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知事記者会見(平成24年9月13日木曜日)において、『記者 報道にもありますように2030年代に原発ゼロという提言がまとめられたことに関する報道があることに関して、この感想をお伺いします。』への回答。以下全文記録しておきます・・・


 2030年代に原発ゼロということを民主党の方針として決められたということでありますが、長期的に原発への依存を減らしていくということは、当然必要なことでありますけれども、原発ゼロというようなことは、軽々に言うべきことではないと思っております。ましてや2030年代にというようなことは、これはなかなか難しいのではないかと思います。

前にも言ったことがありますけれども、原発ゼロということが決ったといたしますと、これはやはり優秀な若者は原子力工学というものにはもう入ってこなくなるわけであり、原子力に関する日本の技術というものは、段々衰退していくことになるわけでありますけれども、他方において、世界の状況は原発をさらに増やすという状況はまったく変っていないわけであります。
中国も韓国も、中国はまだこれから30基増やすと言っておりますし、沿岸部に増やしていくことになるかと思います。そうなると将来場合によっては、中国、韓国の原発に事故が起こって、それが偏西風で日本に放射能が飛んでくるということもあり得るわけであります。
そういう事態に備えて、日本というのは福島原発事故の経験も踏まえながら、原発に関するしっかりした技術を持ち続けていかなければならない。世界における原発の安全を技術面でリードする国でなければならないと思っているものですから、原発ゼロということによって優秀な技術者が少なくなり、技術の継承が行われなくなるということになれば、これはよくないのではないかと思います。

さらに原発ゼロとなると、よく言われていることですけれども、石油をはじめとする化石燃料に多くを依存しなければならない。また再生可能エネルギーを増やしていく、その2つはいずれも電力料金のかなり大幅な値上げに繋がっていくわけでありますから、そのことは果たして国民が受け入れられるかどうかということは当然あります。

さらには青森県六ヶ所村で使用済み核燃料の再処理が行われているわけでありますが、青森県も六ヶ所村も原発を止めるということであれば、今、預かっている使用済み核燃料を、それぞれの原発にお返ししますと言っているわけでありますから、それは返された日には大変で、再稼働はとてもできなくなってくるということになります。そういう核燃料再処理の問題と絡みも出てきますし、これは原発ゼロというものは、軽々しく軽々に言うべきことではないのであって、時間をかけて十分な議論をしていく必要があるのではないかと思います。


私は原子力、放射線について研究し活用する方面について知識はありません。Wikipedia 原子力工学を参照してみると、『学問の取り扱う対象としては、原子力エネルギーの工業利用と放射線の工業利用が代表的である。前者は主に核燃料および原子炉の設計・製造技術と安全評価技術が挙げられ、後者は主に工業技術、検査技術および医療技術が挙げられる。』 とあります。
日本でこの道を志す方々は軍事方面は論外として、医学・医療と工学・工業技術ということになるのでしょう。
ちなみに、検索でヒットした中で、「教えて!goo」の投稿 2011/03/18 「大学で原子工学を学ぶには」 という質問と回答が色々考える素材を提供していました。

核燃料と原子力発電所が国内に存在せねば、この学問・技術分野は成り立たないものなのでしょうか。
医療や工業で使われる放射性物質(放射性同位体と呼ぶのでしょうか)は国産でしょうか、輸入でしょうか、国産ならどういう企業が関わっているのでしょうか。
原発が発電停止していた期間に、医療や工業の非破壊検査に支障が出たというニュースに私は気付きませんでした。マスコミが報じていたのは電力が足りなければ日本経済が破綻するという話しか無かったと思います。

全ての原発が発電を停止しても完全に廃炉として金属とコンクリートの固まりになるまでの期間、高濃度放射性廃棄物が人類にとって安全なレベルで処分できるまでの間、これまで日本で培われた核燃料、原子力発電の理論と技術は優秀な学者・技術者を求め続け、次代に引き継いでいかねばならないのではないかと思えます。(セキュリティを維持する仕事って作るより大変かも知れません、私のネットオタクとしての体験)
アジアの近隣諸国はもとより、世界のどこかに原子力発電がある限り、日本でこの道を学ぶ人々に対する潜在需要があると思いますし、スリーマイルやチェルノブイリを超えて日本で原発安全終息の方法論が確立されたと言われる時が来ると思います。
世の為人の為、この道を志す若者がいるであろうことは、国家公務員制度が変っても東大法学部を目指す若者がいると考えられるのと同じだと思います。

私は3.11以前は無関心でした。子供の頃に学んだのはウラニウムの核分裂をコントロールできて、例えばマッチ箱ほどの燃料で都市に電気が灯るというような話、それを信じてきました。
人間の安全を第一に考える理論と技術を説く人々が片隅に追いやられてきた日本の現状が、今回の悲惨な事態を招いたのだと今は思っています。

Windows やスマートフォンがどんどんバージョンアップしていく一方で、それらの開発・運用に直接には関わらない人々の間でも、それらシステムのセキュリティ、安全性を検討し提言し、改善・アップデートを求める人々がおられます。ICTは開発・運営企業だけでは無く、そういう人々に支えられている安全・安心なシステムに進化している事を私は忘れたくない、原発ゼロ方向でも同様だと思っています。
行政や議会の視野が狭いと地域の安全・安定・安心をもたらすことは難しい。イケイケドンドンからの脱却がまず必要だと感じている今日この頃です。



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