ICT工夫
全ての自由を奪えても、自由を求める自由だけは奪えない
  だからネットの使い方も 工夫 したい こうふ のブログ




この記事は 2017-09-18 にこのブログに書いた記事です。甲府市議会2020年9月定例会で9月7日の議員質問に最終登壇された川崎 靖議員が甲府空襲(1945年7月7日深夜~8日未明)について話されました。
その悲惨な状況を体験した方々は75年後の2020_令和2年ではご高齢です。明確に記憶に残っておられる方々なら80才を越えておられるでしょう。その方々からお話を伺い、記録動画として残したいと市政に提案なさいました。ご関係者の方々が了承されるなら、お話の動画記録があっても良いと思います。山梨平和ミュージアムにも置かれたなら誰でも視聴できるでしょう。
7月7日に甲府空襲、7月7日(1937年_昭和12年)の盧溝橋事件が米軍の脳裏にあったとは思いませんが、大月、富士吉田などの県内空襲と共に未来永劫、山梨県史、甲府市史などに残されるものと思います。以上、柳条湖事件の9月18日を控えて、以前の記事に追記しておきます。【政権側と野党側のトップ選挙が間近なのでこの記事を更新した・・・とまでは申しません。】

1931年(昭和6年)9月18日午後10時20分頃、中華民国の奉天(現在の中華人民共和国遼寧省瀋陽)北方約7.5kmの柳条湖の南満州鉄道線路上で爆発が起き、線路が破壊された。関東軍は、これを張学良ら東北軍による破壊工作と断定し、直ちに中華民国東北地方の占領行動に移った。

満洲事変・・・関東軍はわずか5か月の間に満洲全土を占領し、軍事的にはまれに見る成功を収めた。(Wikipedia 満州事変)

A.対北朝鮮政策は、「満州事変の教訓」から学べ 【丹羽 宇一郎 : 元伊藤忠商事社長・元中国大使】(東洋経済オンライン 2017年09月18日)

B.満州事変(柳条湖事件)は侵略ではありません(最終更新日時:2016/8/25 Yahoo!知恵袋)【Yahoo!サイトでは既にリンク切れ 2020.09.07 確認】

『本事件は河本大佐の後任の関東軍高級参謀板垣征四郎大佐と、関東軍作戦参謀石原莞爾中佐が首謀し、軍事行動の口火とするため自ら行った陰謀であったことが判明している』(Wikipedia)
歴史的事実としては確認され、それを認めていても、そこに至る経緯やその後の展開をどのように解釈して説明するか、その視点から今後のあり方をどのように説くかは人それぞれです。
この事は満洲事変についてだけではなく、今現在の自分自身について考える時でも同じです。
私はこの記事でAとBについて論じるつもりはありません。このブログをたまたま開いてくださった読者にご案内するだけです。

新城俊昭沖縄大学客員教授(琉球・沖縄史教育)は、少年たちがチビチリガマを訪れた理由が肝試しだったことについて「戦跡の意義が少し薄れてきている。県内の学校では戦跡そのものに行くことが少なくなっている」と指摘し「戦争遺跡の意義を子どもたちに感じてもらえるように、伝えていくことが重要だ」と話した。

先日速報した沖縄県の少年事件について琉球新報の続報がありました・・・沖縄戦跡の認識が希薄に チビチリガマ荒らし 逮捕の少年ら「肝試し」の動画撮影(2017年9月17日 06:30 )【琉球新報サイトでは既にリンク切れ 2020.09.07 確認】
上記枠内に琉球新報記事に書かれていたコメントを引用しておきました。
歴史教科書の発行元に「忖度」させただけではダメだと考える人々が道徳教育の教科書化にまで乗り出した日本国の衆議院選挙が近いようです。

◇ 2017.10.27 沖縄「チビチリガマ荒らし事件」とは何だったのか?(現代ビジネス | 講談社)【追録 2020.09.07】

戦後教育の問題を説く人々がおられたとしても、現政権を選択したのは日本国の教育を受けて来た人々ですから、戦後教育の左傾化でも失敗でも無いはずです。全国の地方議会議員について色々な観点から確認してみれば、一番良く分かります。
そしてスマホに動画をアップして共有しあう事を生き甲斐にするような世情、ユビキタス・ジャパンを標榜して来た官僚政権の狙いが図に当たったのがチビチリガマ損壊事件だったと・・・



