ICT工夫
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湯村の杜 竹中英太郎記念館
 400-0073 甲府市湯村3-9-1 電話:055-252-5560
 開館時間 10:00~16:00 火・水曜日定休
 入館料 300円(高校生以上)、200円(小・中学生)
 臨時休館することがございますので、館長日記やお知らせをご確認くださいますようお願いいたします。
竹中 紫_Facebook
 yukari.kaneko 様 竹中英太郎記念館の館長として竹中のお名前です。ご主人の金子様は記念館主宰として館長を補佐しておられます。
 Facebookにお書きの内容は記念館本文の「館長日記」でも掲載されておられますが、近年は読者の方々のメッセージはFacebookがほとんどです。Facebook時代と言うべきでしょうか。

平成16年(2004年)4月10日、湯村の杜 竹中英太郎記念館がオープンされました。
令和6年(2024年)4月10日で20周年です。

山梨県に来て色々な事業所・施設など確認させていただきましたが、その中に竹中英太郎記念館もありました。
このブログに書いた最初は 2006-04-28 記念館の訪問でした。亡き竹中労さんは都内の電車で月刊誌などの電車広告にいつもお名前があった方だと気付くと共に、労さんが英太郎様のご子息と初めて知りました。でも月刊誌などで労さんの記事を読んだことはありませんでした。記念館で書籍・雑誌を拝見するのも楽しみなのです。
板谷 麻生 asao.itaya 様
日めくりカレンダー 2024年1月23日
 先日ぼーっとしているときに、ぱっと浮かんだ。日めくりカレンダーを作ることを思いついた。一日から三一日まで格言や名言、教訓、故事が載った日めくりを作ればずっと使える。資源を無駄にしないし、また役立つ言葉が書いてあれば見た人にも良い影響を与えるだろう。
  【中間記事の引用は略します】
 二日。「人は無力だから群れるのではなく、群れるから無力になる」この言葉は、ルポライター竹中労の名言だ。人は己自身が強くなれば、群れる必要はなく強くなれると竹中は言った。
 竹中は生前、時の首相夫人に対して「庶民ぶるネコなで声の権勢欲夫人」と揶揄した記事を書いた。首相側から名誉毀損で訴えると言われた週刊誌の編集部は竹中の連載を中止した。それに怒った竹中は週刊誌を相手に訴訟を提起し、八年後週刊誌側が慰謝料と謝罪文を出すことで和解した。このように竹中は群れないことで生涯強く生きた。
 【以下の引用は略します、リンクした「日めくりカレンダー」をお読みください】
昨2023年には2件のみ、その前は2016年でした。「竹中英太郎記念館」としてのブログ掲載は64件
 2023-09-30 湯村の杜 竹中英太郎記念館 at 山梨県甲府市
 2023-06-02 竹中英太郎と村岡花子
 2016-08-19 後に続くものを信ず、今ふたたび 竹中労を偲ぶ会
2024年01月28日 大安の日にこの記事を掲載します。


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湯村の杜 竹中英太郎記念館
 竹中英太郎記念館 館長日記 【記念館サイト 10月8日の掲載日記】
 Facebook 掲載の館長日記
 Twitter 掲載の館長日記
  昭和初期、雑誌・新青年を中心に江戸川乱歩、横溝正史、夢野久作氏等の小説に挿絵を描いておりました 父 ・竹中英太郎の画業を紹介する為、平成16年4月10日「湯村の杜 竹中英太郎記念館」をオープン、館長を務めております。【これは館長さんのメッセージです。】
読売新聞が 2023年10月7日に記事にされたとの事で、館長日記にその記事が紹介されています・・・
 「読売新聞に掲載されました・・・・・」とタイトルの館長日記です。

私は山梨に来て最初の頃に、何かで竹中英太郎記念館を知り訪問したのですが、竹中英太郎様についてまったく知らなかったのです。
1991年にご逝去された竹中労さんが英太郎様のご子息で、記念館の館長 紫(ゆかり)さんは労さんの妹さんと知りビックリしたのでした。
この時以来、年に何度かは訪問して展示作品や書籍を拝見してきましたが、2020年のコロナ禍以来、訪問していないのです。そんな時に今回の読売新聞記事です、ハッとして焦りました。
早く仕事を整理して出かけよう、そんなことを思いながらこの記事を書きました・・・


