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戦雲(いくさふむ)
戦雲 三上智恵監督の渾身の最新レポート

 三上智恵監督 最新作『戦雲』(いくさふむ)(facebook)
 三上智恵監督 最新作『戦雲 -いくさふむ-』(x.com)

 自主上映会のサイトに山梨県も掲載されています。
 自主上映会のご案内
 このページに「上映スケジュール」があります。地域別スケジュールとして北海道・東北から九州・沖縄まで、山梨県は中部地方で掲載されてします。

 久しく学習していませんでしたのでサイトの変更も久し振りです。読み落とし記事も拝見しながら作業は続けようと思います。
山梨県の上映会サイト

『戦雲(いくさふむ)』北杜市上映会&三上智恵監督舞台トーク
 上映日 2024年7月28日(日)
 時間  1回目上映   14:00〜16:15
     監督舞台トーク 16:30〜17:30
     2回目上映   18:00〜20:15
 会場  北杜市須玉ふれあい館 ホール
 料金  予約・1,000円 当日・1,200円 高校生以下無料
 主催  にらいかない北杜

「戦雲」甲府市上映会
 上映日|2024年8月24日(土)
 上映時間|10:00[開場9:30]/14:00[開場13:30
 会場|山梨県立文学館講堂 住所|山梨県甲府市貢川1-5-35 交通アクセス
 主催|『戦雲』やまなし上映実行委員会

「戦雲」甲斐市上映会
 上映日|2024年8月25日(日)
 上映時間|10:00[開場9:30]/14:00[開場13:30]
 会場|甲斐市立敷島総合文化会館 住所|山梨県甲斐市島上条1020
 主催|『戦雲』やまなし上映実行委員会


「戦雲」南アルプス市上映会
 上映日|2024年8月31日(日)
 上映時間|10:00〜[開場9:30]/14:00〜[開場13:30]
 会場|南アルプス市櫛形生涯学習センター あやめホール
 会場住所|山梨県南アルプス市小笠原1060-1
 アクセス|櫛形生涯学習センター
 備考|事前予約優先
 主催|「戦雲」南アルプス市上映実行委員会


「戦雲」富士吉田市上映会
 上映日|2024年9月11日(水)
 上映時間|10:00〜[開場9:30]/14:00〜[開場13:30]/19:00〜[開場18:30]
 会場|富士吉田市民会館1小ホール
 会場住所|山梨県富士吉田市緑ヶ丘2-5-23
 アクセス|富士吉田市民会館
 主催|実験企画室
 
戦雲(いくさふむ)
にらいかない北杜
『戦雲』やまなし一斉上映情報
 三上智恵監督の最新作『戦雲』(いくさふむ)を山梨県全域で上映を企画しています。
 各地域の情報を掲載していますので、ぜひご覧ください。
 前売り券は各会場で異なりますので以下の情報でご確認ください。

などのメッセージと共に今後の予定として 山梨市、笛吹市、大月市、 市川三郷町 が掲載されています。「にらいかない北杜」さんの情報は有難いです。


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NHK報道【臨時の掲載です】
沖縄 米兵 性的暴行事件 「断じて許せず」 県が米軍側に抗議(2024年6月27日 19時27分)
 沖縄のアメリカ軍嘉手納基地に所属する兵士が、16歳未満の少女をわいせつ目的で誘い出し性的暴行をした罪で起訴された事件で、県は27日、嘉手納基地のトップらに対し「断じて許すことはできない。基地と隣り合わせの生活を余儀なくされている県民に不安を与えるものだ」などと抗議し、再発防止を強く要請しました。

外務省“沖縄県への連絡は適切” 米軍兵士起訴の性的暴行事件(2024年6月26日 19時32分)
 沖縄のアメリカ軍兵士が少女に性的暴行を加えたなどとして起訴された事件で、外務省から沖縄県への連絡が遅かったと指摘されていることについて、外務省の報道官は、プライバシーに関わる事件で、慎重な対応が求められるとして、対応は適切だったという認識を示しました。

 この記事には、『起訴されたことし3月27日に、外務省の岡野事務次官がアメリカのエマニュエル駐日大使に抗議しました。 しかし、沖縄県によりますと、外務省が沖縄県側に抗議したことを連絡したのは、6月25日だったということで、玉城知事は「信頼関係において著しく不信を招くものでしかない」と述べました。』 と書かれています。

沖縄県の慰霊の日について記事確認していたら、こんな事に出逢ってしまいましたので記録だけ残します。

毎日新聞 「幸せに暮らしている」 平和の礎、魂魄の塔に遺族訪れ、祈りささげる(2024年6月23日)
【ページ後半に多数記事へのリンク掲載】

特集 沖縄戦
 「鉄の暴風」が吹き荒れた沖縄戦から78年。約3カ月に及んだ地上戦は住民を巻き込み、日米合わせて計約20万人が犠牲となった。

 沖縄 交差するまなざし 歴史と行き来する 賀数仁然さん/上 「イクサヤ、ナランドーヤ…(2024/6/26 毎日新聞・有料記事)
 「この“少年”と私は、同じ門中(もんちゅう)です」。スクリーンに大映しされた写真を指さして、賀数仁然(かかずひとさ)さん(54)が口を開いたとき、会場に小さなどよめきが起きた。今年1月、那覇市・首里城近くの県立芸術大で開かれた沖縄県主催のシンポジウム「首里城地下『第32軍司令部壕(ごう)』周辺に残る戦跡・周辺に残る戦跡・史跡」でのことだ。
 門中とは、沖縄で始祖を同じくする父系の血縁集団で、琉球王府による士族の家譜編さん開始(17世紀)以降、発達した。一族で墓を共有し、「身内」として金銭を融通するなど、現在も門中のつながりは強い。【以下略】

 「午前は生きている。午後は死ぬかも」 16歳の心狂わせたゲリラ戦【2024/6/23 部分引用です・・・】
 第二次世界大戦末期の沖縄戦で少年兵として駆り出され、山奥に潜んでゲリラ戦を強いられた。当時16歳。
 1945年の沖縄戦で、日本軍は沖縄本島を進攻する米軍に奇襲攻撃をかける遊撃部隊を編成した。「護郷隊(ごきょうたい)」と名付けられた部隊の隊員となったのは15~18歳の少年約1000人。短期間の厳しい訓練を経て、複数の中隊に分かれ、山中に潜んだ。
 
NHK 戦没者追悼式 沖縄戦から79年 「慰霊の日」(2024年6月23日 17時24分)
(NHKは最初の画像で 戦没者追悼式の状況を報じています。)
 沖縄は23日、20万人を超える人が亡くなった沖縄戦から79年の「慰霊の日」で、平和の祈りがささげられています。最後の激戦地となった沖縄本島南部の糸満市では、正午前から沖縄県主催の戦没者追悼式が開かれました。
目次
 正午 黙とう
 玉城知事 「平和宣言」
 平和の詩「これから」朗読 宮古高校3年 仲間友佑さん
 岸田首相「平和で心豊かに暮らせる世の中を実現する」
 追悼式出席者「二度と戦争を起こしてはいけない」
 玉城知事 岸田首相と面会 基地負担の軽減の実現求める

