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のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は魅惑の神様、日本国の総鎮守神「蔵王権現」とその信仰について。
はっきり言って、先の「蔵王権現」ネタであぶれたお話なのですが…。
さて、日本国土の大半は山岳、丘陵地帯ですよね。
現在でも危険とよく言われていますが、奈良時代・平安時代のそこは厳しい自然に溢れ、体力と知識が必要不可欠でした。
また、山には神様がいると古来より信じられておりましたから、その下で修行することこそ霊験感得の方法と考えられたのでしょう。
結果として、古くからの「神道」、大陸から渡ってきた「密教」、当時は神秘的にとらえられていた「陰陽道」などが混ざり、自然・山岳崇拝的な「修験道」という新しい修派が形成されていきました。
…その本尊として選ばれたのが「蔵王権現」なのです。
平安時代初期頃には存在していたらしい「蔵王権現」さま(笑)
「執金剛神(しゅうこんごうじん)」の総称で、「金剛薩埵(こんごうさった)」の変化と言われています。
続く平安時代後期頃、吉野山で修業をしていた南都験者たちによってまとめられ、「金剛蔵王」・「金剛童子」・「金剛力士」などの信仰をもとに神格が創案されていったのでした。
なお名称の初出は、寛弘四年(1007)
「藤原道長」の願文「南無教主釈迦蔵王権現」という文句とされています。
ただし、それ以前にも、金峯山(きんぶせん)で修行中の「道賢」が「執金剛神」の導きで「蔵王菩薩」に会ったエピソードなどが残っており、”もともとは「蔵王菩薩」と称されていた、金峯山の守護神ではないか?”と想像されています。
平安時代末期から金峯山が修験者たちの拠点となってくると、彼らのヒーロー「役行者(えんのぎょうじゃ)」が実はこちらの「蔵王権現」を感得していたのだ、という伝承が生み出されていったのです。
そんな訳で、行者さんと「蔵王権現」の関わりは実際のところ未知数でして、完全に後付けなんですね。
話に尾ひれがついた…というよりも明確な意思があるようなので、有名人を宣伝に起用したのでしょう。
政治家の応援演説みたいなもんですか。ちょっと違うか。
一般的に知られている「金剛山秘密伝」には、「役行者」が祈祷すると「釈迦如来」・「千手観音」・「弥勒菩薩」の諸尊、さらにその後に「蔵王権現」が出現したとされています。
それが「太平記」になると「地蔵菩薩」が最初で、後に「蔵王権現」が出現したとされ、「両峯問答秘鈔」では最初に童子が出現したこととなっているのですよ。
どれが本当か、というより、全てウソではないか、って(笑)
修験道が最も流行した中世期では吉野山に、
・山下の「蔵王堂」 :吉野山・金峯山寺の蔵王堂。現存。
・安禅の「蔵王堂」 :金峯神社付近にあったとされる。
・山上の「蔵王堂」 :現在の大峯山寺。
…などが設けられ、「蔵王権現」は修験道の主尊という位置づけにされていきました。
鎌倉時代となると、正月には蔵王供養、毎月十九日には蔵王講が行われ、そのための教義書まで作られていくのです。
(※先の「金剛山秘密伝」は鎌倉時代のもの)
これらによって、「蔵王権現」は「釈迦・観音・弥勒」の徳を一身にそなえた神格とされ、諸魔を降伏し、七難即滅、七福即生をもたらすという信仰が広まっていったのでした。
めでたし・めでたし。
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※ひでるさんのヒーローと言えばやっぱり「ウルトラマン」ですね。
なんか適当な伝承を流布して定着させれば、後の世に「実際いた」ってなるかもしれませんよ。
本日は魅惑の神様、日本国の総鎮守神「蔵王権現」とその信仰について。
はっきり言って、先の「蔵王権現」ネタであぶれたお話なのですが…。
さて、日本国土の大半は山岳、丘陵地帯ですよね。
現在でも危険とよく言われていますが、奈良時代・平安時代のそこは厳しい自然に溢れ、体力と知識が必要不可欠でした。
また、山には神様がいると古来より信じられておりましたから、その下で修行することこそ霊験感得の方法と考えられたのでしょう。
結果として、古くからの「神道」、大陸から渡ってきた「密教」、当時は神秘的にとらえられていた「陰陽道」などが混ざり、自然・山岳崇拝的な「修験道」という新しい修派が形成されていきました。
…その本尊として選ばれたのが「蔵王権現」なのです。
平安時代初期頃には存在していたらしい「蔵王権現」さま(笑)
「執金剛神(しゅうこんごうじん)」の総称で、「金剛薩埵(こんごうさった)」の変化と言われています。
続く平安時代後期頃、吉野山で修業をしていた南都験者たちによってまとめられ、「金剛蔵王」・「金剛童子」・「金剛力士」などの信仰をもとに神格が創案されていったのでした。
なお名称の初出は、寛弘四年(1007)
「藤原道長」の願文「南無教主釈迦蔵王権現」という文句とされています。
ただし、それ以前にも、金峯山(きんぶせん)で修行中の「道賢」が「執金剛神」の導きで「蔵王菩薩」に会ったエピソードなどが残っており、”もともとは「蔵王菩薩」と称されていた、金峯山の守護神ではないか?”と想像されています。
平安時代末期から金峯山が修験者たちの拠点となってくると、彼らのヒーロー「役行者(えんのぎょうじゃ)」が実はこちらの「蔵王権現」を感得していたのだ、という伝承が生み出されていったのです。
そんな訳で、行者さんと「蔵王権現」の関わりは実際のところ未知数でして、完全に後付けなんですね。
話に尾ひれがついた…というよりも明確な意思があるようなので、有名人を宣伝に起用したのでしょう。
政治家の応援演説みたいなもんですか。ちょっと違うか。
一般的に知られている「金剛山秘密伝」には、「役行者」が祈祷すると「釈迦如来」・「千手観音」・「弥勒菩薩」の諸尊、さらにその後に「蔵王権現」が出現したとされています。
それが「太平記」になると「地蔵菩薩」が最初で、後に「蔵王権現」が出現したとされ、「両峯問答秘鈔」では最初に童子が出現したこととなっているのですよ。
どれが本当か、というより、全てウソではないか、って(笑)
修験道が最も流行した中世期では吉野山に、
・山下の「蔵王堂」 :吉野山・金峯山寺の蔵王堂。現存。
・安禅の「蔵王堂」 :金峯神社付近にあったとされる。
・山上の「蔵王堂」 :現在の大峯山寺。
…などが設けられ、「蔵王権現」は修験道の主尊という位置づけにされていきました。
鎌倉時代となると、正月には蔵王供養、毎月十九日には蔵王講が行われ、そのための教義書まで作られていくのです。
(※先の「金剛山秘密伝」は鎌倉時代のもの)
これらによって、「蔵王権現」は「釈迦・観音・弥勒」の徳を一身にそなえた神格とされ、諸魔を降伏し、七難即滅、七福即生をもたらすという信仰が広まっていったのでした。
めでたし・めでたし。
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