日々是好日日記

心にうつりゆくよしなしごとを<思う存分>書きつくればあやしうこそものぐるほしけれ

人づくりのために心豊かな環境を、そのために良い政治環境を

2021年06月25日 07時13分43秒 | 政治
 「『底辺校から東大へ行く子vs地頭がいいのに深海に沈む子』 明暗決める12歳までの親の"ある行動」という、いささか乱暴なタイトルを付けた記事(2021/06/20 President Online)がネットに載っていたので目をとめてみた。
 曰く、「東大合格者の半数の家庭が世帯年収950万円以上だと言われる。世帯年収350万円以下の家庭はわずか8%。データ上は、高年収家庭が圧倒的に有利だが、経済的に豊かとは言えない家庭からも、その壁(18歳世代120万人のうち、東大進学者は約3000人。同世代では0.25%という狭き門)を突破する子供がいる」、として、この人たちに見えてくる共通点は、①学習習慣を含む良い生活習慣の確立、②ルールありきの中での自主性を育む、③愛情を持って褒めて伸ばす、④知的好奇心を刺激する。以上の4原則だという。
 記事はいささか貧者にスポットを当てすぎていて、ペンが滑ったか?、かすれたか?、豊かな家庭の出身合格者は①から④の特性が無くても合格できると言わぬばかりの表現に誤解されるやもしれないが、決してそう言っているわけではない。富者の子弟であろうが、貧者の子弟であろうが、いずれも①~④の生活習慣を堅持していればこそ難関を突破できたのであろうが、とりわけそういう日常を許され難い家庭環境の貧者の子弟にあっても、これらが合格の「十分条件」になっていると記事は主張したかったのであろう。その限りにおいて、この記事の筆者が言いたいことはさもありなんと同意できる、のである。
 旧くは教育環境は「孟母三遷」の教え、学校のそばに住んで、朝晩に学んでいる長上の人を見ていれば自然に子供たちは学ぶようになるぐらいで事足りていたのだが、そうはいかない。ありとあらゆる魔手が近寄ってきて、子供たちをたぶらかし、誘惑して堕落させる。その障害レースの中を走り抜ける走力の限界が親の経済力の有無に関わっているということなのであろう。
 何も、東京大学に入るばかりが高等教育機会ではないが、①から④の生活習慣を確保できる穏やかな環境を子供たちに用意できる親たちのために、政治はそこに向けて舵を向けるべきである。そういう政治を実現できるように秋の総選挙では、候補者をじっくり吟味・選別して国会に送ろうではないか?
 地球儀を俯瞰する政治ばかりの過去約10年を経てみれば、この国の民は精神はすさび、貧富の格差は極大に達し、国力は衰退の一途をたどり、もはや誇るべき何物も見当たらないのだから。このどん詰まりから脱却できるには「人材」を育てるしかない。
 筆者として、明治時代が偉大だったという意見に丸ごと賛意を表すものでもないが、それでも村で一番堅固で、きれいな建物が尋常学校であった祖先たちの思いが、戦後の高度成長と「アズ ナンバーワン」と言わせる奇跡を用意していたことを、・・・「レガシー」と称して後々維持管理に窮するであろう巨額のオリンピック競技場を造った政治と国家行政に思い出してもらいたいと、しみじみ思う今日この頃である。 
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「台湾有事」、オオカミ少年より「こっち」の方が妥当な判断だろう⁉