沖縄戦から79年「慰霊の日」 平和への祈り(2024年6月23日 19時37分)
 沖縄は23日、20万人を超える人が亡くなった沖縄戦から79年の「慰霊の日」を迎え、戦没者を追悼し、平和への願いを新たにする一日となりました。
 糸満市の「平和の礎」や「魂魄の塔」では、朝早くから遺族などが訪れ、静かに手を合わせて平和への祈りをささげました。
【以下はこの記事の最初に書かれています・・・】
 当時のことを証言できる人が少なくなる中、専門家からは沖縄戦の実相を伝えるための方法が、体験者の証言から、“物言わぬ語り部”とも言われる司令部壕などの戦跡に転換する分岐点にあるのではないかという指摘も出ています。

 一方、県内には依然として全国のおよそ7割のアメリカ軍専用施設が集中し、国が沖縄を含む南西諸島の防衛力強化を進める中、自衛隊の新たな部隊の配備や強化も計画されていて、日本の安全保障に伴う沖縄の役割や負担は増しています。

 県民の多くが命を落とし、平和への強い思いを持ち続けてきた沖縄。戦没者を追悼する23日は平和を見つめ直し、願いを新たにする一日となりました。
【この記事は長文なので、ここには掲載しません。】
 
朝日新聞 沖縄はいま
 続く本土との溝、揺れる米軍基地問題。何が起きているのか、沖縄のいまを見つめます。

断絶した風景が支える「異形の安保体制」 沖縄の負担を見つめるには(2024年6月27日 17時15分)
 異形の安全保障――。日米安保条約を基軸とした日本の安保体制をそう形容するジャーナリストの豊田祐基子さんは、沖縄への過度な基地集中が危機に対する「当事者意識の欠如」をもたらしていると説く。

「沖縄の現状は、御霊を慰めているでしょうか」慰霊の日に玉城知事(2024年6月23日)

岸田首相、異例の辺野古「代執行」触れず 沖縄「慰霊の日」あいさつ(2024年6月23日)

平和宣言で「自衛隊の配備拡張に不安」 玉城知事、南西シフトに言及(2024年6月23日)

6.23慰霊の日
 太平洋戦争末期、沖縄では民間人を巻き込んだ地上戦により、日米両軍と民間人合わせ約20万人が犠牲になった。日本軍の組織的戦闘が終わったとされる6月23日を、沖縄県は「慰霊の日」と定め休日としている。糸満市摩文仁の平和祈念公園では毎年、「沖縄全戦没者追悼式」が開かれる。

平和の詩
 沖縄慰霊の日に朗読される子どもたちの「平和の詩」。沖縄戦の悲劇を受け止め、平和を訴える姿は大きな共感を呼び、年々注目度が高まっています。
【このメッセージもあり、6.23慰霊の日 このサイトは多数の記事が掲載されています。】
 
【平和の詩 はリンクしておきます】
2024年度 沖縄県平和祈念資料館で、詩部門高校の部 最優秀賞でした。
 令和六年度 沖縄全戦没者追悼式 平和の詩「これから」 沖縄県立宮古高等学校3年 仲間 友佑

 2024年度 沖縄全戦没者追悼式 平和の詩 (琉球新報が掲載しました)


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「慰霊の日」~“祈りに包まれる1日”を伝える~(NHK)
【この記事を読んでいて気付きました・・・】
ことしの「沖縄全戦没者追悼式」の中継予定です。
 テレビ 午前11:40~午前11:54 (総合・九州沖縄地方)
     午前11:54~午後00:15 (総合サブ・沖縄県域)
     午後00:15~午後00:45 (総合・全国)
 ラジオ 午前11:50~午後00:15 (ラジオ第1・沖縄県域)
     午後00:15~午後01:00 (ラジオ第1・全国)
NHK放送文化研究所が2022年に行った意識調査の結果では、6月23日が「慰霊の日」であることを知っていたという割合は、沖縄の92%に対し全国では27%にとどまりました。
この機会に、沖縄で戦争があった歴史について関心を持っていただけるよう、放送をお届けしたいと思っています。
NHKでもう一つの放送があります。 沖縄戦79年 〜平和を見つめ直す〜
この番組について
 日米両軍による激しい地上戦に巻き込まれ、沖縄県民の4人に1人が命を落とした沖縄戦から79年となる「慰霊の日」。この日、県内は平和への祈りに包まれる。戦争を体験した県民の割合はすでに全体の1割を下回っているとみられ、ここ数年は平和の尊さを訴えてきた体験者たちも相次いで亡くなっている。体験者が持ち続けてきた平和への願いと向き合い、次の世代が沖縄戦の記憶をどう継承していくか。特集や解説をまじえて考える。
放送
 総合 6月23日(日)午後6:05~6:45(九州地方)
 総合 6月23日(日)午後6:05~7:00(沖縄県地方)

沖縄全戦没者追悼式の中継とは内容が異なる放送と思えます。
上記のNHK記事には『九州・沖縄のみなさんに向けては、夕方6:05からは、沖縄県内が祈りに包まれた「慰霊の日」のもようを特集番組でお伝えします。』 とのメッセージが書かれています。

毎日新聞(特集)特集 沖縄戦
 「鉄の暴風」が吹き荒れた沖縄戦から78年。約3カ月に及んだ地上戦は住民を巻き込み、日米合わせて計約20万人が犠牲となった。

2024年6月21日 「軍神」になった大先輩 同調圧力呼んだ地上戦前夜の顕彰運動(毎日新聞)
「感状上聞(じょうぶん)に達す 大舛中尉 ガ島の陣頭に白刃」
  第二次世界大戦中の1943年10月8日、毎日新聞が1面トップで報じた。この年の1月に南太平洋のガダルカナル島で米軍との激しい戦闘の末に戦死した大舛 松市(おおます まついち)中尉(死後、大尉に昇進)の武勲が天皇に報告(上聞)されたという陸軍省の発表を伝える記事。顔写真とともに経歴が記され、「中学時代は一年から一番で押し通した秀才であった」とある。
【この記事は有料記事です。沖縄県の大舛松市大尉は著名な方で多数の記事がありましたので別記事で掲載したいと考えております。】
関連記事
 2024年6月23日「沖縄慰霊の日」に(沖縄県)

 沖縄戦から79年 命を落とした生徒たちを追悼(NHK)

沖縄県庁サイト 令和6年沖縄全戦没者追悼式の開催
 式典名称 令和6年沖縄全戦没者追悼
 実施日時 令和6年6月23日(日曜日)「慰霊の日」午前11時50分から午後0時40分
 実施場所 平和祈念公園(沖縄県糸満市摩文仁)
以下略します。関連行事など多数の記事が掲載されています。
 
2024年6月19日 沖縄 慰霊の日前に 平和の礎に181人の名前刻まれた刻銘板設置(NHK)

 今月23日の、太平洋戦争末期の沖縄戦から79年となる「慰霊の日」を前に、沖縄県糸満市の平和祈念公園ではこの1年で新たに申告があった戦没者181人の名前が刻まれた刻銘板が新たに設置されました。