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「米の核実験は素晴らしい偉業」トランプ氏、75年声明で称賛(2020/7/17 11:22 共同通信)
【ワシントン共同】トランプ米大統領は16日、米西部ニューメキシコ州アラモゴード近郊の「トリニティ・サイト」で人類史上初の核実験を行ってから75年を迎えたのに合わせて声明を発表し、この実験を「素晴らしい偉業だ」とたたえた。
トランプ氏は声明で、1945年7月16日に実施された史上初の核実験に関し「第2次大戦の終結を促し、世界の安定、科学の革新、経済的繁栄の時代を切り開いた」と称賛。「核抑止力は米国や同盟国に大きな利益をもたらした」と指摘した。
米国の安全保障上の利益を守るための核戦力の近代化は「攻撃を抑止し将来世代の平和を維持するために役立つ」と強調した。
◇ 別報があります・・・米、軍拡阻止へ協力要請 対中ロ、核実験75年で声明(2020/7/17 00:42/14:33 updated 共同通信)
【ワシントン共同】トランプ米大統領は16日、米西部ニューメキシコ州アラモゴード近郊の「トリニティ・サイト」で人類史上初の核実験を行ってから75年を迎えたのに合わせて声明を発表し、中国とロシアに対し、新たな軍拡競争を阻止するため協力するよう呼び掛けた。  トランプ氏はこれまでも米中ロ3カ国による新たな軍縮・軍備管理の枠組み構築を提唱。中国は米ロ間の交渉に加わらない姿勢を堅持しており、膠着状態が続いている。  声明では、1945年7月16日に実施された核実験を「素晴らしい偉業」と明記。「核抑止力は米国や同盟国に大きな利益をもたらした」と強調した。
<社説>米核実験から75年 「核なき世界」の実現を(2020年7月19日 琉球新報)
トランプ大統領、中ロに核軍縮参加呼びかけ 世界初の核実験から75年(2020年07月17日 HuffPost-朝日新聞)
『米ニューメキシコ州の「トリニティ・サイト」で史上初めての核実験が行われてから75年を迎えた16日、トランプ米大統領は声明を発表し、中国とロシアに核軍縮に向けた新たな枠組みに加わるよう求めた。  トリニティ・サイトでは1945年7月16日、原爆を開発する「マンハッタン計画」の一環として、プルトニウム型原爆を使った実験が行われた。トランプ氏は声明で「(実験は)第2次世界大戦の終結や、国際的安定、科学的革新、経済繁栄の新時代に寄与した」とし、「素晴らしい偉業」と称賛。「核抑止力は米国や同盟国に大きな利益をもたらした」と主張した。』
共同通信の記事は2本に分かれているので両方読むと、中国とロシアへの呼びかけも声明に含まれていたのが分かります。
とにかく日本語記事は在米記者から日本の本社に届いたのですから、時間が出来たら米国メディアも確認しておきたいとは思っていますのでブログに残します。
【沖縄米軍基地での新型コロナウイルス問題を読んでいる時に琉球新報の社説に気付きましたので、共同通信その他のサイトを確認したものです。毎度の蛇足・・・新型コロナウイルスが米軍開発の生物兵器で無いことは確かだろうと思えた私です。


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日米安保条約改定60年式典を開催 首相「世界の平和・繁栄保証する不動の柱」強調 (産経新聞 2020.1.19 14:42)
 改定された現在の日米安全保障条約が調印されてから60年を迎えた19日、外務省飯倉公館(東京都港区)で記念レセプションが開かれた。日本側は安倍晋三首相、茂木敏充外相、河野太郎防衛相ら、米側はヤング駐日臨時代理大使や在日米軍幹部らが出席した。
 首相はあいさつで「日米安保条約は、アジアとインド・太平洋、世界の平和を守り、繁栄を保証する不動の柱だ」と強調。その上で「これからは宇宙やサイバースペースの安全、平和を守る柱として同盟を充実させる責任が私たちにはある」と語り、同盟関係を一層深化させていく決意を示した。
 旧日米安保条約を改め、米軍による対日防衛が義務となった現在の日米安保条約は昭和35(1960)年1月19日、米ワシントンのホワイトハウスで当時の岸信介首相、アイゼンハワー大統領の下で署名した。
 首相はあいさつで、祖父の岸氏が「これから始まる新たな100年、両国にさらなる信頼と協力あれ」と述べたことを紹介し、「当時の祖父と同じ年齢に達した私は同じ誓いをささげようと思う」とも語った。

サイバースペースの日米安保? 気になったのでメモしておきます。1995年のインターネット元年から25年の今年2020年です。同盟関係を一層深化? なんだか嫌な予感がします。既に私が(というより、このパソコンが)この産経新聞記事を読んでいることが、しかるべきツールでしかるべきサーバに記録されている状況です(私がそれに対処していなければ)。いわんやスマホにおいておや。

社説は毎日新聞が読めました 日米安保条約改定60年 激動期に適合する同盟に(2020年1月19日 東京朝刊)
 「現実の世界に適合する同盟を構築する。そのために、不断の手入れが重要なのは言うまでもない。」 これで終る社説しか書けないのが今の毎日新聞か、60年安保当時に大学生だった年代の方々は既に第一線を退かれているのだと納得します。


日米両政府は(2020年1月)17日、旧安全保障条約が改定され、現在の安保条約の署名から60年を迎えるのを前に、茂木敏充外相と河野太郎防衛相、ポンペオ米国務長官、エスパー米国防長官の連名で共同発表を出した。
(2019-01-17 朝日新聞と産経新聞の記事を goo ニュース、msn ニュースでの転載で知りました)