2021年06月24日 07時22分39秒 | 政治
 さる11日(日本時間)、イギリスコーンウォールで開かれたG7首脳会合で菅首相はオオカミ少年よろしく<一つおぼえの言葉>「平和で開かれたインド太平洋」なる「外交専門用語」だけを述べつづけたという。この「語」は、表向き安倍晋三前首相を言い出しっぺとして、太平洋と、なぜかインド洋とを結ぶ地域で、法の支配や市場経済を重視する国々が協力し合おうという構想で、一見すると平和な経済圏構想のように聞こえるのだが、その実、そこに書かれた紙面の裏側には、日本や米国、オーストラリア、インドを核として中国封じ込めを謀るといういささか生臭い匂いが漂う。
 南シナ海の環礁などを埋め立てて軍事要塞を建設するという暴挙、東シナ海では日本がその領有を主張する尖閣諸島に対してそれに抗議する示威活動、加えて台湾へ向けた陰に陽に加える軍事的圧力、中国習政権が繰り出す強軍政策が周辺各国の神経を逆なでしている。中で最も喫緊の懸念が台湾への軍事侵攻「台湾有事」である。
 「6年以内に何らかの動きを始めるのではないか?」という専門家筋のアジテーションも聞こえてくると、そう心穏やかに居る訳にはいかない。懐疑は猜疑を育て、猜疑は一触即発の事態を招く。何か冷静な判断は無いものか? そう思っているところへこんな外電が入ってきた。
 「米軍制服組トップのミリー統合参謀本部議長は6月17日、米上院歳出委員会の公聴会に出席し、中国が台湾に対して軍事的圧力を強めている問題をめぐり、『中国には現時点で(武力統一するという)意図や動機もほとんどないし、理由もない』と分析、『近い将来、起きる可能性は低い』とした。また、『中国が台湾全体を掌握する軍事作戦を遂行するだけの本当の能力を持つまでには、まだ道のりは長い』とも述べた」(2021/06/19朝日新聞)
 ここに「長い道のり」が、この先{どのように延びていくのか?」という問題こそが「問題}ではあるが、「平和で開かれたインド太平洋」をもって中国の広域経済圏構想「一帯一路」と覇を競うというのであれば、かつての北太平洋条約機構(NATO)対ワルシャワ条約機構(WPO)の対決という世界冷戦のアジア版に過ぎない。
 どうみても「地球儀を俯瞰して見る」と大言壮語の空論を論じ続けた安倍前首相と比較してすら視力が良いとも思えない菅氏は、咀嚼しきれていないキャッチコピー「平和で開かれたインド太平洋」を大声で叫ぶのでなく、上記米軍トップの冷静沈着な見解にも耳を傾けてもらいたい。
 なにより肝心なことは、日中二国間の歴史に照らして、日本人と日本政府が中国を怨み戦わなければならない必然性は何も無い。台湾問題は日本人にとって「祈る」べき中国国内問題であって、「関与すべき」外交問題では断じてない。さらに、尖閣「岩礁」の帰属は将来の知恵ある者たちにあずける問題(鄧小平)であって、現今の日中両指導者には荷が重すぎると見なければなるまい。
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違和感を禁じ得ない「安心・安全な〇〇」という表現