 沖縄戦最後の激戦地、糸満市摩文仁の平和祈念公園にある「平和の礎(いしじ)」には、沖縄戦などで犠牲になった24万人を超える人たちの名前が刻まれています。

 沖縄県は、旧日本軍の組織的な戦闘が終わったとされる6月23日を「慰霊の日」と定めていて、これを前に19日、この1年で新たに申告があった戦没者181人の名前が刻まれた刻銘板を設置する作業が行われました。 県によりますと、追加された人たちの内訳は、県出身者が24人、県外出身者が157人となっています。

 県外出身者の中には、沖縄へ向かう途中でアメリカ軍に撃沈された旧日本軍の戦艦大和や軍に徴用された船の乗組員などが含まれているということです。

 19日追加された刻銘板は3枚で、「平和の礎」に名前が刻まれた人は合わせて24万2225人となりました。

 県平和・地域外交推進課の和仁屋浩次さんは「大雨で工事の日程が大幅に遅れたが、慰霊の日を前に無事に設置できたことをうれしく思う。県としてこの刻銘の取り組みを通じて平和を希求する沖縄の心を県内外に発信していきたい」と話していました。
 
2024年06月18日 沖縄戦の体験を語り続ける94歳 突き動かす言葉 (翁長安子さん)(NHK沖縄放送局)
 多くの学生が戦場に駆り出され命を落とした沖縄戦。県立第一高等女学校に通っていた94歳の女性は、学友の多くが「ひめゆり学徒隊」に動員され、自身は別の日本軍の部隊と行動を共にし生き延びました。長年、みずからの体験を語り続けてきた女性を突き動かしているのは、戦場で投げかけられた、ある「ことば」だといいます。
記事担当・NHK沖縄放送局記者 堀井香菜子

 「これからも続けて行かれますか」という質問に対し「生きている間は頑張ろうと思っています」と答えてくれた翁長さん。インタビューの終わりに、次のように話していました。
 『やっぱり自分の実体験を話すことによって、戦争の恐ろしさ、命の大切さ、自分が体験したことを通して命がどんなに大事かということを体験しているので。それを、平和でなければ命は守れないんだということを語り継いでいこうと。だから全てのものに、私は「生きよ」という隊長の言葉を、一生涯自分の生きる糧にしてます。』

取材後記
 翁長さんは、休みも取らず、長い時には4時間ほど講話を続けます。一方、講話した日の夜はなかなか寝つけないということです。次の世代に沖縄戦を伝えることに全身全霊を傾けて取り組んでいるのだと感じています。
 私は去年の春に沖縄に赴任し、体験者から細かい内容を聞いたのは翁長さんが初めてです。壮絶な体験を聞いた時、ショックでどう受け止めていいかわからなくなるほどでした。
 翁長さんに取材を重ねる中で戦争がいかに愚かで平和がどれだけ尊いのか、そして、そのことを理解するためには戦場で何があったのか知ることが欠かせないと改めて考えさせられました。今後も取材を続け体験者のことばを伝えていきたいと思っています。
 
2024年04月11日 沖縄戦79年 少年だったわたしのおじさんが語る家族の死 (NHK沖縄放送局)
 79年前の沖縄戦で、沖縄本島中部の読谷村では2947人の住民が亡くなりました。わたしの父親は読谷村出身。亡くなった人の中には親戚も含まれています。今回、両親と妹を失ったおじさんが、初めてみずからの体験を語ってくれました。

 「自分ももう年だし、今のうちに知っていることをあんたに話しておこうと思ってね。」
 そう話し始めたのはわたしのおじさん、読谷村に住む宮城儀昌さん(87)です。父親のいとこで、正確には“いとこおじ”ですが、昔から親しみを込めて“おじさん”と呼んでいます。

 おじさんは沖縄戦で、旧日本軍に召集された父親の信貞さんと、母親のフサさん、それに妹のトモ子さんを亡くしました。これまで妻以外に話すことがなかったという家族の最期を語ってくれました。
記事担当・NHK沖縄放送局 宮城杏里キャスター

おじさんの沖縄戦 (最後のメッセージだけ掲載します)
『今でも世界で行われている戦争のニュースで小さな子どもが犠牲になっている映像を見ると、自分と重ねてしまいテレビを消してしまう。若い人たちには同じ思いをさせたくない。二度と戦争はやってほしくないと、それを自分は祈っています。』

取材後記
 おじさんの話を聞きながら沸き上がってきたのは「戦争が憎い」という感情でした。わたしはこれまで、悲しいことやつらいことを思い出させてしまうのではないかと考えて、特に自分の身近な人から沖縄戦の体験を聞くことにちゅうちょしていました。ただ、79年が経ついま、もっと体験者のことばを聞き、記録していかなければならないと考えています。
【沖縄の特集記事 沖縄戦 記事一覧】


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初回放送日:2024年6月23日 沖縄戦79年 〜平和を見つめ直す〜(NHK)
 沖縄県民の4人に1人が命を落とした沖縄戦から79年となる「慰霊の日」。県内各地が平和への祈りに包まれるこの日に、戦争の記憶をどのように受け継いでいくかを考える。
この番組について
 日米両軍による激しい地上戦に巻き込まれ、沖縄県民の4人に1人が命を落とした沖縄戦から79年となる「慰霊の日」。この日、県内は平和への祈りに包まれる。戦争を体験した県民の割合はすでに全体の1割を下回っているとみられ、ここ数年は平和の尊さを訴えてきた体験者たちも相次いで亡くなっている。体験者が持ち続けてきた平和への願いと向き合い、次の世代が沖縄戦の記憶をどう継承していくか。特集や解説をまじえて考える。

【沖縄県で 6月23日(日)午後6:05〜午後7:00、その他は 同日 午後6:05~6:45(九州地方)です。】

2024年度 沖縄県平和祈念資料館
第34回 児童・生徒の平和メッセージ展 詩部門 高校の部 最優秀賞
令和六年度 沖縄全戦没者追悼式 平和の詩「これから」 沖縄県立宮古高等学校3年 仲間 友佑
【縦書きの長い詩が掲載されています。】

琉球新報 掲載 公開日時 2024年06月07日
 2024年度 沖縄全戦没者追悼式 平和の詩 全文(「児童•生徒の平和メッセージ」詩部門高校の部 最優秀賞)
 「これから」 沖縄県立宮古高校3年 仲間友佑 (原文のまま、沖縄県平和祈念資料館提供)
【こちらは横書きにした掲載です。】
 

2022年6月23日 06:00 なぜ6月23日が「沖縄慰霊の日」になったのか(毎日新聞)
 6月23日は、太平洋戦争末期に沖縄であった地上戦で犠牲になった人々らを悼む「沖縄慰霊の日」です。なぜ、この日が「慰霊の日」になったのでしょう。沖縄の人たちはどんなふうにこの日を過ごすのでしょう。

 Q:なぜ6月23日を「慰霊の日」としているの?
 A: 1945年6月23日で、沖縄戦での日本軍の組織的な戦闘が終わったとされるためです。この日に、当時、沖縄の防衛に当たっていた日本軍司令官の牛島満中将や、その部下が自決(自殺)しました。(中略)実際は牛島中将の自決後も戦闘は続き、米軍が沖縄作戦の終了を宣言したのは45年7月2日。米軍と現地の日本軍の間で降伏調印式があったのは45年9月7日でした。

 Q:そもそも沖縄戦はなぜ起こったの?
 Q:たくさんの人が犠牲になったと聞くよ。
 Q:なぜそんなに犠牲者が出たの?