1960年(昭和35年)1月19日に署名された現行の日米安全保障条約(日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約)は 2020年(令和2年)1月19日に満60歳です。
1951年(昭和26年)に署名され翌1952年(昭和27年)に発効した旧安保条約を失効させ、新たな条約として締約・批准されたが、実質的には安保条約の改定とみなされている。以上、日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約_Wikipedia から引用】

日本国政府の公式発表は明日以降に確認できると思いますので、過去を確認しておきました。

日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約(日米安保条約)の署名50周年に当たっての内閣総理大臣の談話
【鳩山 由紀夫 内閣総理大臣(第93代)歴代総理の演説・記者会見など・国立国会図書館】

平成22_2010年1月19日
 日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約(日米安全保障条約)は、1960年1月19日にワシントンにおいて、日米両国の代表によって署名が行われました。本日は、それから50年の節目を迎える日であります。
 日米安保体制は、我が国の安全のみならず、アジア太平洋地域の安定と繁栄に大きく貢献してきました。我が国が戦後今日まで、自由と民主主義を尊重し、平和を維持し、その中で経済発展を享受できたのは、日米安保体制があったからと言っても過言ではありません。

・・・中略・・・ 

 過去半世紀の間、冷戦の終結や9.11テロ等、世界の安全保障環境は大きく変化しましたが、我が国をとりまく安全保障環境は、北朝鮮の核・ミサイル実験に見られるよう厳しいものがあります。こうした中、現在及び予見し得る将来、日米安保体制に基づく米軍の抑止力は、核兵器を持たず軍事大国にならないとしている我が国が、その平和と安全を確保していく上で、自らの防衛力と相俟って、引き続き大きな役割を果たしていくと考えます。

 

 また、日米安保体制は、ひとり我が国の防衛のみならず、アジア太平洋地域全体の平和と繁栄にも引き続き不可欠であると言えます。依然として不安定、不確実な要素が存在する安全保障環境の下、日米安保条約に基づく米軍のプレゼンスは、地域の諸国に大きな安心をもたらすことにより、いわば公共財としての役割を今後とも果たしていくと考えます。

 こうした認識に立ち、私は50周年を記念する年に当たり、日米安保体制を中核とする日米同盟を21世紀にふさわしい形で深化させるべく、米国政府と共同作業を行い、年内に国民の皆様にその成果を示したいと考えます。

外務省・平成22_2010年1月19日 「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」(日米安全保障条約)署名50周年に当たっての日米安全保障協議委員会の共同発表
JOINT STATEMENT Of The U.S.-Japan Security Consultative Committee Marking the 50th Anniversary of the Signing of The U.S.-Japan Treaty of Mutual Cooperation and Security / January 19, 2010、英語版も掲載されています。
署名60周年でも同様な記事がアップロードされると思います。

Joint Statement on Sixtieth Anniversary of the Signing of the Treaty of Mutual Cooperation and Security Between the United States of America and Japan 【アメリカ国防総省サイトにありましたが、上の外務省タイトルの50周年を60周年と置き換えれば良いと思います。】
 The text of the following statement was released by Secretary of State Michael Pompeo and Secretary of Defense Mark Esper for the Government of the United States of America and by Foreign Minister Toshimitsu Motegi and Defense Minister Taro Kono for the Government of Japan on the occasion of 60th Anniversary of the Signing of the Treaty of Mutual Cooperation and Security between the United States of America and Japan.

Begin Text:

 

Sixty years ago, on January 19, Japan and the United States of America signed the Treaty of Mutual Cooperation and Security.

 

As we celebrate the 60th anniversary of the signing of this Treaty and look back at the 75 years of friendship and trust between the two nations since the end of World War II, we pay tribute to our predecessors for their wisdom, courage, and vision.

 

We also express our gratitude to the men and women of the United States Armed Forces and Japan Self-Defense Forces for their dedicated service in protecting our common values and interests.

 

Rooted in our unwavering commitment to values such as democracy, respect for human rights, and a rules-based international order, our Alliance has played and will continue to play an integral role in ensuring the peace and security of our two countries, while realizing our shared vision of a free and open Indo-Pacific including through regional security cooperation.

 

Our Alliance is stronger, broader, and more essential today than ever.

 While honoring the achievements of the past 60 years, we reiterate our unshakeable commitment to strengthen the Alliance, and to uphold our common values and principles towards the future. 

安保はともかく、私の関心は 日米地位協定 の改正が、いつ、どこの、誰から、提起されるかです。

【追録】 「日米安保60年」という新聞記事タイトルを見た時に、なんか変な気がしたのです。私の脳裏で「60年安保」という言葉が甦ったからだと気付きました。「60年安保」で検索して名前の出てきた岸信介、その後裔が「安保60年」をどのよう語るか、興味深い・・・
09 - 60年安保闘争 - 1960_ YouTube
NHKスペシャル その時、日本は 60年安保と岸信介 秘められた改憲構想 1996_ YouTube
安保闘争_Wikipedia
その他記事多数・・・