2021年06月23日 07時25分18秒 | 政治
 いつの頃からか、「安全な」を表現するのに「安全・安心な」と「安心」をくっつける。あるいは「安心な」と表現すれば十分なところに「安心・安全な」と「安全」が追っかけてくる。
 政治家や行政官に限らず多くの人々がこれをやる。わけても菅首相においては、確かめたわけではないが、二つが切り離されて単語として語られたのを聞いたことが無い。たとえば、「東京五輪を安全・安心な大会として成功させます」という調子だ。
 最終開催責任者は誰なのか?、未だにそれが判然としない東京五輪、国内的には最高権力者たる内閣総理大臣が責任者として開く大会なのだろうから、「安全な大会として成功させます」という文章はあり得る。東京五輪に関して筆者としては、この文章に賛同しないが、それはコロナウィルスが猛威を振るう中の五輪大会を「安心して観戦などできるわけが無い」と思っているからである。
 「安全」は話題の主体の状態を表現し、「安心」は客体としての受け手の心理的状態を表現する言葉。常に「・」で結ばれるべき「語」ではない。「安全」は、① (形動ナリ・タリ) 危険のないこと。平穏無事なこと。また、そのさま。② (形動) 傷ついたり、こわれたり、盗まれたりする心配がないこと。また、そのさま(「コトバンク」)。他方、「安心」は、① (━する) 心が安んじること。気がかりなことがなくて、心が落ち着くこと。② (形動) 心が安らかで心配のないこと。また、そのさま。③ (あんじん) 仏語。信仰によって、心が不動の境地に達すること。浄土教では、特に阿彌陀仏を信じて疑わないこと。④ 内心のくふうをすること。奥義に達するための心づかい(「同」)とある。
 かくのごとく、猫も杓子も「安全」についてか、はたまた「安心」についてか語る時に必ずと言っていい程に「安全・安心な」と併せて発している「言葉」が、いつの頃からこうなったかと想像するにあの「3.11東日本大震災」が起源ではなかったかと思うがどうか?  あの迫りくる巨大津波によってまるで浮き輪のように易々と家々が流されていく無数の映像が普及したスマートフォンによって撮影されて流布し、また何にもまして堅固な存在と騙されているとは知らなかった原子力発電所の原子炉容器が次々と破裂するという、「安心」などと思えるわけもない事実が、「安全」という神話の中にかくされていた事実がにわかに認識されたのが始まりだったのではなかったか?
 かくて、「安全」の保障は薄く、「安心」などできはしないこの世の森羅万象を、人はせめて「安全」と「安心」をくっつければ「安全度」が増し、「安心立命」が得られると勘違いしたのではなかったか? 爾来、安全も安心も常に分別されずくっつけて使われるようになったのである。
 「菅義偉首相は東京五輪について『安全・安心な大会を実現する』と繰り返している。安全、安心な形で開催できると思うかとの問いでは、『できると思う』は20%にとどまり、『できるとは思わない』は64%に上った」(2021/06/20毎日新聞)。
 ようやく東京にコロナ第5波の予兆が見えてきた。東京五輪は「危険・不安」な状況になってきた。
 
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これらは、どうみても五輪をやめるしかない理屈なのだ!

2021年06月22日 07時04分30秒 | 政治
 「政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長ら専門家有志が18日、東京五輪・パラリンピックに伴う感染拡大の抑制に向けた提言を大会組織委員会の橋本聖子会長と西村経済再生相に提出し、そこでは「無観客開催が望ましい、次善の策として観客を地元住民に限るべき、大会中医療逼迫の予兆があれば、緊急事態宣言など臨機応変の対策を講ずるよう要望したという。
 これに関する報道によれば、①大会の開催は無観客が望ましい。②観客を入れる場合は、通常の大規模イベントよりも厳しい基準を採用する。③パブリックビューイングは中止。④感染拡大や医療逼迫の予兆がある場合は無観客とする。⑤感染拡大や医療の逼迫の予兆が察知された場合には、オリ・パラ開催中であっても緊急事態宣言などを発出する、等々を求め、これを大会組織委員会の橋本聖子会長とコロナ担当の西村康稔経済再生相に提言として提出(肝心の菅首相には無し!)。同時にIOCにも伝えるよう要望。
 なんだいこれは⁉、五輪とは「死と再生」の祝祭だ。こんな深刻な条件を付けなければならない「祝祭」は、もはや五輪ではない! この文言は、「オリンピックを中止せよ!」というメッセージ以外の何物でもないのである!!
 オリンピック憲章にはその7番目に次のような理念が書かれている。「オリンピック・ムーブメントの活動は、結び合う5つの輪に象徴されるとおり普遍且つ恒久であり、五大陸にまたがるものである。その頂点に立つのが世界中の競技者を一堂にあつめて開催される偉大なスポーツの祭典、オリンピック競技大会である」と。これに従えば、世界5大陸から選手・役員はもちろん、各地の人々がかれらの雄姿を観て声援し一体となって祭を祝う条件が完備されなければならない。しかるに、日本政府は外国からの観客を阻止するとし、上記日本の専門家たちの提言は、無観客を強く訴え、あろう事か医療のひっ迫事態までを想定している。およそ、オリンピック憲章がかかげる精神・価値など近代オリンピズムに全く齟齬していると言わなければなるまい。
 同じようにその6番目に書かれている「オリンピック・ムーブメントの目的は、いかなる差別をも伴うことなく、友情、連帯、フェアプレーの精神をもって相互に理解しあうオリンピック精神に基づいて行なわれるスポーツを通して青少年を教育することにより、平和でよりよい世界をつくることに貢献することにある」が、いま全国の教育行政機関は地元都道府県で行われる試合についてすらコロナ感染の危惧を前にして大会の見学に逡巡している。これを要するに、COVID-19ウィルスは完膚なきまでにオリンピズムを妨害し、その開催を阻止している。
 専門家の見解を一顧だにせずに開催を強行しようと目論むIOC、JOC、菅首相は、一体全体どこに両足を載せているというのであろうか? 大会中に起こるすべての不祥事はすべてこの三者と三者に近侍する者たちの責任である。これが失敗したら潔く大会後その身を処することを宣言してもらいたい。
 もとよりその覚悟あっての決断だとは思うが?、どうだ‼
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「一事が万事」、法律家としてあってはならないフレームアップ

