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大阪人権博物館セミナー(2009年春)中止について 3

2011年02月18日 | 大阪人権博物館
■1回目の「要請書」と「質問書」(2009年2月28日付け)
 海南島近現代史研究会は、2009年2月28日付けで、秋定嘉和大阪人権博物館館長あて「要請書」と、大阪市市民局人権室室長あて「質問書」を出した。回答期限は、3月15日とした。
 秋定嘉和大阪人権博物館館長あて「要請書」では、4項目を要請した。
1、大阪市市民局人権室にたいし、「適正とは認められない」という「目的、内容等」を具体的に文書で示してもらってください。そして、その文書回答を、海南島近現代史研究会に提示してください。
2、大阪市市民局人権室にたいし、「適正とは認められない」理由を文書で詳細に具体的に示してもらってください。そして、その文書回答を、海南島近現代史研究会に提示してください。
3、大阪人権博物館が、案内チラシを印刷したにもかかわらず、独自にリバティセミナーを開けない理由を説明してください。
4、リバティセミナー「被差別民衆とアジア・太平洋戦争」を中止した事実と経過を、大阪人権博物館のホームページなどで、公表してください。

 大阪市市民局人権室室長あて「質問書」では、2項目について質問した。
1、「適正とは認められない」という「補助事業の目的、内容等」を具体的に示してください。
2、「適正とは認められない」理由を具体的に詳細に説明してください。

■1回目の「要請書」と「質問書」にたいする回答
 回答は、大阪人権博物館からは3月14日付け(「人博第148号」)で、大阪市市民局人権室からは3月13日付けで相談担当課長渡邊誠名で、送られてきた。
 大阪人権博物館からの回答は、「リバティセミナー「被差別民衆とアジア・太平洋戦争」が中止となり……深くお詫び申し上げます」ではじまり、手続上「当館に不備があったことは否めません」につづき、
    「それは当初から詳細に企画を練り、内容と講師を明確にすべきだったといえま
   す。そのうえで展示企画委員会と理事会において議論に付し、承認を受ける必要が
   あったといえます。このような努力を怠ったため補助事業等変更承認申請の提出と
   なってしまい、結果的には不受理となってしまったのです」
というものであった。

 大阪市市民局人権室からの回答(原文の「元号」削除)では、「2006年9月に開催された財団法人大阪人権博物館展示・企画委員会と、同年11月に開催された同財団第83回理事会において、2007年度に予定されていた海南島に関する企画展を延期する旨の決定がなされ」たが、この「決定」が変更されていないため、「適正とは認められないと判断したところです」とされていた。

 2006年秋、9月の財団法人大阪人権博物館展示・企画委員会と11月の第83回理事会で検討された2007年度の海南島企画展案は、大阪人権博物館の学芸員が、それまでのわたしたちとの会議で積み上げていた内容を、企画展タイトルをふくめ、わたしたちの了解なしにおおきく変更して作成したものであった。
 その企画展案をもとに相談された大阪人権博物館のふたつの会で、2007年度の海南島企画展案が「不指示」とされ延期された。
 わたしたちは、その後、2006年12月に大阪人権博物館の担当者と会い、2007年度の海南島企画展案の内容に、海南島近現代史研究会はいっさい責任がないということを、大阪人権博物館展示・企画委員会と理事会に告知してもらいたいと要請し、了承された。その後、企画案担当学芸員名で、その経過を記した文書が展示・企画委員と理事に郵送された。

 大阪市市民局人権室からの回答は、このときの海南島企画展案が「不指示」とされた決定が変更されていないので、2009年春のセミナーが「適正とは認められない」という説明である。

 2009年春に予定されていたセミナーは、テーマが「被差別民衆とアジア・太平洋戦争」で、海南島を中心にしたものではなかったが、セミナーのひとつに海南島にかんする内容がはいっているということで、セミナー全体が中止とされてしまったのである。
                                   キム チョンミ
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