三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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「リバティの灯を消すな」について

2012年07月19日 | 大阪人権博物館


 「海南島」というコトバがあるキムチョンミさんの2月21日予定の報告が含まれている2009年春の「被差別民衆とアジア・太平洋戦争」というテーマの大阪人権博物館セミナーが中止になったのは、2004年7月21日~8月15日に大阪人権博物館で開催する予定だった企画展示「海南島とアジア太平洋戦争――占領下で何がおこったか――」(大阪人権博物館主催・紀州鉱山の真実を明らかにする会後援)を大阪人権博物館が突然「中止」しようとしたこと(紀州鉱山の真実を明らかにする会の批判によって「延期」にした)ことと無関係ではありませんでした。
 企画展のときには大阪人権博物館はすでに2004年春に予告を公表していました(このブログの2006年10月7日の「企画展『海南島で日本は何をしたのか』 1」をみてください)。
 セミナーの場合も案内チラシは、2008年12月には刷り上っていました。

 大阪人権博物館は、2004年夏の突然の中止(→延期)については、なんら公式に謝罪しませんでしたが、その5年後の2009年春の「中止・延期」については、 『広報誌リバティ』43号(2009年4月1日)に、秋定義和大阪人権博物館館長の「リバティセミナー中止・延期についてのお詫び」が掲載されました(同じ内容が大阪人権博物館HPに、2009年4月28日から短期間、「セミナーについて」欄に掲載)。
 その全文は、つぎのとおりでした。
       当館では今年の二月から三月にかけて、「総力戦体制と日雇労働者」(吉村智博)、「日本占領下の
     海南島でー1939年~1945年ー」(キムチョンミ)、「日中戦争下の在阪沖縄人」(仲間恵子)、「戦時期の部
     落問題と水平運動」(朝治武)をテーマとしたリバティセミナー「被差別民衆とアジア・太平洋戦争」の開
     催を予定していました。しかし海南島に関しては特別展もしくは企画展の開催を当館の理事会と展示企
     画委員会において延期を決定しているとの理由で、大阪市市民局人権室からリバティセミナー開催は承
     認されませんでしたので、今回のリバティセミナーは中止・延期することにしました。
      当館をめぐっては極めて困難な状況にありますが、今後も海南島については展示やセミナーなど博物
    館事業の企画を検討していきたいと考えています。そして理事会・展示企画委員会、関係機関において企
    画の開催が承認されますよう、引き続き努力していく所存です。講師を依頼していた海南島近現代史研究
    会のキムチョンミさん、およびリバティセミナー開催を期待されていた皆さまに対して、深くお詫び申し上げます。

 ここには、「当館をめぐっては極めて困難な状況にありますが、今後も海南島については展示やセミナーなど博物館事業の企画を検討していきたいと考えています」と書かれていますが、その後これまでの3年間、大阪人権博物館は「海南島については展示やセミナーなど博物館事業の企画」を具体的に準備しようとしてきませんでした。
                          
 大阪人権博物館セミナー(2009年春)中止にいたる経過と問題点ついては、キムチョンミさんが『海南島近現代史研究』第2号・第3号で報告していますが、そこには、つぎのように書かれています(このブログの2009年4月28日~5月2日の「 大阪人権博物館大阪人権博物館での報告「日本占領下の海南島で」中止問題」1~5、2011年2月16日~2月20日の「大阪人権博物館セミナー(2009年春)中止について」1~5をみてください)。
     2008年12月3日、セミナーの企画責任者である大阪人権博物館担当者から、電話があった。
     その内容は、おおよそつぎのとおりである、
           “大阪市市民局人権室が「海南島」ということばが入ったテーマでの話は、海南島にか
         んする企画展示の中止をめぐるこれまでの経緯から難色を示している、話す内容は海南島
         のことでいいので、タイトルを変えられないか。大阪市市民局人権室では、キム チョンミの所
         属を示した海南島近現代史研究会の「海南島」という名称にも、難色を示している。チラシ
         はすでに刷りあがっている”。

 2004年の場合も、大阪人権博物館の担当者は、企画展のタイトルの変更を5月13日に求めてきて、紀州鉱山の真実を明らかにする会がそれに応じると(「海南島で日本軍はなにをしたのか――侵略・虐殺・略奪・性奴隷化――」から「海南島とアジア太平洋戦争――占領下で何がおこったか――」に)、こんどはそのわずか17日ごの5月30日に企画展そのものの中止を大阪人権博物館として決議したと通告してきました。2009年のセミナーの場合もはじめは大阪人権博物館の担当者は海南島近現代史研究会のキムチョンミさんの「日本占領下の海南島で(1939年~1945年)」という「タイトル」の変更を提案してきました。
 そして、大阪人権博物館は、人権博物館の名にふさわしい姿勢をこのときも放棄し、セミナーは中止されました。
 そのことについて、大阪人権博物館は、つぎのように「釈明」していました(2009年4月28日付け「大人博第24号」)。
     当館は大阪府と大阪市から多額の運営費補助をうけています。そのため事業に関しては展示企画
    委員会や理事会で承認されていたとしても、特に大阪市の場合では事業の変更を伴う時は大阪市か
    ら承認されないと実施できない仕組みとなっています。このような状況のなかで変更を伴う事業を実施
    すると、大阪市からの運営費補助が削減もしくはストップする状況をつくり出し、当館の存立基盤を危う
    くする可能性があります。
 
  大阪市・大阪府の大阪人権博物館への「運営費補助」の「削減もしくはストップ」を阻止するためには、大阪人権博物館は、2004年の企画展の原題「海南島で日本軍はなにをしたのか――侵略・虐殺・略奪・性奴隷化――」を変更するような「コソク」な手段をとったり、原題を「海南島とアジア太平洋戦争――占領下で何がおこったか――」に変更した企画展を中止(→延期)すするような後退をすべきではなかったと思います。
 わたしは、2002年秋から企画展の準備を大阪人権博物館とともに進めてきた紀州鉱山の真実を明らかにする会の会員であるわたしは、企画展中止を告げた大阪人権博物館の担当者に、
     「この一歩後退は、1930年代の全国水平社を含む日本民衆組織の一歩後退、二歩
   後退、三歩後退→侵略戦争への前面協力と同じ質のものだ。あとから後悔しても遅いよ」
と話しました。
 大阪人権博物館の人たちがそれ以後も後退し続け、「大阪市からの運営費補助が削減もしくはストップする状況をつくり出し、当館の存立基盤を危うくする可能性」を阻止するための真の努力を避けてきました。その、原因と結果についてこれから大阪人権博物館の人たちと共に考えていきたい思っています。
 あさって(7月21日)午後1時から大阪人権博物館のホールで「リバティの灯を消すな 市民の会(仮称)」の設立大会が開かれますが、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・相度)の追悼碑を建立する会、紀州鉱山の真実を明らかにする会、海南島近現代史研究会が呼びかけ団体になり、会員が個人として呼びかけ人になりました。
                                                                                        佐藤正人

 

 

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