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◇ 長崎市【主題ホームページ】 平和・原爆
令和元年長崎平和宣言(宣言文)(長崎市 2019年8月9日)
長 崎 平 和 宣 言
目を閉じて聴いてください。
幾千の人の手足がふきとび
腸わたが流れ出て
人の体にうじ虫がわいた
息ある者は肉親をさがしもとめて
死がいを見つけ そして焼いた 
人間を焼く煙が立ちのぼり
罪なき人の血が流れて浦上川を赤くそめた

ケロイドだけを残してやっと戦争が終わった

だけど……
父も母も もういない
兄も妹ももどってはこない

人は忘れやすく弱いものだから
あやまちをくり返す
だけど……
このことだけは忘れてはならない
このことだけはくり返してはならない
どんなことがあっても……

 これは、1945年8月9日午前11時2分、17歳の時に原子爆弾により家族を失い、自らも大けがを負った女性がつづった詩です。自分だけではなく、世界の誰にも、二度とこの経験をさせてはならない、という強い思いが、そこにはあります。
 原爆は「人の手」によってつくられ、「人の上」に落とされました。だからこそ「人の意志」によって、無くすことができます。そして、その意志が生まれる場所は、間違いなく、私たち一人ひとりの心の中です。
 今、核兵器を巡る世界情勢はとても危険な状況です。核兵器は役に立つと平然と公言する風潮が再びはびこり始め、アメリカは小型でより使いやすい核兵器の開発を打ち出しました。 ロシアは、新型核兵器の開発と配備を表明しました。そのうえ、冷戦時代の軍拡競争を終わらせた中距離核戦力(INF)全廃条約は否定され、戦略核兵器を削減する条約(新START)の継続も危機に瀕しています。世界から核兵器をなくそうと積み重ねてきた人類の努力の成果が次々と壊され、核兵器が使われる危険性が高まっています。
 核兵器がもたらす生き地獄を「くり返してはならない」という被爆者の必死の思いが世界に届くことはないのでしょうか。
 そうではありません。国連にも、多くの国の政府や自治体にも、何よりも被爆者をはじめとする市民社会にも、同じ思いを持ち、声を上げている人たちは大勢います。

 そして、小さな声の集まりである市民社会の力は、これまでにも、世界を動かしてきました。1954年のビキニ環礁での水爆実験を機に世界中に広がった反核運動は、やがて核実験の禁止条約を生み出しました。一昨年の核兵器禁止条約の成立にも市民社会の力が大きな役割を果たしました。私たち一人ひとりの力は、微力ではあっても、決して無力ではないのです。
 世界の市民社会の皆さんに呼びかけます。
 戦争体験や被爆体験を語り継ぎましょう。戦争が何をもたらしたのかを知ることは、平和をつくる大切な第一歩です。
 国を超えて人と人との間に信頼関係をつくり続けましょう。小さな信頼を積み重ねることは、国同士の不信感による戦争を防ぐ力にもなります。
 人の痛みがわかることの大切さを子どもたちに伝え続けましょう。それは子どもたちの心に平和の種を植えることになります。
 平和のためにできることはたくさんあります。あきらめずに、そして無関心にならずに、地道に「平和の文化」を育て続けましょう。そして、核兵器はいらない、と声を上げましょう。それは、小さな私たち一人ひとりにできる大きな役割だと思います。

 すべての国のリーダーの皆さん。被爆地を訪れ、原子雲の下で何が起こったのかを見て、聴いて、感じてください。そして、核兵器がいかに非人道的な兵器なのか、心に焼き付けてください。
 核保有国のリーダーの皆さん。核不拡散条約(NPT)は、来年、成立からちょうど 50 年を迎えます。核兵器をなくすことを約束し、その義務を負ったこの条約の意味を、すべての核保有国はもう一度思い出すべきです。特にアメリカとロシアには、核超大国の責任とし て、核兵器を大幅に削減する具体的道筋を、世界に示すことを求めます。
 日本政府に訴えます。日本は今、核兵器禁止条約に背を向けています。唯一の戦争被爆国の責任として、一刻も早く核兵器禁止条約に署名、批准してください。そのためにも朝鮮半島非核化の動きを捉え、「核の傘」ではなく、「非核の傘」となる北東アジア非核兵器地帯の検討を始めてください。そして何よりも「戦争をしない」という決意を込めた日本国憲法の平和の理念の堅持と、それを世界に広げるリーダーシップを発揮することを求めます。

 被爆者の平均年齢は既に82歳を超えています。日本政府には、高齢化する被爆者のさらなる援護の充実と、今も被爆者と認定されていない被爆体験者の救済を求めます。長崎は、核の被害を体験したまちとして、原発事故から8年が経過した今も放射能汚染の影響で苦しんでいる福島の皆さんを変わらず応援していきます。
 原子爆弾で亡くなられた方々に心から哀悼の意を捧げ、長崎は広島とともに、そして平和を築く力になりたいと思うすべての人たちと力を合わせて、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に力を尽くし続けることをここに宣言します。

