日々是好日日記

心にうつりゆくよしなしごとを<思う存分>書きつくればあやしうこそものぐるほしけれ

ある日の新聞1ページに見る世情

2020年01月16日 07時37分30秒 | 政治
 「日銀の黒田東彦総裁は15日、東京都内の本店で開いた支店長会議で、景気の先行きについて『海外経済減速の影響が続くものの、国内への波及は限定的となり、緩やかな拡大を続ける』との見方を示した。景気の現状は『基調としては緩やかに拡大している』と指摘した。消費税増税の影響には言及しなかった」(2020/01/15共同)。
 この記事を掲載するWWWページの下段には、「関連記事」として以下の5本の記事がURL付きで表記されていた。すなわち;
 「ユアーズ破産 負債総額1億5000万円」
 「パチンコ業界苦境、20年間で4割閉店 出玉規制ファン離れ加速」
 「『ポルシェ』の中古車販売が倒産 負債総額15億円」
 「マルイ撤退、好立地なのになぜ?」
 「しまむら、営業利益8%減 3~11月期連結決算、販売不振影響」
 どの記事内容とも特定企業または業界の経営不振傾向を内容とする記事であって、日銀総裁の職掌としての景況判断に考慮されるのであれば「不況」へと誘導されるべき情報ばかりである。それなのに総裁判断は「緩やかな拡大を続けている」という。
 そういえば、12日朝に放送されたNHK「日曜討論」で安倍首相も「安倍政権が発足して以降、経済の緩やかな回復が続いています。戦後最長とも言われる経済の回復をしっかりと維持していくことが求められているんだろうと思います」と例によって自画自賛ばかり。もとより政治家の発言はすべからく手前ミソを原則とするのである以上そのまま信ずるには躊躇しなくてはいけない。まして、ほかならぬあの安倍氏だ。
 彼らに反して、内閣府が1月10日発表した昨年11月の景気動向指数(CI、2015年=100)の速報値は、一致指数が前月比0.2ポイント下落の95.1に低迷。また、同じく10日に総務省が発表した昨年11月の家計調査でも、2人以上世帯の消費支出は実質で前年同月比2.0%減。1世帯あたり27万8765円と、2カ月連続の減少となっており、明らかに消費増税が個人消費を直撃して買い控えを誘発しているらしい。かくて、日銀総裁、首相のお二人の見立てはまったく信用ならない。こういう認識で、国家のかじ取りをされるのだからかなわない。
 こういう政治と民との世情認識の乖離は、旧ソ連時代の「プラウダ」や毛沢東時代の「人民日報」が掲げる「記事」と「民生」の間の乖離に酷似しているのだが、この国もクレムリンや北京中南海なみの悪しき強権・暗黒政治の跋扈する時代に入ってしまったのかもしれない。

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老害政治家の論外発言 麻生氏はもはや引退すべきだ!

2020年01月15日 07時35分45秒 | 政治
 「麻生太郎副総理兼財務相は13日、地元の福岡県直方市で開いた国政報告会で『2千年の長きにわたって一つの民族、一つの王朝が続いている国はここしかない』と述べた。政府は昨年5月にアイヌ民族を『先住民族』と明記したアイヌ施策推進法を施行しており、麻生氏の発言は政府方針と矛盾する」(2020/01/14朝日新聞)。
 この「手」の政治家の頭にこびりついた「日本民族純血論」に立脚した「単一民族国家論」である。先頃身罷ったばかりの中曽根康弘元首相が、在任時代の1986年9月22日、伊豆函南町で開かれた自民党の全国研修会でのあいさつで語ったものと瓜二つの発言であり、あの時も随分と物議をかもしたものである。その中曽根氏も日本国家単一民族論を語った上で曰く;――
 「日本はこれだけ高学歴社会になって、相当インテリジェントなソサエティーになってきておる。アメリカなんかよりはるかにそうだ。平均点から見たら、アメリカには黒人とかプエルトリコとかメキシカンとか、そういうのが相当おって、平均的にみたら非常にまだ低い」
 この発言はアメリカに飛び火して全米各地で反日行動が巻き起こり、中曽根氏は長期間その火消しに忙殺されたのであった。
 この時にも、アイヌ民族の存在や縄文/弥生の先史時代の歴史が話題になったものだが、あれから30余年、今では「アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律」も施行され、アイヌの先住民族としての位置づけとその文化的保護が立法化されている。他方、現今、この国はすでに全人口の2%を超える国外からの渡来の人々が「日本人」として定住している。頭脳は混濁していても、当たり前の視力さえ有れば、現在の日本が単一民族国家などでないことは自明のことである。
 中曽根発言時にも指摘されたことだが、そもそも古来日本人は沿海州から南太平洋に及ぶ広大な地域からやってきた多民族・多人種であって、「単一」などと言う概念がおよそ不適であることが論じられてきた。にも拘らずこういう発言がしばしば保守政治家から発せられる。そこには、エスノセントリシズム(自民族中心主義)のとんでもない、思い上がりでなければ自閉症状が伏在しているのである。そしてこの無智が、周辺の各国とフリクションをつくる原因となっている。迷惑を受けるのはそういう国に同居する我ら民衆である。
 麻生氏は「誤解が生じているなら、おわびの上、訂正する」と述べたと新聞・TVの続報が出たようだが、これ以上老害を避けるために、彼は政界を引退するのが一番、この人はもうたくさんだ! 
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「無罪推定」に無知な法務大臣

