ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

平岡町二俣探訪:一部・終了

2009-07-06 22:08:33 |  ・加古川市平岡町

A3de3631 明治141月、二俣村は64戸の集落でした。

右は、明治29年の地図です。明治の二俣集落を想像してください。

あまりの変わりように、想像することができないかもしれません。

ちなみに、現在二俣は1176戸で、明治14年と比べて実に18倍の戸数です。

   二俣探訪(一部)終了

さて二俣の歴史(一部)をきょうで、一度閉じさせていただきます。理由は、種切れです。

二俣は、古文書等ふしぎなほど残されていない地域です。

でも、探検すれば何かがみつかり、見えてくるものです。近隣の地域の歴史からも推測できます。

12ヶ月お休みをいただいて、資料集めをします。

二俣の多くの方にお世話になりました。ありがとうございました。

    大池と二俣の歴史

ただ、一つ宿題を出しておきたいと思います。

2部では、その宿題の答から始めたいと思います。もちろん、わからないままで終わる可能性がたかい。

二俣の歴史においてキー・ワードは水でした。

水の無い時は、食料を求めて、おろおろさ迷ったことでしょう。

水が十分にあった時は、村人の喜びははじけ、祭りのざわめきも一段と大きかったことでしょう。

二俣の大部分は、高台にあり天候にもろい集落でした。

二俣の水がめは大池でした。

この二俣のキーワードになる大池の歴史を知りたいのです。

集落が先か、大池が先かは知りませんが、二俣のお百姓の生活は、大池と共にあったことはたしかです。

二俣集落の歴史は、江戸時代をはるかにさかのぼります。

大池もとうぜん江戸時代をさかのぼった時代に造られました。

どこまで、遡ることができるのでしょうか。

野口の駅ヵ池の場合、奈良時代までさかのぼります。

さて、大池の場合はどうでしょう。

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