円明寺:曹洞宗の寺に改宗
円明寺は、天文18年(1549)大梁学公によりお寺がつくられました。
その後、播磨町古田・福勝寺の四代目の住職・哲洲長学和尚により円明寺は曹洞宗の寺に改宗されました。
円明寺のほか一色村の安養寺も哲洲により曹洞宗のお寺となっています。
江戸時代の初めの頃です。
それまで円明寺は、曹洞宗以外の宗派でした。
このことに関して『阿閇の里』(播磨町史)の記述をお借りします。
(・・・福勝寺は)、真言宗の盛んな地域である阿閇庄内の十余の堂庵に随徒を派遣してこれを禅寺とし教化の拠点とした。
この説に従うと開山以前の宗派は真言宗と言うことになるのですが、確かな証拠はありません。
円明寺は福勝寺から曹洞宗を導入したため、福勝寺が本寺で、円明寺が末寺となっています。
本寺の福勝寺は、元は景福寺と称していたのですが、景福寺の和尚・大桂和尚が姫路藩の命令で姫路に景福寺を開山しました。
同一藩に同一開山・同一呼称の寺が二つ存在することは許されませんでした。
そのため、景福に勝ると言う意味で福勝寺と名前を変えました。
以上の説明は『いっしき(風土と歴史』(一色町内会)・『阿閇の里』(播磨町)の研究を参考にさせていただきました。
円明寺は、江戸時代の初めの頃に曹洞宗の寺となり、現在に至っています。
円明寺炎上
明治10年、円明寺は全焼になり、再建に取りかかりました。
すでに廃寺になっていた鶴林寺普賢院の柱や瓦などを譲り受け明治12年に再建されています。
江戸時代の円明寺は、姫路藩最大の木綿問屋・坂田家の旦那寺として大いに隆盛を誇ったと想像されます。