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竹中英太郎と村岡花子 このお二人が何処で結びつくかと言えば、「竹中英太郎記念館」と「赤毛のアン記念館」、仕事場が共に記念館として残されていること、そして甲府という2点です。

東京という点では竹中英太郎は昭和14(1939)年秋頃から東京の大井北浜川町1丁目で鉄工所を経営したということです。大井北浜川町は現在は東大井2丁目、東大井3丁目に変わっています、大田区です。
東大井の地図 でみると、確かに浜川中学、小学校の名前もあり、第一京浜国道(国道15号線、通称イチコク)に沿った地域ですが、京浜急行の立会川(タチアイガワ)駅が最寄りでしょう。
この第一京浜とほぼ平行して池上通りが大井町から池上本門寺の門前町まで続いています。

村岡花子が住み、現在は 「赤毛のアン記念館」がある大森中央地区は池上通りの沿線であり、馬込文士村 という山王、南馬込もこの通りの右側(西側)になります。
高台の土地で坂道が多く、複雑な道路に迷いやすい地域です。

私は村岡花子が甲府出身だと今日初めて知りました。山梨県立文学館のイベント情報を読んだからです。
「赤毛のアン記念館・村岡花子文庫」開館のご挨拶 を拝読すると、竹中英太郎記念館とも同じ想いを感じます。それはおそらく横溝正史書斎(山梨市に移築)とも同じでしょう。

関連して私のホームページで 赤毛のアン を書いています。

Genkan_katte28
竹中英太郎は門から入ったすぐ足元に「直進-玄関、左-勝手口」という文字を石に刻んで埋めました。
その玄関方向に真っ直ぐ進んでください。
そこが 湯村の杜 竹中英太郎記念館 です。
 山梨県甲府市湯村3-9-1
 館長日記_Facebook
  

【追録】2023-06-02  東洋英和女学院サイトの記事から部分引用させていただきました。
学院資料・村岡花子文庫展示コーナー
 「学院資料・村岡花子文庫展示コーナー」は2015年4月15日、六本木校地の本部・大学院棟1階にオープンしました。 創立者の婦人宣教師ミス・カートメル関係の資料や東洋英和の年表など学院の歴史を紹介する展示コーナーと並んで、 東洋英和の卒業生であり翻訳家、児童文学作家であった村岡花子の書斎を再現し、 著作や蔵書、執筆原稿その他の資料を公開するコーナーが設けられています。 常設展示に加え、年に数回内容を入れ替え、企画展示も行っています。
この記事で書いていた東京都大田区の「赤毛のアン記念館」は、「2015年春より蔵書や資料を村岡花子の母校である東洋英和女学院に移設する準備のために一般公開はしていない」 を経て  2015年4月14日に東洋英和女学院にうつされたと知りました・・・六本木の東洋英和の場所は知っています、六本木に行くと麻布十番(あさぶじゅうばん)にも行くので通っていた道でした。今は仕事で都内に出かけても六本木には行くことが無い十数年でした。
また「ウィキペディア」に助けられました・赤毛のアン記念館・村岡花子文庫
 2006年6月30日に書いたこの記事を2023年6月に更新です。何か不思議なご縁を感じます・・・


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竹中労 没後25年 今ふたたび
「戒厳令の夜」特別上映会と 労を偲ぶ トークのつどい

日時:平成28年(2016年)10月15日(土)
会場:桜座 山梨県甲府市中央 1-1-7
    TEL&FAX 055-233-2031 JR甲府駅南口から徒歩約12分
開場:13:00、開演:13:30
入場料:3,500円

第1部:「戒厳令の夜」特別上映会  13:30~15:45
第2部:「労を偲ぶトークのつどい」16:10~18:30
 ゲスト
    樹木希林(女優)
    鈴木邦男(新右翼団体 元一水会顧問)
    小浜 司(沖縄音楽プロデューサー・島唄案内人)
    小泉信一(朝日新聞社 編集委員)
    竹中 紫(湯村の杜 竹中英太郎記念館館長)
 司会 金子 望(湯村の杜 竹中英太郎記念館主宰)

