のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は戦国時代を代表する対照的な二人、弱きを助け強きを挫く正義の軍神「上杉謙信」、時代の寵児、魔王「織田信長」が激突するという、歴史ファンが望んだ合戦こそが「手取川合戦」なのでした。
天正五年(1577)
前年に続いて再び出陣した「上杉謙信」は計略によって見事「七尾城」を開城。
難敵・畠山氏を打ち倒し、能登を支配下とするのでした…。
合戦には滅法強く、戦国最強軍団・武田勢相手に一歩も退かなかった軍神「上杉謙信」以下上杉家にはその独特な思想など一種のカリスマ性がありました。
真っ直ぐに義戦を仕掛けてくる謙信は、非常に厄介な敵であるのです。
そんな強敵、上杉勢進軍の報は信長にとって驚異であり、両国の国境間に位置していた畠山氏はまさに防波堤というべきものでした。
簡単に滅んでしまっては困るのです…が。
さて、落城前の七尾城を脱出した「長連龍」の援軍要請を受けた信長は、約二ヵ月ほどで家老「柴田勝家」ほか織田軍団の精鋭を集結させ、能登へと出陣するのです。
総勢五万という大軍勢には家老「柴田勝家」を筆頭に、「丹羽長秀」、「滝川一益」、「羽柴秀吉」というそうそうたる顔触れが揃っておりました。
また、先陣に遅れて、信長自らも出陣していたのです。
この陣立てでもわかるように、はっきり”強敵”という認識を持っていたのでした。
織田の援軍が救援へと向かうその頃、前述したように「七尾城」は内乱によって落城しておったのです。
もう間に合わなかったんですねー。
ただし、その悲報は進軍する織田勢にまで届いておりませんでした。
さらに悪いことに、総大将に任命されていた「柴田勝家」、そして後の太閤「羽柴秀吉」は作戦の相違から揉めていたのです。
筆頭家老である勝家は作戦の全指揮を任されておりましたから、本来であればこれに従うのは当然でしょう。
しかし、この時の秀吉はよほど自信があったのか、勝家の意見にどうにも賛同できなかったか、激しく意見をぶつけた結果、勝手に撤退してしまうのでした。
出陣メンバーは豪華でありながらも信長という絶対者が不在であったため、統制からして怪しい寄せ集め部隊という風情だったのです。
ともかく、信長を欠いた先発部隊は内部に問題を抱えたまま進軍。
結果として、落城の知らせを受けたのは手取川の渡河後だったのでした。
当初の織田方の思惑としては、城を囲む上杉勢を内外から挟撃するというものだったでしょう。…たぶん。
それが既に落城しているのだから、矛先はまっすぐこちら向きになっているのです。
実際、七尾城を落城せしめた上杉勢は織田援軍の接近を確認すると、手取川近くの松任城へ入っておりました。
さすがは軍神、万全な迎撃体制を整えていたのです。
⇒ つづく。
次回は「はねる謙信逃げる信長」(5/5)
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※こんなん見つけましたよ!
真面目に欲しくないですか??…飾る場所はないのだけれど。
本日は戦国時代を代表する対照的な二人、弱きを助け強きを挫く正義の軍神「上杉謙信」、時代の寵児、魔王「織田信長」が激突するという、歴史ファンが望んだ合戦こそが「手取川合戦」なのでした。
天正五年(1577)
前年に続いて再び出陣した「上杉謙信」は計略によって見事「七尾城」を開城。
難敵・畠山氏を打ち倒し、能登を支配下とするのでした…。
合戦には滅法強く、戦国最強軍団・武田勢相手に一歩も退かなかった軍神「上杉謙信」以下上杉家にはその独特な思想など一種のカリスマ性がありました。
真っ直ぐに義戦を仕掛けてくる謙信は、非常に厄介な敵であるのです。
そんな強敵、上杉勢進軍の報は信長にとって驚異であり、両国の国境間に位置していた畠山氏はまさに防波堤というべきものでした。
簡単に滅んでしまっては困るのです…が。
さて、落城前の七尾城を脱出した「長連龍」の援軍要請を受けた信長は、約二ヵ月ほどで家老「柴田勝家」ほか織田軍団の精鋭を集結させ、能登へと出陣するのです。
総勢五万という大軍勢には家老「柴田勝家」を筆頭に、「丹羽長秀」、「滝川一益」、「羽柴秀吉」というそうそうたる顔触れが揃っておりました。
また、先陣に遅れて、信長自らも出陣していたのです。
この陣立てでもわかるように、はっきり”強敵”という認識を持っていたのでした。
織田の援軍が救援へと向かうその頃、前述したように「七尾城」は内乱によって落城しておったのです。
もう間に合わなかったんですねー。
ただし、その悲報は進軍する織田勢にまで届いておりませんでした。
さらに悪いことに、総大将に任命されていた「柴田勝家」、そして後の太閤「羽柴秀吉」は作戦の相違から揉めていたのです。
筆頭家老である勝家は作戦の全指揮を任されておりましたから、本来であればこれに従うのは当然でしょう。
しかし、この時の秀吉はよほど自信があったのか、勝家の意見にどうにも賛同できなかったか、激しく意見をぶつけた結果、勝手に撤退してしまうのでした。
出陣メンバーは豪華でありながらも信長という絶対者が不在であったため、統制からして怪しい寄せ集め部隊という風情だったのです。
ともかく、信長を欠いた先発部隊は内部に問題を抱えたまま進軍。
結果として、落城の知らせを受けたのは手取川の渡河後だったのでした。
当初の織田方の思惑としては、城を囲む上杉勢を内外から挟撃するというものだったでしょう。…たぶん。
それが既に落城しているのだから、矛先はまっすぐこちら向きになっているのです。
実際、七尾城を落城せしめた上杉勢は織田援軍の接近を確認すると、手取川近くの松任城へ入っておりました。
さすがは軍神、万全な迎撃体制を整えていたのです。
⇒ つづく。
次回は「はねる謙信逃げる信長」(5/5)
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真面目に欲しくないですか??…飾る場所はないのだけれど。