のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は、ちょっと読むのに戸惑いそうな「壬生寺(みぶでら)」です。
京都に住んでいた際は、某番組の影響もあってさながら新撰組フィーバー状態でした。
しかし、そんなんはどーでもよかったひでるさん。
なにせ江戸時代が嫌いなうえ、思想だのなんだのとややこしい幕末期も苦手だったため、詳しくないんですね。
当然、このお寺にも特別な思い入れはありませんでした。
そんな訳で、近所なので存在は知っていながら行かなかったのが、「壬生寺」だったのです。
こちらは律宗総本山「唐招提寺」の末寺。
本尊は重文「地蔵菩薩立像」、ほか水掛け地蔵や夜啼き地蔵などもあり、どちらかというと”お地蔵さんのお寺”として有名だったようです。
西暦二年(991)
平安時代で、藤原氏が摂関政治でブイブイ言わせている頃のこと。
(※ちょうど、漫画「暴れん坊少納言(下記↓)」の時代です。気軽に勉強したい方にはオススメ)
近江・三井寺(園城寺)の「快賢僧都(かいけん・そうず)」によって創建されました。
仏師「定朝(じょうちょう)」に「地蔵菩薩」を造らせ、それを本尊としたのが始まりなのだとか。
そんな訳か、昔は「地蔵院」、あるいは「宝憧三昧寺(ほうどうさんまいじ)」、「心浄光院」などと呼ばれていたようです。
正元元年(1259)鎌倉時代
火災によって堂宇を焼失しておりましたが、「平政平(たいらのまさひら)」によって再建されました。
しかし、「平政平」ってなんだか冗談みたいな、しつっこい名前ですね(笑)
かなり興味わいたので、彼は何者?…と思って調べてみましたが…………コレがまったくの不明。
ざーっと系図を見ていて、「政」「平」という字の方がほとんど不在であること(正、衡ならいるんですが…)だけ分かりました。
おそらくは、各地へ色々散らばっていた、マイナー系な平氏の方なのかもしれませんね。
ともかく、その「政平」によって再建され、「十一面観世音菩薩」がおさめられたことで”洛陽三十三所観音巡礼の第二八番札所”になったのです。
その後、正安二年(1300)には、大念仏会が「円覚上人」によって行われています。
その際に上演された、仏の教えを無言劇にした「壬生狂言(大念仏狂言)」(※重要無形文化財)が民衆の心をとらえ、大いに栄えていくこととなるのです。
ややこしい説法聞かされるより、確かにその方が効果的でしょうねぇ。
現代でも、道路の良さを伝えるためのミュージカルをやっていたようですし(笑)
さて、現在でも行われている「壬生狂言」は、声が届きにくかった昔、見にきた全員に分かりやすくするため大げさな身振り手振りで表現されたものなのだとか。
江戸時代になると娯楽性のほうが重視され、仏の教え~という色は薄まっていったようですが。
境内北門の隣にある舞台「大念仏堂」は安政三年(1856)のもの。こちらは重文。
本堂は昭和になって焼失したため、現在ものは昭和四十五年に再建されたものでした。
なお、本尊であった「地蔵菩薩半跏像」も本堂と共に焼失しており、現在は総本山「唐招提寺」にあったお地蔵様を移しているそうです。
前述のとおり、現在は”新撰組ゆかりの寺”として、やたら有名なお寺ですね。
私も友人の希望で連れられて行きました。
境内で大砲、剣術や馬術などの特訓をした記録があり、ミニパビリオンちっくな壬生塚には「近藤勇」の胸像(※↑写真)や「芹沢鴨」「平山五郎」などの墓があったり、資料室があったり、新撰組にまつわる逸話を紹介しておりました。
果ては「三橋美智也」さんまでいたりしますよー。
新撰組ファンか、地蔵ファン(そんなんいないか)なら、オススメなお寺ですね。
四条大宮駅からはそこそこ距離あり、道入ったやや見つけづらい場所なのでご注意を。
[住所]
壬生寺 京都市中京区ボウ城通り仏光寺北入る
[関連記事] 【オススメ・アイテム】
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⇒ TV見仏記 京都編
⇒ TV見仏記2 滋賀/奈良編
⇒ TV見仏記3 南山城・宇治・伏見編
⇒ TV見仏記4 西山/高槻編
⇒ TV見仏記5 湖東/湖北/南河内編