以上、湯村の杜 竹中英太郎記念館 お知らせページから引用させていただきました。
サイトに参加申込のページが設定されています。館長日記(ブログ) から案内されていますのでご確認ください。参加申込だけして入場料は当日受付支払いが可能とのことです。
桜座 は席数が少ないので予約が無いと当日飛び込みでは入場できないかも知れません、お早めの申込をお勧めします。

竹中労を偲ぶつどい

このイベント広報チラシを見た時、「今ふたたび」 にいたく感動しました。私はこの数年ずっと、まさにそのことを想い続けていたからです。

前記事の若林東一大尉について調べたのは山梨県甲府市湯村温泉郷にある竹中英太郎記念館で 竹中英太郎・画「若林中尉の夜襲」 のお話をお聞きしたのが始まりでした。
竹中労さんの仕事についても記念館を訪問して初めて知ったのです。東京時代の私はまったく違う分野で生活していたので、竹中労=トップ屋として通勤電車で一流にあらざる週刊誌の中吊り広告を眺めていた程度の認識しかなかったのです。

「後に続く者を信ず」 この言葉と 「日本を取り戻す」 キャンペーンとを考えるとき 「せめて自らにだけは恥じなく眠りたい、と」 を墓碑銘に刻まれた竹中英太郎画伯に想いをはせます。
この墓碑銘を知った時に私は 墓碑銘「恥なく眠りたい、と」 に書きました・・・

  「せめて自らにだけは恥なく眠りたい」と言い切ってしまえば、それはそれとして一つの信条になりますが、「・・・、と」と言うことの意味は何であるか。「・・・と思いながら、ひとつひとつの仕事をやり遂げていく」という動的な強さを私は感じます。悟り切った顔をしておさまっていないダイナミックな生き方。竹中英太郎の生涯は私にとって、その幻想怪奇妖艶な絵の魅力以上のものになりつつあります。

竹中労さんの生涯はそのような父親の背中を見ながら 後に続いた ものだったのではないか、そして道半ばでこの世を去られた 労さんの後に続く方々 が大勢おられることもネットを読みながら知りました。2016年8月8日・天皇陛下のお言葉 と併せ考えながら私も学び続けたいと思います。

この記事はアート・文化ではなく「政治・社会」カテゴリーに置きます、それが私の「労さん、今ふたたび!」の思いです。
労さんの月命日にこの記事をアップロードします。(昭和5-1930年5月30日生れ~平成3-1991年5月19日 肝臓癌のため逝去)



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竹中英太郎・労 父子展
湯村の杜 竹中英太郎記念館の企画展です。

日時 2013年04月11日~2013年07月15日 開館時間 10:00~16:00
会場 湯村の杜 竹中英太郎記念館 山梨県甲府市湯村3-9-1 電話:055-252-5560
入館料 300円(高校生以上)、200円(小・中学生)・・・企画展でも同じです。
 4月7日(日)と8日(月)は準備のため臨時休館、9日(火)、10日(水)定休日で、4月11日(金)から開催です。
 (企画展期間中も火曜日と水曜日は定休日ですが、事前に予約されれば入館可能だと思います。)
4月8日、竹中英太郎画伯のご命日にこの記事を発信しておきます。

「ミュージアム甲斐ネットワーク」 という山梨県内でアートのキーになるサイトがあります。
竹中英太郎記念館さんもこれに参加されていますが、参加館にはそれぞれに参加館専用ページ があります。・・・竹中英太郎記念館専用ページ
その中で館長の 金子 紫 さんが <父子展に寄せて> とメッセージを発信されています。
 私がここで書くよりも、このメッセージと竹中英太郎記念館の館長日記 をご参照ください。

私はこの数年、竹中労さんがご存命なら、この時代をどのように論じられるか、そればかり考えています。
今回の竹中英太郎記念館の企画展が、このブログをご覧いただく方々によって広く世間に知られる事を願っています。