 2019 年(令和元年)8月9日
長崎市長    田 上  富 久

2018年長崎平和宣言 を記録してあります。



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平和宣言【令和元年(2019年)】

平和宣言

今世界では自国第一主義が台頭し、国家間の排他的、対立的な動きが緊張関係を高め、核兵器廃絶への動きも停滞しています。このような世界情勢を、皆さんはどう受け止めますか。二度の世界大戦を経験した私たちの先輩が、決して戦争を起こさない理想の世界を目指し、国際的な協調体制の構築を誓ったことを、私たちは今一度思い出し、人類の存続に向け、理想の世界を目指す必要があるのではないでしょうか。
特に、次代を担う戦争を知らない若い人にこのことを訴えたい。そして、そのためにも1945年8月6日を体験した被爆者の声を聴いてほしいのです。

当時5歳だった女性は、こんな歌を詠んでいます。
「おかっぱの頭(づ)から流るる血しぶきに 妹抱(いだ)きて母は阿修羅(あしゅら)に」
また、「男女の区別さえ出来ない人々が、衣類は焼けただれて裸同然。髪の毛も無く、目玉は飛び出て、唇も耳も引きちぎられたような人、顔面の皮膚も垂れ下がり、全身、血まみれの人、人。」という惨状を18歳で体験した男性は、「絶対にあのようなことを後世の人たちに体験させてはならない。私たちのこの苦痛は、もう私たちだけでよい。」と訴えています。
生き延びたものの心身に深刻な傷を負い続ける被爆者のこうした訴えが皆さんに届いていますか。
「一人の人間の力は小さく弱くても、一人一人が平和を望むことで、戦争を起こそうとする力を食い止めることができると信じています。」という当時15歳だった女性の信条を単なる願いに終わらせてよいのでしょうか。

世界に目を向けると、一人の力は小さくても、多くの人の力が結集すれば願いが実現するという事例がたくさんあります。インドの独立は、その事例の一つであり、独立に貢献したガンジーは辛く厳しい体験を経て、こんな言葉を残しています。
「不寛容はそれ自体が暴力の一形態であり、真の民主的精神の成長を妨げるものです。」
現状に背を向けることなく、平和で持続可能な世界を実現していくためには、私たち一人一人が立場や主張の違いを互いに乗り越え、理想を目指し共に努力するという「寛容」の心を持たなければなりません。
そのためには、未来を担う若い人たちが、原爆や戦争を単なる過去の出来事と捉えず、また、被爆者や平和な世界を目指す人たちの声や努力を自らのものとして、たゆむことなく前進していくことが重要となります。

そして、世界中の為政者は、市民社会が目指す理想に向けて、共に前進しなければなりません。そのためにも被爆地を訪れ、被爆者の声を聴き、平和記念資料館、追悼平和祈念館で犠牲者や遺族一人一人の人生に向き合っていただきたい。
また、かつて核競争が激化し緊張状態が高まった際に、米ソの両核大国の間で「理性」の発露と対話によって、核軍縮に舵(かじ)を切った勇気ある先輩がいたということを思い起こしていただきたい。
今、広島市は、約7,800の平和首長会議の加盟都市と一緒に、広く市民社会に「ヒロシマの心」を共有してもらうことにより、核廃絶に向かう為政者の行動を後押しする環境づくりに力を入れています。世界中の為政者には、核不拡散条約第6条に定められている核軍縮の誠実交渉義務を果たすとともに、核兵器のない世界への一里塚となる核兵器禁止条約の発効を求める市民社会の思いに応えていただきたい。

こうした中、日本政府には唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約への署名・批准を求める被爆者の思いをしっかりと受け止めていただきたい。その上で、日本国憲法の平和主義を体現するためにも、核兵器のない世界の実現に更に一歩踏み込んでリーダーシップを発揮していただきたい。また、平均年齢が82歳を超えた被爆者を始め、心身に悪影響を及ぼす放射線により生活面で様々な苦しみを抱える多くの人々の苦悩に寄り添い、その支援策を充実するとともに、「黒い雨降雨地域」を拡大するよう強く求めます。

本日、被爆74周年の平和記念式典に当たり、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、核兵器廃絶とその先にある世界恒久平和の実現に向け、被爆地長崎、そして思いを同じくする世界の人々と共に力を尽くすことを誓います。

令和元年(2019年)8月6日
広島市長 松井 一實

たまたま聞いていたテレビニュースで広島市長の平和宣言で「核兵器禁止条約への署名・批准」を政府に求める言葉が述べられたのは初めてだと知りました。

2019-08-05 2018年長崎平和宣言骨子が報じられていました、と記事を書いていました。その時にリンクしておいた広島市、長崎市の関連サイトは今年もアクセスできました。
◇ 広島市・原爆・平和 | 広島平和記念資料館
◇ 長崎市・平和・原爆 【2019-08-09 サイト更新確認】
◇ 中國新聞の広島 「原爆の日」特集 ページも活きていました。

