて、麦財其さん(88歳)に自宅で話を聞かせてもらうことができました。麦財其さんは、ちょうど台所の釜の下に小枝をくべて食事の準備をしているところでしたが、それを近所の少女にまかせて、家のまえで、
   “日本軍は村に3回ほど入ってきた。村人を殺し、家を焼き、牛を奪っていった。
    はじめて日本軍がきたときには、すぐには村に入らないで、北から皇桐に行く道路から
   発砲した。むかしの美吉村(老村)は、道路に面していた。村に入ってきた日本軍は村の
   家を全部燃やした。牛も何頭も銃で撃ち殺した。
    村人は、新しい家を建てたが、日本軍はまた来て、家を全部燃やした。
    麦元香は、美吉村から日本軍の基地があった福山につれていかれて、福山で殺され
   た”、
と話しました。海南警備府の「陸上部隊兵力配備要図」によると1943年3月の時点で福山には16人の海南警備府舞鶴鎮守府第1特別陸戦隊の日本兵が「駐屯」していました。
 麦朝利さんの家の近くに住む麦国光さん(1935年生)の自宅で、麦国光さんに話しを聞かせてもらいました。麦国光さんは、
   “美吉村で30人以上が日本軍に殺された。10人あまりが福山に連れていかれ、福山か
   ら石碌鉱山に行かされた。わたしの父も兄も石碌鉱山に行かされた。そのとき兄は16
   歳くらいだった。石碌に行った村人のうち麦文運が死んだが他の人は村に戻ることが
   できた。
    20歳くらいの女性2人が村から日本軍にどこかに連れていかれた。その後のことは
   わからない”
と話しました。
 麦国光さんに別れてから、美吉村の村長の麦廷榜さん(1982年生)と会計係の王雪江さん(1975年生)に、以前の美吉村(老村)のあった場所に案内してもらいました。そこは、省道305号線に面した広野でした。
 日本軍に襲撃されたあと、美吉村は北方に移り、もとの美吉村は樹が茂っていましたが、2年前から樹や灌木を伐採し農地に変えようとしているとのことでした。
 整地作業はまだ終わっていませんでしたが、麦廷榜と王雪江さんは、整地中に土のなかから出てきた石臼の場所を教えてくれました。日本軍が何回も村を襲ってくるので、村人は逃げ道をつくるために壕を掘ったとのことでした。麦廷榜と王雪江さんは、むらの年寄りから聞いたと言って、その壕があったあたりを指し示してくれました。
 そのあと、麦廷榜と王雪江さんは、皇桐鎮の中心部にあった日本軍の望楼と兵営の場所に案内してくれました。そこは、皇桐鎮の高台でした。

                              佐藤正人


http://zqb.cyol.com/content/2008-03/01/content_2084141.htm
http://www.china918.net/91808/newxp/ReadNews.asp?NewsID=2080&BigClassName=%CE%BF%B0%B2%B8%BE%CA%DC%BA%A6%D5%DF%CB%F7%C5%E2&SmallClassName=%B1%B3%BE%B0%BC%B0%CF%E0%B9%D8%D7%CA%C1%CF
http://blog.goo.ne.jp/kisyuhankukhainan/e/7ea112169c9251e31a732faf3f2fcdda
「中青在线-中国青年报」2008-03-01
■海南老人王玉开公开“慰安妇”悲惨身世
  春节前夕,笔者赴海南采访调查原日军“慰安妇”,海南省临高县皇桐镇皇桐村88岁的王玉开老人第一次公开自己“慰安妇”的悲惨身世,血泪控诉68年前日本鬼子对她犯下的暴行。
  王玉开生于1920年,1941年初嫁到临高县皇桐村。1941年7月,日军占领海南岛,在皇桐村设立了日军军部,建起了炮台,设置了军事区,无恶不作。日军经常到各村抓走一些年轻人,到日军军部当苦力。一天,日军再一次到皇桐村抓人,当时已怀孕5个月的王玉开躲藏不及,被强行抓到日本军部。随后,年轻貌美的王玉开遭到多名日本鬼子的强奸,成为日军“慰安妇”。在被囚禁于日军军部的两个多月里,她被强迫充当苦力,给日本鬼子洗衣、挑水、做饭、打扫卫生。同时,她还要充当性奴隶,先后遭到20多名日本鬼子的轮奸,身体受到极大摧残,胎儿流产了,导致终生不育。王玉开老人没有自己的儿女,身体残疾,一生凄苦。
     
           张国通 摄
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