ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

平岡町二俣探訪:円明寺②・層塔は知っている。米騒動のことを!

2009-07-04 12:21:01 |  ・加古川市平岡町

  米 騒 動

1918年(大正7)の神戸市内の米の値段(一升)を見てみましょう。

7月  2日  34銭5厘

    16日  36銭8厘

    24日  37銭9厘059

8月  1日  40銭7

     4日  43銭5厘

     7日  55銭3厘

     8日  60銭8厘

 米価は、まさに「うなぎのぼり」というありさまでした。

 これは、都市の労働人口が増えたこと、大戦(第一次世界大戦)で食料難のヨーロッパへ米を輸出したこと、シベリア出兵に供えて米価の高騰を見こした地主の米の買占め、加えて地主の政党といわれた政友会が、地主を守るために外米の輸入関税を撤廃しなかったこと、などが影響しての米価は急騰でした。

  鈴木商店襲われる

またたくまに、米の安売りを求める運動が全国に広がりました。これが米騒動です。  

米騒動は、京都・大阪・神戸へと波及しました。

神戸では、818日、千余人の群集が米屋を襲って米騒動の口火が切られました。

市内の川崎町一丁目には、米を買い占めているとウワサされた鈴木商店がありました。

鈴木商店と言うと、名前から「たかだか大きな店屋かな」と思ってしまいますが、当時三井・三菱と肩を並べた政商でした。

神戸製鋼所も鈴木商店の一部門でした。

鈴木商店本店の四階建ての建物は12日夕方から一団が店内に突入し、火をつけました。

民衆は駆けつけた消防隊のホースを片っぱしから切断し、ポンプをひっくりかえしたため、さしもの鈴木商店の建物も午後11時に焼け落ちてしまいました。

  層塔・円明寺へ

前おきが長くなりましたが、以下『JA加古川南ふれあい情報誌(2005・3)』の記事をお借りします。

・・・現在円明寺には十三重の多層塔(写真)があります。

その多層塔は、神戸の鈴木商店に建立されていたもので、大正末期の米騒動で鈴木商店が焼き討ちに遭った後、持ち出されドイツ人のヘルム氏が所有していた「スタンダード」と呼ばれる農園に建てられていました。

その後、農園が楠ヶ丘という住宅地に改造された際、円明寺が譲り受け、現在の場所に移されました。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 平岡町二俣探訪:円明寺①・郡... | トップ | 平岡町二俣探訪:円明寺③・権... »

コメントを投稿