「BuzzFeed - バズフィードジャパン」というサイトがありますが、たまたま別件で開いて気付きました・・・
「ヒロシマが全滅です」原爆の一報を伝えたのは14歳の少女だった。あの日彼女が見たものは 『 8月6日、被曝74年目の「原爆の日」を迎えた。あの日、広島に起きた惨劇をいち早く伝えたのは、14歳の少女だった。』(2019/08/06 10:34)
広島平和記念資料館平和データベース に「被爆者証言ビデオ」のページがあります。
 その中にこの記事が紹介した「岡 ヨシエ」さん(VS00054)の証言があります。データベースについては資料使用申請のシステムが明確ですから、この記事もそれに則った公開と思います。私が広島に出かけられる時は今後も無いでしょう。ネットのお蔭でこのような膨大な資料を閲覧できることをありがたく思い、関係者の皆様のご努力に感謝いたします。



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改めて日本国憲法9条の意義を問う
日 時 2019年3月12日(火) 18時30分〜20時30分
講 師 水島朝穂さん(早稲田大学教授)
会 場 あがたの森文化会館 2-8教室(松本市・下記参照)
参加費 無料
主 催 新安保法制の撤回を求める信州大学人の会

水島朝穂氏講演会

松本市あがたの森文化会館松本市立図書館 と同じ建物です。
『あがたの森文化会館は、ヒマラヤ杉に囲まれた「あがたの森公園」内にある重要文化財「旧松本高等学校」校舎を保存しながら、市民の教育文化活動に活用している施設』 とのことで、図書館ページの地図が分かりやすいです。
1階が図書館ですから、「文化会館 2-8教室」 は2階の8番教室を意味するものと思えます。行けば分かりますね。この2つのページを見ながら甲府市藤村記念館を思ってしまう私はキタリモンではあってもやはり甲府市民なのだなぁと思いました。

毎週月曜日に更新される水島朝穂さんの 平和憲法のメッセージ 2019年3月11日「直言」は 「復興五輪」というフェイク――東日本大震災から8年
私はあの Under Control スピーチを決して忘れない! 日本国の国会公式サイトにも記録されている
国立公文書館・東京オリンピック、1940年、国政情報を読む時、歴史は繰り返す との箴言を思い出す今日この頃です。



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防衛省のYouTubeチャンネル modchannel 『防衛省・自衛隊の活動について、皆様の認識と理解を深めることを目的として情報発信を行ってまいります。』 でテレビニュースでも放映された動画が公開されています。
 ◇ 2018年12月28日 韓国海軍艦艇による火器管制レーダー照射事案について_YouTube

産経新聞のYouTubeチャンネル SankeiNews_YouTube で上記の防衛省ページをシェアしています。
 ◇ 【ノーカット】防衛省がレーダー照射の動画公開_YouTube、このページには新聞記事のような解説が付いています。

13分の動画です。私が確認した時は視聴回数160万以上、読者コメントが8千以上ついていました。【2018-12-28 記】

毎日新聞記事がありましたのでリンクしておきます・・・
◇ 2018年12月28日 21時37分(最終更新 12月29日 02時04分) レーダー照射、防衛省公開の動画 韓国は「客観的な証拠ではない」と重ねて否定(毎日新聞)・・・無償記事で全文読めます。関連記事のリストもあります。
◇ 2018年12月28日 22時35分(最終更新 12月28日 23時12分 レーダー照射 防衛省が公開した動画の音声と字幕(毎日新聞 会員限定有料記事)
◇ 2018年12月28日 20時57分(最終更新 12月29日 03時01分) レーダー照射 防衛当局の協議で韓国かたくな「証拠を突き付けるしか」(毎日新聞 会員限定有料記事)



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2018年12月8日の共同通信記事です・・・防衛費総額、5年で27兆円へ 大幅増、対米調達を推進(2018.12.8 20:23)
昨日のブログ記事を書いた後、12月8日のメディア記事は確認していませんでしたので、今日9日になって気が付きました。

共同通信記事

各地方紙も掲載するであろう配信記事に、『防衛費増の背景は、トランプ米政権による高額装備品の購入圧力があるとみられる。』とまで共同通信が書いたのには驚きましたが、私としては以前から さもありなん と思っていた事なので勘働きは狂っていなかったようです。
食料を買いに出かける以外は家にこもってパソコンと格闘しているだけの日々ですが、とにかく仕事を一段落させて世情学習を再開したいと思う今日この頃です。それにしても寒くなりました・・・

 政府は、今後の主要装備品を含む経費総額が示される次期中期防衛力整備計画(中期防)を巡って、2019年度から5年間の防衛予算総額を27兆円台とする方向で調整に入った。中期防単位では現行(14~18年度)の約24兆7千億円から2兆円超の大幅増となる。政府関係者が8日、明らかにした。

 今後、政府は地上配備型迎撃システム「イージス・アショア」など米国からの高額装備導入を進める。防衛予算拡大への懸念が強まりそうだ。

 防衛費増の背景は、トランプ米政権による高額装備品の購入圧力があるとみられる。

【再掲】2018年8月14日のニュースを仕事しながら聞いていた時、気になるメッセージで画面を見て反射的にキャプチャーした画像・・・「防衛費の推移・こんな政府を選んできたのは国民である」
防衛費



