「シャープがテレビ向けの大型液晶パネルを生産していた堺工場を8月下旬に停止した。大阪府の熱心な企業誘致で、新日鉄の堺製鉄所の跡地に建設されてから約15年。かつて日本が世界を席巻した液晶パネル産業の衰退を象徴する出来事をどう見ているのか。誘致当時の大阪府知事、太田房江参院議員(73)に聞いた」(2024/10/08朝日新聞)。
以下は、その太田議員の回想:「全国初の女性知事として2000年から大阪府政を担いました。地盤沈下が続く大阪の経済再生が課題でした。1990年代に近畿通商産業局に勤務していたころ、堺の製鉄所跡地にも行きました。泥炭地の上に荒涼とした風が吹いていました。大阪も産業構造を転換しつつ、次の発展を目指すべき時期に来ていると感じたことを覚えています。48歳で府知事になったのは、衰退した経済をもり立てるのに通産省での長年の経験が生かせるのではとの思いがあったからです」 当時は小泉政権下で公共工事の削減が進められ、自治体は企業誘致を争っていました。2002年にシャープが液晶工場を三重県亀山市に建てることになった社90億円の補助金でした」(同上新聞記事)90億円の補助金でした」(同上新聞記事)
シャープが亀岡工場から大阪堺市へ規模を数倍増にして移転した黄金期の思い出話である。当時このシャープの後ろを韓国企業が虎視眈々と追ってくる。それだけではない、その後ろに中国企業も狙いすましていることに気がつくはずもなかった。そういうことを産業政策を司る通産官僚として唯々諾々と眺めていただけというのがこの自慢話内実であった。
太田氏の語るこの話題のシャープ堺工場がフル操業に入ろうとした時点で、最早世界のシャープの地位は失っていたのであり、この事業拡大がその後の台湾電路(株)=TSMCへの身売りの起点とさえなったのである。太田氏がこの激動の歴史を回顧するだけでなく自らの責任と考えているのか否かが大いに気になる記事内容である。
このシャープを配下に吸収した台湾企業TSMCを、巨額の国費を投入して熊本に誘致し、敗北に敗北を続けた半導体産業の巻き返しを画策しているのが通産省の後裔経産省である。ここでも、かつての太田大阪通産局長が指導助言を誤ったように、また再び熊本で経産省は誤っていないだろうか? 今思えば、日本は半導体産業の成長期に世界を後ろに見てトップを走っていた。真空管に替わる半導体産業を創始したのはアメリカだった。ショックレーなどノーベル賞受賞者たちこそ半導体産業の創業者であった。それを見たソ連のプラウダ紙は、あれはソ連がすでに気がついていたものだと主張していたが、その米ソの間隙をぬって日本のソニーがオールトランジスターで動作するラジオとテレビを造ってアメリカに輸出してアメリカ人を大いに悔しがらせた。その半導体産業を台湾から移植しなければならなくなったのは上記太田氏の後輩たちの無能さと財界指導者たちの無策の由縁所為に違いない!、と筆者は思っている。
これもまた「二度目・三度目の敗戦ではないか?」と筆者は確信しているのだが、太田氏の自慢話を唯々諾々と載せる新聞記事を見てついつい悪態をつきたくなったのでここに一筆啓上しました。