のんびり気軽にさんぽがてら。
本日も魅惑の攻城戦シリーズ(そんなのない)です。
後の太閤「羽柴秀吉」の実力が遺憾なく発揮される「鳥取城合戦」をお送りしております。
天正九年(1581)三月(十八日)
織田勢の影響力がじんわりと強まる山陰方面。
こちらを担当する「吉川元春」は、「中村春続」、「森下道誉」らの要請に応じて一族の「吉川経家(きっかわ・つねいえ)」を城主として送り込んだのです。
自らの棺桶を掲げ、決死の覚悟で入城した経家ですが…城内の兵糧があまりに少なかったことに愕然としていました。
鳥取城攻略のため、なんと「羽柴秀吉」は前もって商人を手配し、高値で米を買っていたのです!
六月
ついに姫路城から出陣した秀吉率いる織田勢は、但馬国にて弟「羽柴秀長」らと合流しました。
総勢は約三万という大部隊です。
秀長勢は海路から、秀吉勢は陸路を進んでそれぞれ因幡入りし、本陣山(太閤ヶ原)に本陣を置いてさっそく攻略を開始しました。
まず、付近の農民らを追いたて、いやおうなく鳥取城へ入るよう仕向けています。
こうして、城内は約二千ほどの城兵ほか四千ほどの人間で溢れました。
もともと非戦闘員である多くの農民らが城へ入ったことにより、兵糧の欠乏をいっそう早める結果となっていくのです。
包囲陣形に着手したのは、七月頃から。
経家の記録では、
「三里(※約12km)四方に堅固な柵をめぐらし、河には乱杭を打ち、あるいは逆茂木を引き、あるいは水底に縄網を張り、諸陣の櫓には鼓、螺、鐘を鳴らし、所々の篝火はまるで万燈のよう」
…と、残されています。
東は峰上、西は袋川を前線として、兵を配置。
総延長三里という包囲網は鳥取城、そして北の丸山城(出城)をもすっかり囲んでしまうほど。
川岸には櫓を建て並べ、築地塀(ついじべい:土を固めた塀)を高く築くなどして、毛利方の援軍に備えています。
その包囲はまさしく、”水も漏らさぬほど”だったのでした。
一方、織田陣中では町屋を建て、市を開かせたり、歌舞伎を呼ぶなどしていました。
秀吉は後の小田原城攻めでも同じことをやっていますが、長陣に退屈しないようちゃんと工夫をしていたのです。
このため、自軍の士気は衰えることなく、逆にその様を目の当たりにした城兵の士気は大いに衰えていくのでした。
当然でしょう。
必死に守備をするその目前で、ちゃんちゃかと楽しげに遊んでいるのですから…。
まったくひどい話ですよ(笑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyoko_cloud.gif)
⇒ つづく
次回は「地獄絵図の鳥取城」(5/6)
[関連記事] 【中期・合戦祭り】
⇒ 史上最悪の市街戦「応仁の乱」[1 2 3 4 5 6]
⇒ 日本三大奇襲戦の一つ「河越城夜戦」 [前 中 後]
⇒ 日本三大奇襲戦の一つ「厳島の戦い」 [前 中 後]
⇒ 姫若子、ついに初陣! 「長浜合戦」 [1 2 3 4]
⇒ 伊東侵攻・義弘、不利な戦況に挑む「木崎原合戦」[1 2 3]
⇒ 炸裂!島津得意の釣り野伏! 「耳川合戦」 [前 中 後]
⇒ 激突・関白軍勢対九州の覇者 「戸次川合戦」 [1 2 3 4]
⇒ 徳川勢は本当に活躍した?「姉川合戦」[1 2 3 4 5 6 探訪]
⇒ はねる謙信逃げる信長 「手取川合戦」[1 2 3 4 5]
⇒ 戦国メロドラマ劇場「岩村城攻防戦」[1 2 3 4 5]
⇒ 戦国最強軍団の落日「長篠合戦」[1 2 3 4 5]
★宜しければ応援クリックお願いします。 ⇒ 【人気blogランキング】
※こんなん発見しましたよ!かっちょえー!