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目次「新潮45」2018年9月号

東京上空は半分、米軍のもの―― 西から羽田に向かう旅客機が房総半島まで遠回りするワケ(「新潮45」2018年9月号 掲載 gooニュース転載 2018年08月27日 06:40)このブログの親である goo を見ていて気付きました。
 『西から羽田に向かう旅客機が、千葉・房総半島まで遠回りするのはどうしてか? 約70年にわたり占有されたままの、1都8県に跨る「空域」について、元防衛事務次官の守屋武昌氏が解説する。』

恥かしい話だが、長い間、私自身もその存在を知らなかった。航空機の事故など「危険性の除去」のために、東京上空では航空機が飛ばないのだと思い込んでいた。
 ところが1980年代半ば、大阪防衛施設局に勤務していたころ、生駒山から徐々に高度を下げ大阪の市街地上空を通過し、さらに阪神高速道路を低空で横切り、伊丹空港に向かう民間航空機を見て驚いた。(中略)
2年後、東京に戻り、航空幕僚監部の運用課長から説明を受けて、初めて横田空域の存在を知ったのだった。首都・東京上空を航空機が飛ばないのは、まったく別の理由があったのだ。

東京上空は半分、米軍のもの―― 西から羽田に向かう旅客機が房総半島まで遠回りするワケ(デイリー新潮 の元記事です)
「新潮45」2018年9月号 の目次も確認できました。

横田空域というものがあることは、都内で問題になっている羽田空港の飛行ルート変更計画から知ってはいましたが、占領空域の具体的な経緯や実情は調べた事もありません。大田区議会議員・奈須りえさんの関連記事でも書かれていませんでした。
防衛官僚のトップまで務められた守屋武昌さんですら「長い間、私自身もその存在を知らなかった」とお書きになった、『よくそれで防衛官僚が務まりましたね』と申したいところですが、その記事で私も初めて分かってきました。日米の政府情報などを情報源として確認する時間はありませんのでブログに残すだけにします。

岸信介氏の時代からアメリカによる日本の占領体制は何も変わっていない。新潮社のスタンスは知りませんし自民党総裁選が間近な現在、「特別企画」にこの記事も掲載した意味もわかりません。
政治家と公務員が結託した「朝貢」行政はむしろ烈しくなっているのではないかとすら感じる今日この頃。
横田空域の問題は自分のサイトで書いている山梨県北富士演習場とも関係します。北富士演習場地域組織からオスプレイ飛来を拒否する意見が出たと先日報じられました。
しかし、リニア中央新幹線事業を見ていても思いますが、国政、地方を問わず行政からの的確な情報発信が欠如している裏には必ず何かある、「彼等の朝貢先はどこだ」と、一介のネティズンでしかない自分の考え方・・・



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◇ 長崎市【主題ホームページ】 平和・原爆
令和元年長崎平和宣言(宣言文)(長崎市 2019年8月9日)
【2019-08-09 更新追記】

長崎平和宣言骨子 核廃絶、責任ある行動を 各国に核禁参加呼び掛け(共同通信 2018.7.31 16:00)は長崎新聞記事を共同通信が全国向け発信しているものです。以下に要点をメモし、画像を引用しておきます。

長崎平和宣言骨子 長崎市の田上富久市長は(2018年7月)30日、長崎原爆の日(8月9日)の平和祈念式典で読み上げる長崎平和宣言の骨子を発表した。

平和宣言は被爆者や有識者らによる起草委員会が5月から3回会合を重ね、内容を練った。田上市長が9日の式典で読み上げ、10カ国語の翻訳版も市ホームページに掲載、世界へ発信する。

市役所で記者会見した田上市長は「核廃絶は世界が目指すことの原点で、最終ゴールだということを改めて思い起こしてほしい」と今年の力点を説明した。

日本国憲法に関しては・・・9条改正を巡って平和宣言の起草委員会で9条堅持を訴えるべきとの指摘が相次いだが、田上市長は「まずは国民的議論がなされるべき」と述べ、改憲の動きに触れないことを明らかにした。
2018年7月30日 市長記者会見(臨時) | 記者会見_YouTube動画
被爆73周年長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典(長崎市 2018年8月9日)
平成30_2018年長崎平和宣言(宣言文)(長崎市 2018年8月17日)【サイト更新でリンク切れました 2019-08-09 確認】
長崎平和宣言

 73 年前の今日、8 月 9 日午前 11 時 2 分。真夏の空にさく裂した一発の原子爆弾により、長崎の街は無残な姿に変わり果てました。人も動物も草も木も、生きとし生けるものすべてが焼き尽くされ、廃墟と化した街にはおびただしい数の死体が散乱し、川には水を求めて力尽きたたくさんの死体が浮き沈みしながら河口にまで達しました。15 万人が死傷し、なんとか生き延びた人々も心と体に深い傷を負い、今も放射線の後障害に苦しみ続けています。
 原爆は、人間が人間らしく生きる尊厳を容赦なく奪い去る残酷な兵器なのです。