 Q:沖縄の人たちは、「慰霊の日」をどんなふうに過ごすの?
 A: 沖縄では6月23日は休日で、朝から遺族らが犠牲者の冥福を祈るために、各地の慰霊塔や慰霊碑に集まります。遺骨が見つかっていない犠牲者が多く、戦後野ざらしになっていた遺骨を沖縄の人たちが集めて建立した糸満市米須の「魂魄(こんぱく)の塔」を訪れる人もいます。この塔は46年2月に建立され、戦後、最初に造られた慰霊塔とされます。

 Q:平和祈念公園である追悼式の様子はテレビ中継もしているよね。

 Q:慰霊の日は特別なんだね。
 A: そもそも沖縄が27年もの長い間、米軍統治下に置かれたのは沖縄戦がきっかけです。米軍は上陸後、占領した住民の土地に次々と基地を造りました。宜野湾市の普天間飛行場など、その多くが今も使われています。また、地中に埋まったままの沖縄戦当時の不発弾も沖縄の人々の生活を脅かしています。1945年の戦争は今につながっているのです。
 
令和6年沖縄全戦没者追悼式の開催(沖縄県 生活福祉部 保護・援護課 2024年6月12日)

 6月23日は「慰霊の日」です。
 県では、糸満市摩文仁の平和祈念公園にて「令和6年沖縄全戦没者追悼式」を開催します。


 一般参列者の会場への入場や式典終了後の一般焼香も実施することとしております。

 今回は日曜日の開催となることから、多くの方が参列を希望されると想定されます。式典会場への入場可能な人数には限りがあることをご理解いただき、ご協力くださいますようお願いいたします。

 なお、御参列の際は、県庁発の無料シャトルバスかバス・タクシー等の公共交通機関を御利用ください。(公園内は車両規制を行っているため、一般車両は入れません)
 ※無料シャトルバスの詳細については、決まり次第掲載します。
 また、各家庭におきましても、正午には1分間の黙とうを捧げましょう。

 式典名称 令和6年沖縄全戦没者追悼式
 実施日時 令和6年6月23日(日曜日)「慰霊の日」午前11時50分から午後0時40分
 実施場所 平和祈念公園(沖縄県糸満市摩文仁)
 実施機関
  主催 沖縄県、沖縄県議会
  共催 一般財団法人沖縄県遺族連合会
     公益財団法人沖縄県平和祈念財団
     公益財団法人沖縄協会
 【後援、関連行事などについて掲載は略します。】

令和6年度沖縄全戦没者追悼式 Q&A
 
平和祈念公園

 平和祈念公園は本島南部の「沖縄戦終焉の地」糸満市摩文仁の丘陵を南に望み、
 南東側に険しく美しい海岸線を眺望できる台地にあります。

 公園整備は琉球政府時代に着手、復帰後昭和47年から都市公園として本格的な整備を進めています。
 公園内には沖縄戦の写真や遺品などを展示した平和祈念資料館、沖縄戦で亡くなられたすべての人々の氏名を刻んだ「平和の礎」、戦没者の鎮魂と永遠の平和を祈る「平和祈念像」、そして摩文仁の丘の上には国立沖縄戦没者墓苑や府県、団体の慰霊塔が50基建立されています。

 国内外の観光客をはじめ、慰霊団、修学旅行生等が多く訪れる聖地であり、観光の要所ともなっております。

 また、休日には多くの家族連れが繰り出し、広い芝生で球技を楽しんだり、ピクニックやレクリェーションの場として利用されています。

 これら、増加する公園利用者の多様なニーズに対応した施設内容の一層の充実を図るとともに、
 世界の恒久平和を祈念し、平和の情報発信の機能を併せ持つ公園として整備を進めています。
 


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2024年6月19日 19時25分 沖縄戦79年 平和祈念祭 命を落とした生徒たちを追悼 那覇(NHK)
 今月23日は、太平洋戦争末期の沖縄戦から79年となる「慰霊の日」です。19日は学業の志半ばで戦場に動員されたり戦禍に巻き込まれたりして命を落とした生徒たちを追悼する「平和祈念祭」が那覇市で開かれました。

 79年前の沖縄戦では、県内の21の学校に在籍していた生徒が学業の志半ばで学徒隊として戦場に動員されたり戦禍に巻き込まれたりして、半数近いおよそ2000人が命を落としました。

 追悼の「平和祈念祭」は、去年まで糸満市摩文仁の平和祈念公園に設置された「全学徒隊の碑」の前で開かれていましたが、ことしは参加者の高齢化を踏まえ、旧制県立第一中学校の寮があった那覇市にある養秀会館に会場を移し、「全学徒隊の碑」の写真を飾って行われました。

 19日の会では、県立農林学校の卒業間際に旧日本軍の部隊に動員された渡口彦信さん(97)が艦砲射撃や空爆を間近に見て圧倒されたことなどみずからの体験を語りました。

 そして、沖縄戦当時、旧制県立第一中学校に通っていた宮城政三郎さんが作詞・作曲をした歌を県立首里高校の合唱部の生徒たちが披露しました。

 19日の会には宮城さんも参加していて、歌を聞いたあとは手を合わせて感謝の気持ちを生徒たちに伝えていました。

 また、県立第一中学校の4年生のときに鉄血勤皇隊として動員された與座章健さん(95)は「元学徒も余命いくばくか知る由もありませんが、いかなる戦争であれ、阻止しなければならない」と平和宣言を読み上げました。

 「平和祈念祭」のあと、「元全学徒の会」の共同代表の瀬名波榮喜さん(95)は「きょうは自分の旧友たちに会うことができる日です。生きているかぎり慰霊祭は続けます。二度と沖縄戦が起きないように頑張らなければならない」と話していました。

元学徒の談話

 「平和祈念祭」でみずからの体験を語った渡口彦信さん(97)は「悲しいというか、やりきれない思いで、亡くなった魂はやはり平和を願っているだろう。戦争で亡くなった学友や戦友を弔ってきた79年間だったが、それが生きている私の務めだと思う」と話していました。

 昭和高等女学校から「梯梧学徒隊」として動員され、「全学徒隊の碑」の設置を同級生らと呼びかけた吉川初枝さん(96)は「皆さんと一緒なら活動をやっていけるが、1人ではできない。何もできないけど、慰霊祭にだけは出席しようとしてきた」と話していました。

 沖縄戦当時、県立第一高等女学校に通っていて、身を寄せていたごうの上から攻撃を受けながら九死に一生を得た翁長安子さん(94)は「同世代の仲間の慰霊ということで、ほかの慰霊祭とは違う気持ちだ。希望を持って学校に入ったはずの皆さんが命を失ったかと思うとしのびない。79年がたち、彼女や彼らが生きていたらどんな生き方をしていたのだろうかと思う」と話していました。
 