2021年06月21日 07時42分38秒 | 政治
 「フレームアップ」という語を辞書で調べると、「政治的反対者を大衆から孤立させ、弾圧、攻撃の口実とするため一定の既成事実を歪曲したり、変造して利用したり、事件を捏造することをいう。一般には『でっちあげ』と訳す。政治的対立が激化している場合によく用いられる政治技術で、大衆心理を巧みに操作、利用することによって効果を発揮する」とある(「コトバンク」)。
 19日夕、アフリカ・ウガンダの選手とコーチなど一行9人が東京オリンピックに参加のため成田に到着。この中の一人が空港での新型コロナウィルスPCR検査の結果、陽性と判明したという。やれやれ、もう始まったか?と愕然とするが、ここで語りたいのはそのことではない。
 この人たちは、出国前に2回アストラゼネカ社製のワクチンを接種し、出国96時間以内に2度のPCR検査を受けて、いずれも陰性と判断されて母国を出発したという。それでも9人中一人に陽性者がいた。これだからワクチンもPCR検査も信用ならないという証拠であるか?、これがここでの問題である。
このニュースを奇貨として、「待ってました」とばかりに自説を強調する御仁が現れた、とネットに下のようなコンテンツが載っていた。いわく;
 「元大阪市長で弁護士の橋下徹氏が20日、フジテレビ系<日曜報道 The Prime>に出演し『こういう状況を見てもらえればね、今までずーっと、PCR検査を<いつでも、だれでも、どこでも、みんなでやることによって陽性者を隔離する>なんてことを言ってた人、たくさんいますけど、(隔離は)できないんですよ、(中略)とにかくむやみに検査拡大を言ってた人たちは、よくこれを見て反省してもらいたいです』とあきれながら指摘した」(2021/06/21ディーリースポーツ)。
 パンデミックは社会現象である前にすぐれて自然現象である。そこでは冷静にして沈着な状況把握ができ、事態を正確に認識した上で対策を講じる。伝染病であればその感染の分布がどうなっているかを可能な限り知悉してそれに対応していく。ウィルス感染症禍ではそれがPCR検査である。
 その結果の正確さはもとより100パーセントではないのは神ならぬ身の、間違いがあるといういうだけではなく、感染ウィルスの汚染度合いによってPCR検査の増幅量が不足して結果陰性を表示することがあり、これは橋下氏が言う「反省すべき」ことには断じてならない。いうところの精度/誤差の範囲内であって、原理として検査の重要性を否定するものでは断じてない。このウガンダ選手の例でいえば、当人はワクチン接種を終えているがその免疫効果の不発期間の過去4日以内にウィルスを取り込んだのであって、PCR検査の無効の証明などとは全く合致しない。
 このように「一事を万事」として、無限大にフレームアップして自説を主張すること、橋下氏は法律家として決してやってはいけない所業である。また、こういう人物を珍重して、さかんに出演させるテレビ局の報道倫理の欠如、加えてこの番組には内閣官房長官氏も「共演」していたという。これこそ愚民政策である。
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