2012年5月26日(土) 14:00から甲斐市敷島総合文化会館で開催された明野処分場シンポジウム―赤字と安全のゆくえ― に参加することができました。【主催 : みどり・山梨】
坂野 斎さんは所用により欠席され「明野処分場シンポジウムによせて」という書面が配付されました
シンポジウムのスタートは梶山正三弁護士の「明野処分場の課題と今後」という基調講演でした。講演というより問題を把握するに必要な廃棄物埋立事業の本質的な解説をしていただけたと私は理解したのですが、これは目からウロコでした。何しろ環境問題には知識が乏しく、ごみの埋め立てと言えば東京夢の島を思う程度の私です。
廃棄物処分場とは10万年後の世界に引き継ぐ核廃棄物最終処分場の短期決済版みたいなものだとしか私は考えていなかったのです。ですから管理型というのはプールのようなコンクリートの器を埋めていくものだろうなどと、冷汗ものです。
梶山さんのお話から私が理解したのは、埋め立てるということは、有害物を時間をかけて環境に排出していく方法なのだということです。人智を尽してそれをコントロールし、モニタリングしながら、環境が変化しないように少しずつ自然の中に出していく方法が埋め立て事業らしいと一応理解しました。
しかし、明野処分場にはそのモニタリングシステムが完備していない、欠陥を前提としたフェイルセーフ(失敗しても安全は確保)という考え方が欠如しているようです。それでは原発で言われていることと同じではないですか。約5.5年と短期間での埋立終了で終るのではなく、10年、30年、50年というスパンの事業のようですが「最期」は想定外として、誰も責任をとらない仕掛けになっているのか。
漏水問題(電気的検知システムの不具合)を追求するだけになって、廃棄物埋立とはどういうことなのかという観点から、本質的な問題を提起しないような住民運動ではいけないというご意見のように私は感じました。
事業者と行政の体質に目を向けるべきである、というご指摘もありました。「安全管理委員会」とは何のために設置された、どのような組織なのかを考えずに、住民運動が安全管理委員会に期待を抱いているのはおかしいというご指摘もあったように思います。これについて私は全く同感です。
以前からIT関係などフォローしている時に、梶山さんが書かれたことを使わせていただけば、「ご用学者」+「ご用市民」+「味付け要員」(異見ある国民をなだめる調味料)で構成される政府の***審議会だといつも思っていました。甲府に来てネットから情報を得ているうちに地方行政もそれに習っているらしい事を知りました。でもメンバー表を見てもどのような方々か私は知りませんので審議会の最終提言・報告を見て判断しているだけです。いつも行政の想定通りになっていますよ。これを「アリバイ工作」とネティズンは呼びますね。
いのち・むすびばからの意見発表もありました。震災がれき広域処理問題ですが、これは私も色々書いている事なので省きます。
明野処分場は県内の産業廃棄物を受入れるという協定になっているので、福島の汚染廃棄物を全国拡散する環境省工作が進行中 に関わる問題は、明野協定が変更されない限り持ち込まれることはないそうです。
しかし、山梨県、(財)山梨県環境整備事業団及び北杜市の三者で締結された協定書ですから、北杜市長が認めれば前二者の望むように改訂出来るものでしょう。2008年11月16日に当選された現市長白倉政司さんは2012年11月に改選を迎えます。今年の北杜市市長選挙は震災がれき広域処理への明野対応についても決定的な意味をもつことになるものだと思います。
2012年5月29日(火)12時~13時 場所:参議院議員会館地下1階B107会議室
今回、「いのち・むすびば」から紹介されたので、この事を私は知ったのです。『当連合会は、本件事故の被害者に対する人道的援助の第一次的責任は国にあることを踏まえ、包括的な援護立法を制定すべきであると考え、生活再建支援制度の創設、国による被害者の健康管理調査と無償医療の実施及び被害者の自己決定権の尊重等の提言を行っております。』 日本弁護士連合会の2012年05月29日分広報記事
「福島の子どもたちを守る法律家ネットワーク」に、2012.04.14 自主避難者支援 恒久的な対策立法を急げ という記事があります。
「被害者同士を対立させる」ような国家政策の犠牲となっている人々が確かにおられるのです。人として当り前の選択権、自己決定権を奪われ、それを行使するに罪悪感すら伴う、そういう状況に置かれているのは、福島県の方々だけでは無いことを山梨県の皆様も考えるべきだと思います。
これこそは、フォトジャーナリストが記録した明野処分場問題写真集だろうと思います。
明野処分場問題も震災がれき処理も、狭い地域が関係するだけの事では無いはずです。「環境」にも市町村境界はおろか町内会(自治会)の境界があるかのように対応している行政に対して、なんら疑問を抱いていない人々が大半かのように思える山梨県なのでしょうか。
会場ロビーに展示されていた多数の写真は、まるでピューリッツァー賞候補作品のように私には見えました。