6月23日は「慰霊の日」です。
 沖縄県では糸満市摩文仁の平和祈念公園にて「令和6年沖縄全戦没者追悼式」を開催します。
 詳細は 沖縄県庁の記事 令和6年沖縄全戦没者追悼式の開催
 


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『戦雲(いくさふむ)』公式サイト
【以下は通常のホームページです https://ikusafumu.jp/】

軍事要塞化する南西諸島。圧殺されるのは沖縄の声だけではない−
 『標的の村』『沖縄スパイ戦史』三上智恵監督、渾身の最新レポート
 全国公開中 & 自主上映会募集中

 このページの下部に『劇場イベント情報』があり、北海道・東北/関東/中部/近畿/中国・四国/九州・沖縄 に分けて『地域 劇場名 電話番号 公開日』が掲載されています。
これは各地の「映画館」が事業として実施されています。

 [東京]シネマ・チュプキ・タバタ:6月15日(土)
  6/15(土)12:40の回上映後、三上智恵監督による舞台挨拶
 [埼玉]川越スカラ座:6月15日(土)
  6/15(土)15:20の回上映後、三上智恵監督による舞台挨拶
 [東京]ポレポレ東中野:6月16日(日)
  6/16(日)14:40の回上映後、三上智恵監督による舞台挨拶
【上記3件のこの件については、関東の「劇場イベント情報」にも掲載されています。】

 この記事の最初に書いた『戦雲(いくさふむ)』サイトを広げると各地の「映画館」情報として 北海道・東北~九州・沖縄 の全国映画館での状況が記されて、すでに終了したサイトも多いようです。
記事の冒頭に 『自主上映会の開催方法 スケジュールはこちら』 と書かれた部分があり、これをクリックすると『自主上映会のご案内』と書かれたページが開きます。それが以下のページです・・・

自主上映会のご案内

 あなたの街で「戦雲 いくさふむ」の上映会を開いてみませんか?
 一緒に見て、一緒に考える上映会は、新しい出会いや、語らいの場、地域コミュニティとのつながりを生み出します。
 地域向けだけでなく、学校教育機関をはじめ団体・企業内での上映会も開催いただけます。
 初めての方でも上映会を開催していただけるよう、サポートいたします。
 資料ご確認のうえご不明な点は、お気軽にお問い合わせください。

 別紙の詳細案内・自主上映会のご案内
 『この度は、三上智恵監督最新作『戦雲』自主上映会の開催をご検討いただき、ありがとうございます。』 とお礼から始まるサイトです。更新日 2024.5.20(枚数 4 枚)
 ❖はじめにご確認ください〜お申込手続きの手順〜
 ❖上映会の受付条件(地域・日程)について
 ❖2024年9月1日(日)までの間に開催する上映会について
 ❖2024年9月2日(月)以降に開催する上映会について
— 次のページから、お貸し出し料金など詳細のご案内を記載しています —
 ■上映料金 その他、担当者の確認が必要な内容の素晴らしいページで驚きました。
 
にらいかない北杜
 トップページでリンクされた 『戦雲』やまなし一斉上映情報 を開いてご覧ください。以下のように素晴らしい記事・・・
  三上智恵監督の最新作『戦雲』(いくさふむ)を山梨県全域で上映を企画しています。
 各地域の情報を掲載していますので、ぜひご覧ください。
 前売り券は各会場で異なりますので以下の情報でご確認ください。
 *甲府市と甲斐市は共通券となります。
自主上映会のサイトに山梨県も掲載されています、8月の2点は全国報道で掲載済み

『戦雲(いくさふむ)』北杜市上映会&三上智恵監督舞台トーク
 上映日 2024年7月28日(日)
 時間  1回目上映   14:00〜16:15
     監督舞台トーク 16:30〜17:30
     2回目上映   18:00〜20:15
 会場  北杜市須玉ふれあい館 ホール
 料金  予約・1,000円 当日・1,200円 高校生以下無料
 主催  にらいかない北杜

「戦雲」甲府市上映会
 上映日|2024年8月24日(土)
 上映時間|10:00[開場9:30]/14:00[開場13:30
 会場|山梨県立文学館講堂 住所|山梨県甲府市貢川1-5-35 交通アクセス
 主催|『戦雲』やまなし上映実行委員会

「戦雲」甲斐市上映会
 上映日|2024年8月25日(日)
 上映時間|10:00[開場9:30]/14:00[開場13:30]
 会場|甲斐市立敷島総合文化会館 住所|山梨県甲斐市島上条1020
 主催|『戦雲』やまなし上映実行委員会
 
この事業について沖縄の状況から学び直そうかと考えています。
【掲載記事ご案内】


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昨年・2023年 沖縄、再び戦場(いくさば)へ (仮) (2023年10月31日まで)をブログ記事にしました。その時に今年3月から次の作品が・・と記録していたのですが確認できました。
戦雲 -いくさふむ-
 2024年3月16日~ポレポレ東中野ほか全国順次公開の発表です。
集英社からは本の発売 戦雲-いくさふむ- 要塞化する沖縄、島々の記録
 2024年1月17日発売 1,320円(税込)新書判/320ページ
Facebook 三上智恵 監督 最新作『戦雲』(いくさふむ)
 2024年3月16日~ポレポレ東中野ほか全国順次公開 『戦雲』サポーター募集中!お申込みはこちら
 三上智恵監督 最新作『戦雲』サポーター募集中!
 三上智恵監督の最新作『戦雲(いくさふむ)』を、2024年3月16日(土)より[東京] ポレポレ東中野ほか全国の映画館で順次公開します。 本作のポスター掲示やチラシ配布などをしていただけるサポーターを募集しています。 送料や購入費用はかかりません。どうかふるってご協力ください
三上智恵監督 最新作『戦雲』(いくさふむ)
 Facebookで関係記事サイト多数のリンク掲載あり
三上智恵氏のTwitter
 2023年12月21日 新しい本を出します!来月集英社新書から「戦雲」、新作映画と同じタイトルです。 大部分は映画本編に入れきれなかった八年間の日々の取材記録と映像もスマホをかざせば見られます。

にらいかない北杜
 三上智恵監督 新作『沖縄、再び戦場へ(仮題)』スピンオフ作品 上映会
 にらいかない北杜さん・・山梨県北杜市を中心に、沖縄の基地問題に関しての映画の上映や講演会などを企画し、またその情報を発信するブログです。「にらいかない」は沖縄の理想郷伝説「ニライカナイ」からいただいた名称です。
 沖縄のドキュメンタリー映画を撮り続けている三上智恵監督のスピンオフ作品の上映会を開催します。

 


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2023年6月23日は「沖縄慰霊の日」(NHK沖縄の記事より)

 戦没者追悼式 岸田総理大臣のあいさつの全文 

 戦没者追悼式 玉城知事「平和宣言」全文

 “二度と戦没者遺族を出さない” 沖縄 慰霊の日 追悼のことば(沖縄県遺族連合会 会長)

