お寺さんぽ Ver.03

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運命が変わる勝頼くん/強すぎる大将「武田勝頼」2

2006年08月21日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は甲斐武田氏・十二代目の当主「武田勝頼」です。
厳密にはこの人当主ではないようですが、まぁいいでしょう。

さて、武田軍団の一員として頑張る勝頼の身に、突然その運命をゆるがす事件が起こるのでした。
…ということで前回からの続きをば。


武田晴信(信玄)の正室「三条の方」に生ませた嫡男は「武田義信」でした。
今に伝え残る話では、父に負けない勇猛さと真っ直ぐな心をもつ、家臣の評判も上々な良将であったようです。
晴信はやむなく親子対立となってしまった自らの経験もありますから、この嫡男を大いに可愛がったものと思われます…が、しかし!

今川義元、織田信長の急襲に遭い、桶狭間にて討死!!

当時、駿河・今川家、甲斐・武田家、相模・北条家は「三国同盟」を結んでおり、義元の敗死は武田家にとって、容易ならざる事態だったのです。
(※ちなみに、今回写真は桶狭間合戦画)

北条はこの同盟を守り、混乱の中に後を継いだ嫡男「今川氏真」を助けるべく、動きます(※北条家として西に敵を作りたくない、という戦略もあると思う)が、晴信はここで同盟を破棄し、駿河への進出を決断するのです。

山国を本拠とする武田家にとって、海産物を入手できる海沿いの国、しかも豊かな平野と穏やかな気候の駿河国は非常に魅力的だったのです。
(※これは嘘話ですが「敵に塩をおくる」で知られる”塩止め”も回避できるしね)
ついでに、後継者の「今川氏真」は馬鹿の代名詞的な愚将だった、というのもあるのでしょう。

しかし、義信の正妻は今川義元の娘であり、「これは信義に反する」ということから、なんと親子対立に陥ってしまうのです。
…ここで歴史の語る事実は、義信死亡。晴信が駿河を併呑する、となるのです。

これには謀反を企てたとか、切腹したとか、病死したとか、色々様々に伝えられています。
しかし、確かなことは、義信は幽閉され、そこで死亡したこと。さらに、義信つきの猛将「飯富虎正(おぶとらまさ)」が同時期に自刃しているということです。

本稿は「太郎義信」ではないので詳細は避けますが、なにはともあれ武田の有力な跡継ぎはこうして歴史の表舞台から消えてしまうのでした。

さて、勝頼くんは四郎との名乗りで想像できるかもしれませんが、彼は四番目の男子なのです。
ここで晴信の子供らを具体的に書きますと、

1) 義信 …幽閉され死亡。
2) 信親(竜芳) …盲目のため、出家。
3) 信之 …夭折。
4) 勝頼 …諏訪家の名跡を継ぐ。本編の主人公。
5) 盛信 …仁科家の名跡を継ぐ。滅亡前に高遠城で「織田信忠」の大軍に囲まれ、討死。 

この他に男子が二、三名おりますが、まぁそんな感じなのでした。
要するに、順番で言えば勝頼くんが適当なんですねー。

⇒ つづく

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※しかし、跡継ぎとなったことでこうして本もいくつかでている勝頼くんです。
 新府城と勝頼ってタイトルだと厳しい批評かもしれませんが。

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