思わず即買いしてしまいました。
本日も魅惑の攻城戦シリーズ(そんなのない)です。
後の太閤「羽柴秀吉」の実力が遺憾なく発揮される「鳥取城合戦」をお送りしております。
天正九年(1581)三月(十八日)
織田勢の影響力がじんわりと強まる山陰方面。
こちらを担当する「吉川元春」は、「中村春続」、「森下道誉」らの要請に応じて一族の「吉川経家(きっかわ・つねいえ)」を城主として送り込んだのです。
自らの棺桶を掲げ、決死の覚悟で入城した経家ですが…城内の兵糧があまりに少なかったことに愕然としていました。
鳥取城攻略のため、なんと「羽柴秀吉」は前もって商人を手配し、高値で米を買っていたのです!
六月
ついに姫路城から出陣した秀吉率いる織田勢は、但馬国にて弟「羽柴秀長」らと合流しました。
総勢は約三万という大部隊です。
秀長勢は海路から、秀吉勢は陸路を進んでそれぞれ因幡入りし、本陣山(太閤ヶ原)に本陣を置いてさっそく攻略を開始しました。
まず、付近の農民らを追いたて、いやおうなく鳥取城へ入るよう仕向けています。
こうして、城内は約二千ほどの城兵ほか四千ほどの人間で溢れました。
もともと非戦闘員である多くの農民らが城へ入ったことにより、兵糧の欠乏をいっそう早める結果となっていくのです。
包囲陣形に着手したのは、七月頃から。
経家の記録では、
「三里(※約12km)四方に堅固な柵をめぐらし、河には乱杭を打ち、あるいは逆茂木を引き、あるいは水底に縄網を張り、諸陣の櫓には鼓、螺、鐘を鳴らし、所々の篝火はまるで万燈のよう」
…と、残されています。
東は峰上、西は袋川を前線として、兵を配置。
総延長三里という包囲網は鳥取城、そして北の丸山城(出城)をもすっかり囲んでしまうほど。
川岸には櫓を建て並べ、築地塀(ついじべい:土を固めた塀)を高く築くなどして、毛利方の援軍に備えています。
その包囲はまさしく、”水も漏らさぬほど”だったのでした。
一方、織田陣中では町屋を建て、市を開かせたり、歌舞伎を呼ぶなどしていました。
秀吉は後の小田原城攻めでも同じことをやっていますが、長陣に退屈しないようちゃんと工夫をしていたのです。
このため、自軍の士気は衰えることなく、逆にその様を目の当たりにした城兵の士気は大いに衰えていくのでした。
当然でしょう。
必死に守備をするその目前で、ちゃんちゃかと楽しげに遊んでいるのですから…。
まったくひどい話ですよ(笑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyoko_cloud.gif)
⇒ つづく
次回は「地獄絵図の鳥取城」(5/6)
[関連記事] 【中期・合戦祭り】
⇒ 史上最悪の市街戦「応仁の乱」[1 2 3 4 5 6]
⇒ 日本三大奇襲戦の一つ「河越城夜戦」 [前 中 後]
⇒ 日本三大奇襲戦の一つ「厳島の戦い」 [前 中 後]
⇒ 姫若子、ついに初陣! 「長浜合戦」 [1 2 3 4]
⇒ 伊東侵攻・義弘、不利な戦況に挑む「木崎原合戦」[1 2 3]
⇒ 炸裂!島津得意の釣り野伏! 「耳川合戦」 [前 中 後]
⇒ 激突・関白軍勢対九州の覇者 「戸次川合戦」 [1 2 3 4]
⇒ 徳川勢は本当に活躍した?「姉川合戦」[1 2 3 4 5 6 探訪]
⇒ はねる謙信逃げる信長 「手取川合戦」[1 2 3 4 5]
⇒ 戦国メロドラマ劇場「岩村城攻防戦」[1 2 3 4 5]
⇒ 戦国最強軍団の落日「長篠合戦」[1 2 3 4 5]
★宜しければ応援クリックお願いします。 ⇒ 【人気blogランキング】
![]() | 戦国武将Tシャツ「石田三成」Lサイズ歴史城このアイテムの詳細を見る |
※こんなん発見しましたよ!かっちょえー!
思わず即買いしてしまいました。