お寺さんぽ Ver.03

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石仏っていいね (石仏・入門編)

2006年10月11日 | 仏像
のんびり気軽にさんぽがてら。
仏像記事だとアクセスが急落する(笑)当ブログ。
困ったことに本当なんですよ、これが。
しかし、本日はそれにめげず、仏像記事でもまたさらに人を選びそうな、「石仏」について語ってみたいと思います。

まだひでるさんも勉強したてなので、ごくごく軽めでお送り致します。
いやー、石仏って本当にいいもんですね。
ということで↓どうぞ。


そこらで見かける(と思う)石仏。
簡素なお堂に祀られている方や、道端にそのままぽつんとおられる方。
さらには「なんでこんな所にいるんだろう?」という不可解な場所におられる方など、ご近所を見回せばその存在に気付くことでしょう。たぶん。
お寺で静かに鎮座する仏様と違い、なにゆえこういった身近な場所におられるのでしょうか?

☆道しるべ・境界としての意味。
お地蔵さまや道祖神がそうですが、町・村へと続く道中の安全を願うと同時に、「ここが正しい道ですよー」、「ここから町ですよー」という、看板・道しるべ的な意味を含んだオブジェとして設置されているらしい。
おそろく、こんなんが最も一般的であると想像されます。

☆災害地・戦地の供養のため。
災害が頻発するところ、あるいは戦地にて戦没者供養のため、設置されたこともあるようです。
敵・味方問わずに戦没者は念仏を唱えて丁重に供養するという、素敵な風習が日本にはあったのです。
…まぁ、その切っ掛けは祟りを恐れただけのようですが。

また、石仏は耐久性に優れていることから、後世に残りやすいものでした。
特に、平安時代後期で流行した「末法思想」の関係から、後世に仏像を残したいがため、巨大な石仏が各地で作られたのです。
平安時代の後期というのは、武士の台頭によってこれまでの政治が不安定となってきた時期だったのですね。

その「末法思想」を簡単に説明しますと「釈迦入滅後の何万年後にはその教えが正しく伝わらなくなる」という思想で、社会の混乱から永承七年(1052)こそが末法元年、と信じられたそうなのです。
なお、これにより、阿弥陀様に帰依する「浄土教」が広まっていくのでした。
ちなみに、鎌倉幕府が成立して社会が安定すると、いつしか「末法思想」は忘れられていったようです。
そんなもんですよね。

鎌倉時代以降からは現代にもよく見かけられるような小さな石仏が増え、江戸時代頃になると民間信仰とも結びついて、「地蔵菩薩像」、「馬頭観音像」、「青面金剛像」などが道路や森に安置されるようになったそうです。
さて、第一回目の入門編は石仏でよく見られる方々を簡単に説明して終わります。


地蔵菩薩(じぞうぼさつ)
 六道(ろくどう、りくどう)の番人。境界神的な意味合いが強いです。
 石仏で僧形の方は、ほぼ間違いなくお地蔵様でしょう。
 トップクラスの勢力であちこちにおられ、仏像に興味がない方でも容易に見分けられます。

馬頭観音(ばとうかんのん)
 六観音の一つで、観音ながら忿怒相のお方。
 馬を守る神でして、農耕・運送・交通に関わる馬の安全を守るため、路傍の神になったようです。
 六臂、または八臂で三面。頭に馬頭をのせた方です。
 写真のお方(※川崎・登戸駅付近)ですね。

青面金剛(しょうめんこんごう)
 疫病を流行させる神。そのため、祀ることで逆に疫病を防ごうとしたようです。
 四臂、あるいは六臂で武器を持たれた方。
 あまり頻繁には見ない、珍しい方だと思います。…ちがうかな。

ちなみに、名鉄犬山線には石仏(いしぼとけ)という駅があるそうです。
検索で引っかかったので、豆知識として一応書いておきました。
うふふ…。


[関連記事]
⇒ 阿弥陀如来 (真正極楽寺)
⇒ 五智如来石像 (葛飾区・真勝院)
⇒ 地蔵菩薩・半跏坐像 清涼寺(京都)
⇒ 地蔵菩薩半跏像 (京都・石像寺)
⇒ 双体道祖神 (京都:道祖神社)

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 …探すと結構頻繁に見かけるんですよ。これが。


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