ご案内ハガキをいただきましたので画像を差替えました
竹中英太郎・労 父子展

2013年6月15日~30日に山梨県立美術館で開催されるやまなしの美術館大全 『水をめぐる旅』については館長日記 2013.05.24 やまなしの美術館大全打ち合わせ・・・・・・ を読んで気が付きました。
湯村の杜 竹中英太郎記念館サイトに2009年 やまなしの美術館大全展ページがありましたのでご紹介しておきます。期間中の館長日記もリストされています。併せてお読みください。



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道の手帖・「竹中 労」 河出書房新社から KAWADE道の手帖シリーズの一冊として「竹中 労」 が刊行されました。
竹中 労(1930.5.30~1991.5.19)さんは今年没後20年になり、ご命日の5月19日には沖縄で 竹中労を偲ぶ会「語やびら島唄」 も開催されました。

道の手帖「竹中 労」 も 「没後20年・反骨のルポライター」 とサブタイトルされており、河出書房新社は月命日の7月19日を発売日に設定されています。

竹中英太郎記念館 湯村の杜 竹中英太郎記念館サイトに本書の紹介ページがあります。館長日記にもお書きになっていますので、ご参照ください。

私は今次大戦の最中、とにかく理屈抜きにこの本を読みたいと思っています。幸いなことに竹中英太郎記念館でも入手できるようです。
尚、竹中英太郎記念館は7月24日(日)と25日(月)は臨時休館とのことです。通常休館日は火曜日・水曜日です。



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湯村の杜 竹中英太郎記念館のサイトに1月1日(金)~6日(水)は休まず開館しますとのメッセージが出ています。
三が日の甲府の天気予報は晴れです、湯村温泉郷でお正月を過ごされる方々もおられるでしょう、元旦から平常通り(10:00~16:00)開館している竹中英太郎記念館は温泉宿からまさに目と鼻の先にあります。ご訪問をご予定に入れておいていただきたいと思います(^o^)

武田神社の初詣は例年20万人程になるそうですが、この新年は景況の影響から更に増えるだろうという予測もあるようです。武田神社に行かれたら東門から出て武田氏館跡大手門東史跡公園をぜひご覧ください。ここは甲府市民の皆さんでも未だ行ったことがない方が多いと思います。さらに武田通りをぶらぶら歩きながら武田二十四将屋敷跡の表札を見つけて確認したり・・・きっとお正月ならではのゆったりした時間が流れます。

甲府駅ビルのエクランや駅南口前の山交百貨店は1日から営業、岡島百貨店は2日からとアナウンスされています。
かいてらす(甲府地場産業センター)の初売りは2日から。甲府駅北口のレンタサイクル(直通 055-254-6300)はお役所ですから三が日は休業です・・・(^o^)

遊亀公園附属動物園は2日からです。動物園に行くなら稲積神社の初詣も。

湯村温泉郷を拠点にお天気さえよければ昇仙峡はもちろん、夫婦木(みょうとぎ)神社(055-287-2020)、金櫻(かなざくら)神社(055-287-2011)にも。



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本日2009(平成21)年4月10日、湯村の杜 竹中英太郎記念館は開館5周年を迎えられました。心からお祝いを思い上げます。

今朝掲載された日記で館長さんは「開館5周年・・・感謝して」とお書きになられています。
私は甲府に来るまでは竹中英太郎画伯を知りませんでした。竹中労にも関心がありませんでした。いかにインターネット・オタクであっても私のキーワードに含まれない記事をクリックして読むことはありません。平成16_2004年の今日(4月10日)、甲府市に竹中英太郎記念館が開設されたことで英太郎・労親子の生き方を学ぶことができ、私は大きな影響を受けたと今は考えています。私は「竹中英太郎記念館に感謝して・・・」の意味を込めてこの記事を残します、竹中英太郎記念館を支えておられる皆様にも「ありがとうございます」、と。



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湯村の杜 竹中英太郎記念館の館長日記で 2009.03.19 に「昭和町の文化施設巡りに・・・・・」がありました。昭和町教育委員会・生涯学習課で実施されている「フィールド・ワーク教室」の見学で記念館に15名の方々が訪問されたとの事で驚きました。NPOつなぐさんの「湯村温泉湯けむりレトロ文学ツアー02」があったのは知っていました、これは2006年3月26日で私が記念館を知る前のこと、私が記念館を訪問するようになってからは、こういう企画は初めてだと思います。