⇒ 秘仏開帳~特別拝観の古寺・名刹をゆく~
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※コレです、これ。
平安時代を楽しく気軽に触れることができる、数少ない入門漫画です。
いきなり事柄だー、人物だー説明されても頭には入りません。
まずはこんなんがオススメです。
本日は、ちょっと読むのに戸惑いそうな「壬生寺(みぶでら)」です。
京都に住んでいた際は、某番組の影響もあってさながら新撰組フィーバー状態でした。
しかし、そんなんはどーでもよかったひでるさん。
なにせ江戸時代が嫌いなうえ、思想だのなんだのとややこしい幕末期も苦手だったため、詳しくないんですね。
当然、このお寺にも特別な思い入れはありませんでした。
そんな訳で、近所なので存在は知っていながら行かなかったのが、「壬生寺」だったのです。
こちらは律宗総本山「唐招提寺」の末寺。
本尊は重文「地蔵菩薩立像」、ほか水掛け地蔵や夜啼き地蔵などもあり、どちらかというと”お地蔵さんのお寺”として有名だったようです。
西暦二年(991)
平安時代で、藤原氏が摂関政治でブイブイ言わせている頃のこと。
(※ちょうど、漫画「暴れん坊少納言(下記↓)」の時代です。気軽に勉強したい方にはオススメ)
近江・三井寺(園城寺)の「快賢僧都(かいけん・そうず)」によって創建されました。
仏師「定朝(じょうちょう)」に「地蔵菩薩」を造らせ、それを本尊としたのが始まりなのだとか。
そんな訳か、昔は「地蔵院」、あるいは「宝憧三昧寺(ほうどうさんまいじ)」、「心浄光院」などと呼ばれていたようです。
正元元年(1259)鎌倉時代
火災によって堂宇を焼失しておりましたが、「平政平(たいらのまさひら)」によって再建されました。
しかし、「平政平」ってなんだか冗談みたいな、しつっこい名前ですね(笑)
かなり興味わいたので、彼は何者?…と思って調べてみましたが…………コレがまったくの不明。
ざーっと系図を見ていて、「政」「平」という字の方がほとんど不在であること(正、衡ならいるんですが…)だけ分かりました。
おそらくは、各地へ色々散らばっていた、マイナー系な平氏の方なのかもしれませんね。
ともかく、その「政平」によって再建され、「十一面観世音菩薩」がおさめられたことで”洛陽三十三所観音巡礼の第二八番札所”になったのです。
その後、正安二年(1300)には、大念仏会が「円覚上人」によって行われています。
その際に上演された、仏の教えを無言劇にした「壬生狂言(大念仏狂言)」(※重要無形文化財)が民衆の心をとらえ、大いに栄えていくこととなるのです。
ややこしい説法聞かされるより、確かにその方が効果的でしょうねぇ。
現代でも、道路の良さを伝えるためのミュージカルをやっていたようですし(笑)
さて、現在でも行われている「壬生狂言」は、声が届きにくかった昔、見にきた全員に分かりやすくするため大げさな身振り手振りで表現されたものなのだとか。
江戸時代になると娯楽性のほうが重視され、仏の教え~という色は薄まっていったようですが。
境内北門の隣にある舞台「大念仏堂」は安政三年(1856)のもの。こちらは重文。
本堂は昭和になって焼失したため、現在ものは昭和四十五年に再建されたものでした。
なお、本尊であった「地蔵菩薩半跏像」も本堂と共に焼失しており、現在は総本山「唐招提寺」にあったお地蔵様を移しているそうです。
前述のとおり、現在は”新撰組ゆかりの寺”として、やたら有名なお寺ですね。
私も友人の希望で連れられて行きました。
境内で大砲、剣術や馬術などの特訓をした記録があり、ミニパビリオンちっくな壬生塚には「近藤勇」の胸像(※↑写真)や「芹沢鴨」「平山五郎」などの墓があったり、資料室があったり、新撰組にまつわる逸話を紹介しておりました。
果ては「三橋美智也」さんまでいたりしますよー。
新撰組ファンか、地蔵ファン(そんなんいないか)なら、オススメなお寺ですね。
四条大宮駅からはそこそこ距離あり、道入ったやや見つけづらい場所なのでご注意を。
[住所]
壬生寺 京都市中京区ボウ城通り仏光寺北入る
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