2020年01月14日 07時45分30秒 | 政治
 「カルロス・ゴーン被告の会見を受けて、森雅子法相が深夜に異例の臨時会見を行い、『ゴーン被告人に嫌疑がかかっている、これらの経済犯罪について、潔白だと言うのなら、司法の場で正々堂々と無罪を証明すべきである。わが国の刑事司法制度において、正々堂々と公正な裁判所の判断を仰ぐことを強く望む』と批判した(2020/01/09 FujiTV)。
 弁護士資格を有していて、それゆえにかどうかは知らないが、魔の三回生の中にあって法務大臣という法務行政の最高責任者に抜擢された人、それがこの程度の認識しか持ち得ないとは如何なものか? 言うも言ったり「わが国の刑事司法制度において、正々堂々と公正な裁判所の判断を仰げ」とは本末転倒!、被告(ここではカルロス・ゴーン氏)を裁判にかけ、「我が国の裁判を受けろ」と命じたのは法務検察であって、本人ではない。森氏にこんなことを言われる謂れは原則的に被告ゴーン氏には無いのである。
 そもそも裁判制度において、「推定無罪」の原則は我が国の法制度を貫く第一原則であって、有罪を証明するのは告発した検察の役割である。ましてまだこの裁判は始まってさえいなかったのであるから、「無罪を証明せよ」というは、推定有罪を大臣が前提していてとんでもない暴言である。この大臣殿、大学法学部で法律を学んだのだそうだが、大学の教育が悪いのか当人の不勉強か?
 氏は後刻自身のツイッター上に「無罪の『主張』と言うところを『証明』と言い違えてしまいました。謹んで訂正致します」と投稿したという。誤りに気がついて悔い改めるのは良いことだ。だが、それにしても、上記冒頭のTV報道は何の障りも無く報じているところを見ると、そのTVメディアの知性の質についても寒気がするのは如何ともしがたい。また、カルロス・ゴーン氏も「推定無罪」を原則とする日本の裁判所で堂々と論破して無罪を勝ち取ってこそ世間の富を一身に集めた正当性が証明されるというのに、夜陰に紛れて「逃亡」するとは、あきれてモノが言えないとはこういうことではないか!
 筆者は、老々の自覚を機会に昨夏愛車を他人に提供して運転台からいさぎよく?降りた。しかし、この間一時期の欠落は有るものの延べ60年の長きにわたって新車発売4代にわたって日産車を愛用してきた。ゴーン氏「逃亡」の報には裏切られた鬱屈した気分が沸き上がったのが事実である。筆者のこの偏屈な気分を慰撫してもらうために、ゴーン氏にはベイルートで有ること無い事すべてしゃべり終えたら、もう一度日本に戻ってっきて、その主張を法廷で展開して、無罪を証明してもらいたい。さすれば、上記大臣への良き教育にもなろう。