 戦没者追悼式で朗読された「平和の詩」全文

 沖縄県 平和宣言 『平和宣言においても、平和を希求する「沖縄のこころ・チムグクル」を世界へ発信するため、英語、中国語及び韓国語に翻訳しています。』 と書かれています。
 (沖縄県の 子ども生活福祉部 女性力・平和推進課
 平和宣言(令和5年)(PDF:128KB)【NHKが報じた追悼式での知事・平和宣言の原本かと思います。】


 【平和の詩 末尾に書かれた「チムグクル」は「真心」の意味であると時事通信がメモしています】
 2023/6/14 沖縄のチムグクルを次世代に 高校生が平和の詩に込めた想い(沖縄・OKITIVE) ▽平安名秋さん  「沖縄の心「チムグクル」が同世代そして次世代に受け継いでいくことがとても大切だということで、少しでもそれが(当日)詩で表現できたらなと思っています」
沖縄の報道機関から・・・
 2023年6月23日 [社説]慰霊の日に 「平和な島」を手放すな(沖縄タイムス)

 2023年6月23日 <社説>戦後78年「慰霊の日」 沖縄は「戦場」を拒否する(琉球新報)

 2023年6月23日 【視点】慰霊の日 沖縄の守り万全に(八重山日報)

 2023年6月23日 「水、水、水を」…沖縄戦で右太ももを爆弾でやられた祖父の最期 花婿不在、母の豪華な婚礼写真 75歳、沖縄2世が語る家族の歴史(沖縄タイムス)

毎年6月23日は「沖縄慰霊の日」です。これまでもブログに書きましたが・・・
2022-06-23 6月23日 沖縄慰霊の日
 2020年からコロナ禍の関係で自分のブログも何かと遠慮していたような3年間だった・・・

沖縄県には県営の 平和祈念公園 があります・・・
 『公園内には沖縄戦の写真や遺品などを展示した平和祈念資料館、沖縄戦で亡くなられたすべての人々の氏名を刻んだ「平和の礎」、戦没者の鎮魂と永遠の平和を祈る「平和祈念像」、そして摩文仁の丘の上には国立沖縄戦没者墓苑や府県、団体の慰霊塔が50基建立されています。』

 平和の礎(いしじ)
 『「礎(いしじ)」とは、建物などの基礎の「いしずえ」を沖縄の方言で「いしじ」と発音することに由来するものです。平和創造の「いしずえ」となることを期待して付けられたものです。』

沖縄県庁サイトの 平和の礎 ページで 「平和の礎 日本語ページへ(へいわのいしじ)」を開いて、
 目次の4で 「平和の礎」刻銘者数一覧 を開くと 出身地別刻銘者総数、沖縄県出身刻銘者数(市町村別)、沖縄県以外の都道府県出身刻銘者数(都道府県別)の表示を確認できます。
他の目次は以下の通り・・・
 1 「平和の礎」に係る刻銘の基本方針(『刻銘の基本方針』)
 2 「平和の礎」案内図
 3 「平和の礎」の刻銘についてのお問い合わせ
 5 「平和の礎」建設の趣旨、基本理念、デザインコンセプト
 6 「平和の礎」事業の経過、除幕式の様子
沖縄県庁Webページの 教育・文化・交流 カテゴリーには、「平和」サイトもありました。

2023年06月12日 企画展「沖縄が戦場になった日」 平和祈念資料館 来月(7月)9日まで(NHK沖縄)【動画あり】
 『展示では子どもが戦争に巻き込まれた事を知ってもらうため、戦場に取り残された子どもがアメリカ兵から食糧をもらう様子や井戸に隠れていた少年が救出される様子など当時の子どもたちの写真が多く紹介されています。』
 『県平和祈念資料館の平田守学芸員は「戦争をしないため、起こさないための努力が大切だということを展示を通して子どもたちには考えてもらいたい」と話していました。』
沖縄県子ども生活福祉部 平和祈念資料館
沖縄県平和祈念資料館
 令和5年度 第1回子ども・プロセス企画展 沖縄が戦場になった日 開催のお知らせ 今回の企画展では、沖縄が戦場になった経緯、地域ごとの戦闘の様子や住民の被害などを展示しています。展示を通して、子どもたちが地域に関心をもち、沖縄戦の実相について学ぶ機会となればと考えています。「前期:6月8日(木)~ 7月9日(日)/後期:9月6日(水)~ 10月1日(日)」

慰霊塔・碑(平和祈念財団管理分)
 『公益財団法人沖縄県平和祈念財団では46都道府県の塔を清掃管理しています。』と書かれた平和祈念公園のページがあります。
甲斐之塔(山梨県)『各都道府県沖縄戦関係慰霊塔エリア/霊域参道』
 『この塔は山梨県中富町山中幸作氏が昭和26年6月本土他府県にさきがけて建てた慰霊塔の第1号である。』 と始まる碑文が掲載されています。
山梨県と同じく、慰霊塔・碑(46都道府県の慰霊塔紹介ページ)に「碑文」が掲載されています。

色で各慰霊塔・碑の所在地を示しています。
 ■緑色=糸満市摩文仁(まぶに) ■青色=糸満市米須 ■茶色=糸満市真栄里
 ■スミレ色=八重瀬町具志頭 ■オレンジ色=宜野湾市嘉数
所在地を色で確認すると
 緑色 「糸満市摩文仁」に32点【下記の都道府県以外の府県、下に案内地図を掲載しました】
 青色 「糸満市米須」には 北海道、奈良県、和歌山県、鳥取県、島根県、広島県、香川県、大分県 の8点
 茶色 「糸満市真栄里」に 山形県 のみ
 スミレ色「八重瀬町具志頭」に 山梨県、高知県 の2点
 オレンジ色「宜野湾市嘉数」(嘉数台公園内)に 京都府 のみ
 宮崎県 は 大分県などが近い場所 ひむかいの塔(宮崎県)
 東京都 は「糸満市山城」に 東京之塔(東京都)(ページが開きます)

【追録】
2023.05.13 沖縄「平和の礎」に広島県出身296人刻銘へ(NHK広島)【NHK動画で説明あり】NHKニュース
 沖縄戦などで犠牲になった人たちの名前が刻まれている沖縄県にある「平和の礎」に、旧日本海軍の戦艦大和の乗組員だった人たちなど広島県出身の296人の名前が6月、新たに刻まれることになりました。 広島県出身者で追加される数としては過去最多となります。【以下引用省略】 沖縄県糸満市の平和祈念公園にある「平和の礎」には、毎年6月23日の「慰霊の日」にあわせて新たに申告があった戦没者の名前が追加で刻まれています。 広島県によりますと、戦没者の研究を続け、去年亡くなった広島経済大学の岡本貞雄名誉教授などの調査で、鹿児島県沖で沈没した旧日本海軍の戦艦大和の乗組員などが刻まれていないことが分かり、広島県は296人の名前を追加するよう沖縄県に申告していました。 これについて沖縄県から、296人全員の名前が来月、新たに刻まれることになったと連絡を受けたということです。 広島県によりますと、平成7年に「平和の礎」が完成した際、広島県出身者では1244人の名前が刻まれましたが、追加分では過去最多だということです。 また、追加された人数は、沖縄県を含む全国で去年が55人、おととしが41人で、それを上回る数となります。 岡本名誉教授は生前、NHKの取材に対して「広島以外でも名前が刻まれていない人がたくさんいる可能性があり、全国で調査が進むことを望む」と話していました。