驚いたのは、こういう企画がされたということにとどまらず、昭和町教育委員会が作成されたリーフレットです。日記に掲載されている画像をクリックして開いたらビックリ! ここに使われたのは竹中英太郎生誕百年記念として平成18(2006)年9月15日(金)~12月25日(月)に開催された妖美と幻想の挿絵展の案内葉書なのです。昭和町教育委員会のご関係者がこういう葉書を保存しておられ、このような企画をなさったことに、記念館ファンの一人としてとても嬉しく思いました。

甲府に漂着して隣町に「昭和町」という地名の町があることを知った時、ちょっと違和感を感じたことを思い出します。命名の由来などは未だ知りませんが、新しい町なのだろうとは思いました。
東京で昭和通りといえば、私は文字どおり北から南、隅から隅まで走り回った主要道路です。池袋、新宿、原宿、渋谷を通る明治通りは有名で平成通りというのもありますが、これは知る人ぞ知る東銀座から京橋方面の地域道路で昔の名前を思い出せませんがいつの間にか名前が変えられたもの。
東京の想い出はともかく、山梨県中巨摩郡昭和町については大型ショッピングセンター計画と甲府中心市街地活性化との関連で私はいろいろ書いていました。昭和町を訪問したのは「やまなしICT利活用研究会」主催の2008年5月24日学習会が最初でしたが、その後はご無沙汰しています。しかし竹中英太郎記念館を「フィールド・ワーク」訪問先にする昭和町にとても関心を持ちました。山梨のこと、未だまだ知らない事が多すぎる私です。

ちょっとお茶しながら館長日記で仕事疲れを癒していたら、びっくりしてブログに書きたくなりました。で、甲府市地元の皆さま、竹中英太郎記念館をご存じですか?(^o^) 日本のルポライターの草分け、あの竹中労が竹中英太郎の長男で甲府中学出身だとご存じですか? 私は甲府に来るまでそれを知りませんでした(^_^;)

4月からは労さんの事を書こう、それも私の滞貨のひとつなんです



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2008年11月26日に 竹中英太郎記念館の館長日記 で「甲府湯村温泉のおはなし」という小冊子のことが紹介されていました。ちょうど出かけるついでがありましたので、これを求めに湯村温泉郷に立ち寄りました。
Yumulatale66 Yumulatale67
表紙と裏表紙をスキャンしておきます。
本文49ページの内容は14の「おはなし」で構成されていて、これは「湯村温泉新聞」に掲載されたものを収録して作成されたとのことです。

平成20(2008)年は808年(平安時代初期の大同3年)の弘法大師開湯から1200年の記念の年になり、この冊子も7月に刊行されました。

甲斐の国の歴史は県立博物館にでも出かけてしっかり勉強しておきたいと思っていますが、湯村の昔の名前、「志麻の里」について調べた時に地理的な事はおおよそ分かりました。でも当時の人々の生活については知りません。その生活の姿がこの「おはなし」からもうかがえるように思いました。
公文書(編纂された史書)は支配者の歴史であり、語り継がれる話はそこに生きた人々の歴史だという考え方もあります。

湯村の石切り場の跡地に接して竹中英太郎記念館があるのですが、その石切り場のおはなしで、「やまむらの ここきんきんと けさもまた いしきるおとの やどのめざめよ」 という短歌が紹介されています。『石を割る時は「コ、コ」と二つ小さく打って楔をさし入れて、あと大きな槌でその楔の頭を「キィーン、キィーン」と打つと割れたそうです。』 とこのおはなしに書かれています。なるほど、それで「ここきんきん」、宿に泊った朝の目覚めのイメージになんだか懐かしい想いがしました。

この冊子は活字が大きくてモニター作業で疲れた目にも読みやすかったです。製作された方々のお気持ちがあらわれているように思います。お年寄りから語り聞かされる昔話には聞く人々をそれとなく諭すような意味をもつものがあります、この「おはなし」の中にも今に通じるものが潜んでいるようです。湯村温泉郷の各旅館さんで300円で販売されています。いつもの私ならWebページで全国の人々に読んでもらいたいと書くところですが、この冊子にそれは申しません、どうか甲府市湯村に来てこれをお求めください。



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