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「薦を着て誰人います花の春」

2020年01月10日 07時38分10秒 | 政治
  元禄3年元日、芭蕉が膳所(ぜぜ、大津)で詠んだ歳旦の発句である。「歳旦」とは「歳旦や芭蕉たたへて山ごもり」(飯田蛇笏)などというように、現代では新年に詠われる「俳句」の意として呼ばれるが、元は「歳旦開き」という新春俳会に使われる発句・脇・第三をもって一組とする「三つ物」を印刷配布する俳諧一門の宣伝用パンフレット。表題の一句は、芭蕉が江戸の門弟に贈った元禄3年新春の歳旦帖の発句部分である。
 この時、芭蕉は47歳。死が4年後に迫っては居るものの51年の人生で最も充実した一時期に当たる。時は、あたかも「奥の細道」を昨秋に終え、この年の四月からは「幻住庵」に居を移し「幻住庵の記」をしるし、この一年後には「嵯峨日記」や、俳諧の古今集と言われる「猿蓑」を発表する時期に当たる。また、芭蕉俳諧の頂上に至る「軽み」発見の時代の始まりでもあった。
 一句は、都(京)の春、鴨川の橋の上や有名寺院の門前にあまた蝟集する乞食(こつじき)の中には、きっと西行上人のような偉大な文学者がいることでしょう、といった内容。今日いうところの「断捨離」ではないが、物質に執着しない生活を信条とした芭蕉にとっては、乞食は理想的脱俗人の姿に見えたのであろう。すでにして彼自身が脱俗人ではあったのだが、尚まだ今朝の都の神社仏閣に集まる乞食は混じりっ気のない脱俗者に見えたのでもあろう。
『撰集抄』(この書物は、この時代芭蕉が尊敬してやまない西行法師の著作と信じられていた)には、乞食<こつじき>の作品が多く掲載されている。そこでは「乞食」とは、経済的、才能的理由で落ちぶれた敗残者などではなく、「真」の悟りに至った真実の哲学者であり、 芭蕉にとっては、虚飾と汚濁の濁世・塵土(じょくせ・じんど)を見限った世捨ての文人墨客の謂であったのである。
 一句は、「薦を着て」いるのは乞食の制服。都に多い乞食だが、この中にも西行法師や李白のような「偉人」が含まれているに違いない、というぐらいの意味である。
 『此筋・千川宛書簡』によれば、こんな句を歳旦帳の引付巻頭に載せるなどとんでもないことだと京の俳人達は陰口をたたいているとある。芭蕉の思いとはうらはらに、世間の「常識」は、乞食はやっぱりコジキであって人生の敗残者だったのである。
 さて、今年オリンピックイヤー、初春のこの国の都に蝟集するホームレスの人々を見て、「誰人います花の春」と感ずることができるだろうか? やってくる外国人に見られたくない単なる「国家の恥部」と、上記京の俳人たちが笑ったように、隔絶、隠ぺいすべき存在というのではないだろうか? しからば、この世紀の祭典につかうお金の万分の一をホームレス救済に使ったら「花の春」ということにもなったのだろうが・・・。山本太郎さんのホームレス救済の正月炊き出しボランティア活動に刺激されて、ふとそんなことを思った次第である。

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MMTでも分からない日本経済の行きつく先

2020年01月09日 07時30分28秒 | 政治
 「日銀が30日発表した2019年末の銀行券発行残高によると、市中に出回ったまま年を越すお札の残高は112兆7418億円(前年末110兆3625億円)となり、10年連続で過去最高を更新した。低金利のため、預貯金をせず手元に現金として置いておく人が多いことが理由とみられる」(2019/12/30時事)。
 年末恒例の記事だ。子供時代には世の中にはそんなに巨額のお金が箪笥に仕舞われているのだ、と「世間」の巨大さに驚嘆したものだ。もちろん、その時代の値はこんな恐るべき巨大な数値ではなかった。何故か今でもよく覚えているのが高校一年生の大晦日、通学駅の売店のおばさんがかけていたラジオから聞こえてきたその年越年する日銀券「発行残高250億円」という数字。この金額とあれから65年後の今112兆7418億円の日本経済は実に膨れにふくれて4500倍。たしかに、あの時代を今から見れば極貧と言ってよかったかもしれないが、さりながら果たしていま、あの頃の4500倍の豊かさを感ずるかと問われれば即座に「ノー」と声を荒げて答えるだろう。わけても、心の豊かさはとカテゴリーを換えて問えば益々もって否定的にならざるを得ない。
 近頃、巷ではMMT( Modern Monetary Theory)なる「新経済学」なるものが流行っている。借金は恥ずべき借銭にあらずして、「信用創造」という世のため人のためになる行為だという。その一番貢献度の高いのが、政府の発行する自国通貨による国債で、中央銀行が印刷したお札で決済する限りにおいてそれは市場に対して与信(信用供与)となるのであって決して不道徳なものではなく、断じて財政規律を破壊するものでもない、というのであるらしい。
 一種の新興宗教のようなもので、あまり信用できそうもない人々が声高に叫ぶから益々眉に唾を付けたくなるのだが、年末にさる駅前で山本太郎氏が消費税廃止論の裏付けとして口角泡を飛ばしてMMTのメリットを説明してくれるのを聞いていると、それほど悪い事ばかりでもなさそうだと少しだけ興味が湧いてきた。
 早速帰宅してから、電子書籍を買って読み始めてみたのだが、読み進めて行く間にどこで道に迷ってしまうのか自分の居場所が分からなくなるのである。仕方なく、捲土重来、元に戻って慎重に読み進めてみるのだが決まって同じところに来ると方向感覚を失ってしまう。
 国債発行残高900兆円は国民が持っている越年する箪笥金総量の実に7.5倍という大赤字にも拘らずその10年物国債の金利はマイナスを示す。しかるに、MMT論ではプライマリーバランスなど考える必要は無いと説く。他方、政府はプライマリーバランス健全化のために消費税増税は絶対必要と力説してついに大方の反対を無視して10%にアップしてしまった。そのためか否か、年末年始のスーパーの店内は心なしか活気に乏しい。国内消費は低調のまま新年を迎えているようだ。今年もまた、インフレ率2%の黒川公約は不発のまま終わるのだろう。迷走する日本経済の行きつく先は果たしてどこだ?。MMTもそれは示してはくれない。
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