2023.06.20 平和の礎365人の追加刻銘版を設置 沖縄・慰霊の日を前に(沖縄テレビ放送)
 今月23日の慰霊の日を前に糸満市摩文仁の平和の礎では20日、今年名前が追加された365人の刻銘版が設置されました。 糸満市摩文仁にある平和の礎には国籍や軍人・民間人を問わず沖縄戦や太平洋戦争などで犠牲になった24万人余りの名前が刻まれていて、県は遺族などから申告を受け毎年追加刻銘しています。 今年は県出身者24人と県外出身が341人のあわせて365人の名前が追加され20日、刻銘版を設置する作業が行われました。 ▽沖縄県子ども生活福祉部女性力・平和推進課 新垣耕班長 「名前が刻まれたことは確かに生きていたという事になる。戦争の悲惨さや愚かさを伝え続ける事ができるし戦争を2度とやってはいけないという事を広く国内外に沖縄県から発信したい」 平和の礎に刻まれたのは24万2046人となりました。

2023.06.21 沖縄「平和の礎」に戦艦大和の乗組員も 広島県296人を追加刻銘(広島・RCC(中国放送))
 沖縄戦の犠牲者の名前が刻まれている「平和の礎」に、戦艦大和の乗組員など、新たに365人の名前が追加された刻銘版が設置されました。   国籍や民間人・軍人の区別なく、沖縄戦などで亡くなった全ての戦没者の名前を刻む糸満市の「平和の礎」に、この1年で新たに判明した戦没者の名前を刻んだ刻銘版が20日、設置されました。【以下の引用は省略します】  追加刻銘されたのは365人で、このうち戦艦大和の乗組員など296人が広島県出身者です。   戦艦大和は、太平洋戦争末期に沖縄特攻に出撃。アメリカ軍機に撃沈され、大和だけでおよそ3000人が戦死しました。広島県関係の戦没者は、そのほぼ1割にあたります。   平和の礎には、艦長や艦隊司令長官の名前はすでに刻銘されていましたが、研究者が調査で判明した乗組員の名前を広島県を通じて沖縄県に申告していました。   沖縄県 こども生活福祉部 女性力・平和推進課 新垣耕 班長   「平和の礎に名前が刻まれるということは、戦没者の人が確かに生きていたということになります。(平和の礎から)戦争を2度とやってはいけないということを沖縄県から広く国内外に発信していきたいと考えています」   追加刻銘で、平和の礎の刻銘者は24万2046人になりました。


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追録
2022年6月23日 沖縄戦から77年「慰霊の日」 県主催の戦没者追悼式開かれる(NHK報道  ことしの「平和の詩」【全文】が掲載されています。)
2022年6月20日 【慰霊の日】平和歌『月桃』はなぜ3拍子なのか 沖縄で歌い継がれて40年 海勢頭さんインタビュー HUB沖縄(つながる沖縄ニュースネット)
 テレビのニュースがこの歌『月桃』についても報じていたので探してこの HUB沖縄 (合同会社沖縄ニュースネット)の記事にたどり着きました。
 『月桃』の歌詞は以下の通りだ。メロディはYouTube動画を参照。 (※海勢頭さんご本人の許諾の上で歌詞を掲載しています)・・・と記事に書かれています・・・
 YouTube・【フル】月桃(沖縄の歌) 曲名 月桃(げっとう) 作詞・作曲 海勢頭 豊(うみせど ゆたか)
2022年6月08日 沖縄島唄~伝説の巨人たち -本土復帰50年記念盤-(ビクターファミリークラブ・ネットショップ)
沖縄県法規集
沖縄県慰霊の日を定める条例(昭和49年10月21日条例第42号 所管部署・子ども生活福祉部 女性力・平和推進課
 沖縄県慰霊の日を定める条例をここに公布する。
沖縄県慰霊の日を定める条例
第1条 我が県が、第二次世界大戦において多くの尊い生命、財産及び文化的遺産を失つた冷厳な歴史的事実にかんがみ、これを厳粛に受けとめ、戦争による惨禍が再び起こることのないよう、人類普遍の願いである恒久の平和を希求するとともに戦没者の霊を慰めるため、慰霊の日を定める。
第2条 慰霊の日は、6月23日とする。
附 則
 この条例は、公布の日から施行する。
「慰霊の日」のはじまり(PDFファイル)沖縄県公文書館が掲載した記事です。)
【以上備忘追録 2022-06-23 過ちを繰り返さない為に、国民一人一人が何を考え、何をなすべきか、自分もその一人だと考えながら選挙に出かけよう・・・来年の今日、またこの記事を更新できるかな・・】
各都道府県慰霊塔・碑一覧
沖縄県営平和祈念公園のページで、慰霊塔・碑(平和祈念財団管理分)に、
『公益財団法人沖縄県平和祈念財団では46都道府県の塔を清掃管理しています。』 と記されたページがあります。
甲斐之塔(山梨県)
甲斐之塔(山梨県)

《建立の経過》 碑文から
 この塔は山梨県中富町山中幸作氏が昭和26年6月本土他府県にさきがけて建てた慰霊塔の第1号である。
 当時氏は某建設会社の社員として渡沖し、業務のかたわら苛烈な戦蹟を訪ねまわり郷土山梨県人の散華の地と聞いては各所に私費を投じて塔を建て、英霊に供養したが、その5基中の1基である。
 碑面の「慰霊塔」の文字は山梨県知事天野久氏の書であるが、之等一切の経費は自身の月給をさいてまかなったのである。
 今回全県民の熱意によって「甲斐之塔」が見事落成したのも、正に氏の遺業がもたらしたものと信じ、本会は氏の遺徳をたたえ顕彰状を贈呈して茲にこれを記したのである。
  昭和41年11月8日
  社団法人山梨母をたたえる会理事長
  山梨母の光会長 志村幸雄 讃書
私は 2018年6月23日のブログ記事で、6月23日沖縄慰霊の日、山梨平和ミュージアム開催中の山梨と沖縄展 を書きました。その時に46都道府県の慰霊の塔について知ったのです。(上の画像は2018年記事での引用)
今の沖縄は46都道府県に代って米軍基地が置かれる状況にあるのではないか、その沖縄県内基地の新増設を地元の人々が反対すると沖縄を批判する内地の人々もいるようです。しかしそんな内地人の縁続きかも知れない多数の戦死者が沖縄県で今も丁寧に奉られているのです。
新型コロナウイルス感染症被害の人口比トップが現状では沖縄県です、私は何かおかしい、何が原因なのかと思ってはいるのですが未確認のまま、地元山梨県の状況を追うのに精一杯です。
以前からの想いもあり、沖縄に出かけて直接学びたい事もあるのですが、見果てぬ夢で終りそうな今日この頃です。
【追録 2021-06-24】 2021年6月23日 全国75.5%の人たちが知らなかった沖縄の「慰霊の日」 きょう沖縄戦から76年 『沖縄タイムスは今回、ヤフーとの共同調査を実施。6月7~8日、10代以上のヤフーユーザーを対象にインターネット上で回答を募り、全18問で全国2000人から回答を得た。回答したのは50代以上が最も多く、35.2%、次いで40代で34.3%、30代で20.4%だった。質問では「慰霊の日」を知っているかどうかや、「沖縄戦」について聞いたことがあるかなど自由記述も交えながら18項目について答えてもらった。』
記事の末尾にこのように記されていましたので記録しておきます。