 1946 年、創設されたばかりの国際連合は、核兵器など大量破壊兵器の廃絶を国連総会決議第1号としました。同じ年に公布された日本国憲法は、平和主義を揺るぎない柱の一つに据えました。広島・長崎が体験した原爆の惨禍とそれをもたらした戦争を、二度と繰り返さないという強い決意を示し、その実現を未来に託したのです。
 昨年、この決意を実現しようと訴え続けた国々と被爆者をはじめとする多くの人々の努力が実り、国連で核兵器禁止条約が採択されました。そして、条約の採択に大きな貢献をした核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)がノーベル平和賞を受賞しました。この二つの出来事は、地球上の多くの人々が、核兵器のない世界の実現を求め続けている証です。 しかし、第二次世界大戦終結から 73 年がたった今も、世界には 14,450 発の核弾頭が存在しています。しかも、核兵器は必要だと平然と主張し、核兵器を使って軍事力を強化しようとする動きが再び強まっていることに、被爆地は強い懸念を持っています。核兵器を持つ国々と核の傘に依存している国々のリーダーに訴えます。国連総会決議第 1 号で核兵器の廃絶を目標とした決意を忘れないでください。そして 50 年前に核不拡散条 約(NPT)で交わした「核軍縮に誠実に取り組む」という世界との約束を果たしてください。人類がもう一度被爆者を生む過ちを犯してしまう前に、核兵器に頼らない安全保障政策に転換することを強く求めます。
 そして世界の皆さん、核兵器禁止条約が一日も早く発効するよう、自分の国の政府と国会に条約の署名と批准を求めてください。
 日本政府は、核兵器禁止条約に署名しない立場をとっています。それに対して今、 300 を超える地方議会が条約の署名と批准を求める声を上げています。日本政府には、唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約に賛同し、世界を非核化に導く道義的責任を果たすことを求めます。
 今、朝鮮半島では非核化と平和に向けた新しい動きが生まれつつあります。南北首脳による「板門店宣言」や初めての米朝首脳会談を起点として、粘り強い外交によって、後戻りすることのない非核化が実現することを、被爆地は大きな期待を持って見守っています。日本政府には、この絶好の機会を生かし、日本と朝鮮半島全体を非核化する「北東アジア非核兵器地帯」の実現に向けた努力を求めます。

 長崎の核兵器廃絶運動を長年牽引してきた二人の被爆者が、昨年、相次いで亡くなりました。その一人の土山秀夫さんは、核兵器に頼ろうとする国々のリーダーに対し、こう述べています。「あなた方が核兵器を所有し、またこれから保有しようとすることは、何の自慢にもならない。それどころか恥ずべき人道に対する犯罪の加担者となりかねないことを知るべきである」。もう一人の被爆者、谷口稜曄さんはこう述べました。「核兵器と人類は共存できないのです。こんな苦しみは、もう私たちだけでたくさんです。人間が人間として生きていくためには、地球上に一発たりとも核兵器を残してはなりません」。
 二人は、戦争や被爆の体験がない人たちが道を間違えてしまうことを強く心配していました。二人がいなくなった今、改めて「戦争をしない」という日本国憲法に込められた思いを次世代に引き継がなければならないと思います。

 平和な世界の実現に向けて、私たち一人ひとりに出来ることはたくさんあります。
 被爆地を訪れ、核兵器の怖さと歴史を知ることはその一つです。自分のまちの戦争体験を聴くことも大切なことです。体験は共有できなくても、平和への思いは共有できます。
 長崎で生まれた核兵器廃絶一万人署名活動は、高校生たちの発案で始まりました。若い世代の発想と行動力は新しい活動を生み出す力を持っています。
 折り鶴を折って被爆地に送り続けている人もいます。文化や風習の異なる国の人たちと交流することで、相互理解を深めることも平和につながります。自分の好きな音楽やスポーツを通して平和への思いを表現することもできます。市民社会こそ平和を生む基盤です。
 「戦争の文化」ではなく「平和の文化」を、市民社会の力で世界中に広げていきましょう。

 東日本大震災の原発事故から7年が経過した今も、放射線の影響は福島の皆さんを苦しめ続けています。長崎は、復興に向け努力されている福島の皆さんを引き続き応援していきます。
 被爆者の平均年齢は 82 歳を超えました。日本政府には、今なお原爆の後障害に苦しむ被爆者のさらなる援護の充実とともに、今も被爆者と認定されていない「被爆体験者」の一日も早い救済を求めます。
 原子爆弾で亡くなられた方々に心から追悼の意を捧げ、私たち長崎市民は、核兵器のない世界と恒久平和の実現のため、世界の皆さんとともに力を尽くし続けることをここに宣言します。

 2018 年(平成 30 年) 8 月 9 日
長崎市長   田上 富久  

広島市 は7月豪雨災害の復旧で大変な状況のなかで8月6日の平和記念式典です。「原爆・平和」 のカテゴリーがあります。
◇ 中國新聞に 「原爆の日」特集 ページがあります。

「八月や六日九日十五日」、先日記事を書きながら思い出してメモしていましたが、月遅れのお盆が終るまで、仕事の手は抜けないまでも歴史から学び来るべき時を考える心は忘れない日々にしたいと思っています。



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