ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

平岡町二俣探訪:スベリヒユを食べる

2009-07-02 23:33:12 |  ・加古川市平岡町

乾燥耐性があり、畑や路傍など日当たりの良い所に自然に生える。 農業においては畑作の害草として知られ、全般的に執拗な雑草として嫌われる傾向にある。・・・

 以上が、ウィキペディアにあるスベリヒユの説明の一部です。

   スベリヒユを料理する

 さきに「正保郷帳・正保三年(1646)」に二俣村の村高を見ました。繰り返しておきます。

 正保郷帳(正保三年)  二又村 旱損所

  村高  432.226(内、田382.7石/畑49.526)

Hp_131  二又村の「旱損所」に注目ください。

 つまり、二又村は旱魃に弱い村であると、わざわざ注意書きがあります。

 旱魃の時、大池の水は干からびたこともしばしばあったことでしょう。そんな時は当然、秋の収穫はありません。

 村人が食料を捜し求める姿が想像できます。

 ヒガンバナの根をはじめ多くの野草も食べたことでしょう。

 そんな食料の中にスベリヒユがありました。

「江戸時代、食料のない時は、さかんに食べられ、ましてや飢饉のときなどには最高の野草であった」と歴史書にも出てきます。

 いま、私の家の前に、スベリヒユが群生しています。

何事も追体験です。

 ちょっと勇気をだして、スベリヒユの「おしたし」をつくってみました。

 料理といっても湯がくだけ。できたら、切って皿に盛り、鰹節を乗せ、それに薄口醤油をかけると、できあがりです。

 少しかまえて食べてみると、少しヌルヌルしているがけっこ美味い。

 スベリヒユは飢饉と結びついた単語としてインプットされていたので、まずいものと思い込んでいたんですが、大きな間違いでした。

 酒の肴にも最適(少しいいすぎ)といってもいいほどでした。

 まだ少し残っているので今晩のアテにします。

 スベリヒユも歴史の一こまなんです。

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平岡町二俣探訪:二俣と安倍晋三元首相

2009-07-02 06:33:50 |  ・加古川市平岡町

 2007311日の神戸新聞の記事をお借りします。太字の部分に注目ください。

 当時、首相であった安倍晋三氏が、若い頃神戸製鋼所に勤めており、近くの寮で生活したというのです。

 この近くの社員寮とは、二俣の神戸製鋼所の寮のことです。

元首相の安倍晋三さんが若い頃(19805月から9ヶ月間)二俣に住んでおられたんです。ちょっと興味ある話です。 

  二俣と元首相:安倍晋三氏    (神戸新聞より)

Photo_2  「皆さんと一緒に仕事をしていたことを誇りに思いながら、これからも日本のために頑張りたい」。

十日に神戸製鋼所加古川製鉄所(加古川市金沢町)を訪れ、ものづくりの現場を視察した安倍晋三首相は、かつて勤務した思い出の地で、所員らを激励した。

一方、二十六年ぶりに対面した元同僚らは「昔のまま」と懐かしみ、日本のリーダーにエールを送った。(今泉欣也)

 首相は一九八〇年五月から九カ月間、工程部工程課の厚板係に所属。近くの社員寮で共同生活を送った。製鉄所訪問はその時以来で、午前八時すぎから約一時間かけて高炉などを見学した。

 厚板工場では、仕事上の先輩だった中渕勇さん(75)=加古川市=と再会。中渕さんが「お久しぶりです」と声をかけると、首相は「いろいろ教えて頂き、ありがとうございました」と笑顔で握手を交わした。

 視察後、首相は集まった所員らに「ご安全に。工程課厚板係の安倍晋三です」と製鉄所員時代に戻ってあいさつ。

笑いを誘うと「研修時代はオレンジ色のヘルメットだったが、今日は白で一人前になった気がした」と当時を振り返った。

 中渕さんは「物静かでおとなしいが、言うことはきっぱり言う人だった。新しい思い出ができました」。

また、花束を手渡した首相に「当時のマドンナ」と紹介された工程・調達部工程室の藤田真稚子さん(51)=加古川市=は「話しやすく誠実で、信念があるところは今も変わらない。懐かしさがこみ上げてきました」と感激していた。

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