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天皇陛下のお言葉(宮内庁) 令和4年5月15日 沖縄復帰50周年記念式典(オンラインにて御臨席)
 沖縄復帰50周年に当たり,本日,沖縄と東京をオンラインでつなぎ,記念式典が開催されることを誠に喜ばしく思います。
 先の大戦で悲惨な地上戦の舞台となり,戦後も約27年間にわたり日本国の施政下から外れた沖縄は,日米両国の友好と信頼に基づき,50年前の今日,本土への復帰を果たしました。大戦で多くの尊い命が失われた沖縄において,人々は「ぬちどぅたから」(命こそ宝)の思いを深められたと伺っていますが,その後も苦難の道を歩んできた沖縄の人々の歴史に思いを致しつつ,この式典に臨むことに深い感慨を覚えます。
 本土復帰の日,中学1年生であった私は,両親と一緒にニュースを見たことをよく覚えています。そして,復帰から15年を経た昭和62年,国民体育大会夏季大会の折に初めて沖縄を訪れました。その当時と比べても,沖縄は発展を遂げ,県民生活も向上したと伺います。沖縄県民を始めとする,多くの人々の長年にわたるたゆみない努力に深く敬意を表します。
 一方で,沖縄には,今なお様々な課題が残されています。今後,若い世代を含め,広く国民の沖縄に対する理解が更に深まることを希望するとともに,今後とも,これまでの人々の思いと努力が確実に受け継がれ,豊かな未来が沖縄に築かれることを心から願っています。
美しい海を始めとする自然に恵まれ,豊かな歴史,伝統,文化を育んできた沖縄は,多くの魅力を有しています。沖縄の一層の発展と人々の幸せを祈り,式典に寄せる言葉といたします。

内閣府・沖縄復帰50周年を迎え
 沖縄の本土復帰50周年を記念し、国民全体として、復帰の歴史的意義を想起し、沖縄の歴史に思いを致すとともに、沖縄の一層の発展を祈念して、政府と沖縄県の共催により、天皇皇后両陛下のオンラインでのご臨席のもと、記念式典を挙行します。  沖縄復帰50周年
沖縄復帰50周年特設サイト・・・イベント(記念事業)情報・・・沖縄復帰50周年記念式典【ライブ配信】(YouTube)
内閣府の政策・沖縄政策・・・沖縄政策・関係法令・方針・計画(※)
沖縄振興基本方針について
 沖縄振興基本方針「令和4年5月10日 内閣総理大臣決定」(PDFファイル)
 沖縄振興基本方針(概要)(PDFファイル)
共同通信・政府、沖縄振興の新方針決定 持続可能な「強い経済」(2022/5/10 08:59)
 政府は10日、沖縄振興政策の指針となる新たな基本方針を決定した。対象は2022年度から10年間。沖縄の自立的発展のため「持続可能性のある強い経済」の実現が求められているとして、競争力のある産業を振興し、民間主導の経済発展を目指すと掲げた。沖縄県は新方針に沿った振興計画を近く策定する。   基本方針は、今月15日で日本復帰から50年となることを受け、これまでの沖縄振興の成果を強調。一方で、全国最下位の1人当たり県民所得や、子どもの貧困といった課題が残ると指摘した。   基本方針の策定は初となった12年以来。

1972(昭和47)年5月15日に沖縄が日本に復帰した時から2022年5月15日は50年になります。
2022年5月7日 沖縄タイムス・平和で豊かな沖縄の実現へ 玉城知事、新たな建議書を発表
  玉城デニー知事は7日、沖縄の日本復帰50年に合わせた「平和で豊かな沖縄の実現に向けた新たな建議書」を発表した。日米両政府に対して基地のない平和の島を実現を目指し辺野古新基地建設の断念、日米地位協定の改定などを求めている。また、自立型経済の構築の実現にも取り組むことも要請した。玉城知事は「復帰前後の歴史を踏まえ、そしてこれから先の50年、100年後の未来をも見据えた内容だ」と意義を強調した。
沖縄タイムス 復帰50年
琉球新報にも特集サイトがあります 復帰50年
共同通信・2022年5月9日・写真で振り返る復帰50年  沖縄タイムス社と朝日新聞社が沖縄と日本の歩みを振り返る特設サイト開設、この記事で紹介されたサイトを確認・・・
沖縄1972「変わらぬ願い編」﹣写真でたどる日本復帰50年:朝日新聞デジタル
沖縄1972「変わる日常編」﹣写真でたどる日本復帰50年:沖縄タイムス+プラス
【コロナ禍が始まって以来、自分の情報確認が片寄っていたと反省せざるを得ない沖縄の日本復帰50年です。なんとか時間を作って膨大な記事を読んでいきたいと思っています。沖縄がウクライナと同じ目に遭う事が無いように・・・そんな事も思いながら、、、】

【以下は昨年5月15日に掲載した記事です】
1972(昭和47)年5月15日に沖縄が日本に復帰した時から今年2021年5月15日は49年になります。
2016年05月15日には 沖縄復帰44年 第39回 5・15平和行進 を書きました。その後は復帰記念日を記事にしたことはありませんでした。
沖縄平和運動センター から2020年の記事を引用させていただきます。【PDFファイルがアップロードされていますのでリンクに切り替えます 2022.05.13】
復帰 48 年 5・15 平和アピール 2020年5月15日 5・15 平和行進実行委員会/沖縄平和運動センター
私が2016年に書いていた記事から部分引用しておきます・・・
 1972年(昭和47年)5月15日、沖縄が日本に復帰した記念日です。立役者は時の総理大臣佐藤栄作氏、その密約を暴いたのが毎日新聞記者の西山太吉さんでした。・・・西山事件(Wikipedia ) 安倍晋三政権の下でいろいろな法制の新設・改訂が行なわれている状況を観ながら、私は西山事件も思い出しています。
現在進行形の事象を考察する時には歴史から学ぶことも多いです、その記録がいつでも誰でも何処からでも見られるならですが・・・だから、情報が隠されている時は裏に何かあるものです。
沖縄県のコロナ禍が拡大した原因は在留米軍人の無症状感染者、彼等自身は感染しているとは気付いておらず、平常時と同じ市中行動、それによるのかも知れないと私は思って来たのです。
「それでもまだ憲法は⽣きています」 沖縄の皆さんがこう書かざるを得なかった国政の現況に注意しながら、まずはコロナ禍と対峙していこうと思います。


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