お寺さんぽ Ver.03

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「信長の野望 烈風伝」 政治編 (光栄・PSP版) 

2011年04月24日 | ネタ
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日はこないだからハマっている「信長の野望 烈風伝」についてです。

最近、PSPを手に入れました。
そこでベストが出ている「信長の野望 烈風伝」を買ったんですね。
このシリーズは全国版からやっているんですが、ぶっちゃけ「天翔記」以降はやってません。
時間もなくなったことで、それ以降の新作はあまり画面も見てないくらいで、最新の「革新」とかはよく分かんないんですが…個人的にベストな「戦国群雄伝」に次ぐ面白さでした。
(※そっちは88版、98版、ウィンドゥズ版、携帯版…と、長きに渡ってプレイしてます)

そんな訳で今更とは分かってますが、「信長の野望 烈風伝」についてお送りいたします。
攻略…とまではいかないものの、説明書にない細かい点についてちらほら書きたいと思います。
ただし、詳細にデータ取ったりはしていません。
プレイした感覚(※難易度は初級ですよ)で、こざっぱりと書きますね。
購入の際、あるいは初プレイな方の参考になればいいかな、くらいの感覚で。


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まずは政治関係から。

【開発について】
支城は城を中心に3×3(8マス)が支配地域。
ぐるりと一周囲んだ感じ。
本城は城を中心に5×5(24マス)が支配地域で、支城からさらにぐるりと一周囲んだところまで。
この支配地域部分の開発が出来、収入へと結びつくのです。

山岳・川(湖)マスには何も開発できず、逆に平地では全ての開発が可能。丘陵は一部のみ。
全国の本城・支城はいちおう同じ開発スペースですが、そうした地形による差、特殊地形(下記参照)の差によって収入差が出るようになっていました。
平地には全て開発できるものの、そちらのみという開発地形もあり、どうチョイスするのか、ちょっとしたパズル感覚になっています。
例えば、近畿の各城は都市・港があるほか平地も多く、基本的にがっちりとした収入が得れました。
途中変更も可能なので、状況に応じて比率を変えるのがオススメ。

金銭収入については町以外に特殊地形でも多くあり、ポイントはいかに兵糧収入を増やしていくか。
毎月増加する金銭より、なんとなく兵糧に困ることのが多い感覚でした。
そのため、レベルの高い水田を1マスでも揃えることが重要かな。
なお、兵糧が無くなると兵が減少し、金銭がなくなると武将の忠誠度が下がり、結果出奔したりします。


※城による収入差の例。右は開発マスが少ない。


【開発地形】
■水田:9月に兵糧収入があり、レベルは3段階です。平地のみ開発可能。
 湿地、川、湖の隣にのみ開発できます。
 あるいは、建設の治水によって川から3マスほど範囲を広げられます。
 条件が厳しいだけ、レベル3の収入は非常に多くあります。
■畑:9月に兵糧収入があり、丘陵や範囲外の平地のみ開発可能。 
 水田・畑は自動的にチョイスされ、畑は水田のレベル2よりも収入が落ちます。
 即効性があるものの、畑は収入が少ないんですね。
 場合によっては、特産品のが収入あったりするようです。
■町:毎ターン金銭収入があり、レベルは3段階です。平地のみ開発可能。 
 金銭収入のあてが他にない場合、平地には必ず1つでも開発しておく必要があるでしょう。
■村:毎ターン兵士収入があり、レベルは3段階です。どちらでも開発は可能。
 どこでも配置できるので、丘陵に開発するのがベスト。
 ただし、兵士が多過ぎると兵糧の減りも多くなるので注意です。
■特産品:年に1回ほど金銭、または兵糧収入があります。どちらでも開発は可能。
 地図上に大根など、ポツンと置かれた姿がシュールで可笑しいですね。
 木材、硫黄とか蜜柑、茶、牛、大根など、お得なものもあります。
■楽市:毎ターン兵士収入があり、イベントが必要。平地のみ開発可能。 
 イベントがあれば、即開発しましょう。
 最前線がベストですが、後方でも輸送すればいいので、とりあえず開発。
■鉄砲鍛冶村:毎ターン鉄砲収入があり、開発にはイベントが必要。平地のみ開発可能。
 薩摩、紀伊など、開始当時から存在する地域もあります。
 これは大砲、鉄甲船の入手条件にもなっています。

【特殊地形】
■港:毎ターン金銭収入があります。
  海へ出るにはこちらから。
  全国のあちこちに存在するので、築城の際には支配に入れるのをオススメ。
■金山:毎ターン金銭収入があります。レベル1以外は港や都市よりも高収入。
  隠しを含めて結構数が各地に存在し、レベルは3段階です。
  特に長尾(上杉)家でプレイする場合、佐渡のレベル3金山をぜひ活用したいところ。
■都市:毎ターン金銭収入があります。
  京、博多、堺などにあります。
■馬:毎ターン馬収入があります。
  東北、中部にあり、戦闘でガンガン騎馬隊が使えるので便利。
  武田家が恐い理由の1つです。
■寺:一向一揆勢力がここから出撃してきます。
  さして強力な部隊ではないものの、北陸や近畿地方は注意。
 (※5部隊で兵力は2500です)
  うざいだけで、それ以外には特にないみたい。


※見逃せない、佐渡のLV3金山。

【建設について】
主に実行するのは、治水、改修あたりではないかと。
軍団ではなく、なんとなーく城外へ出たい場合などにもこちらを利用します。

■築城:支城を建築します。
 特に必要はないものの、金山、港、馬など特殊地形の恩恵を受けたい場合にもこちら。
 わざとこちらを攻めさせてコンピューター勢力の分断を謀る、野戦へ引っ張り出すため、わざと支城を建築するというのもアリ。
■改修:城防御度を上げます。
 城攻めで痛感していると思いますが、守備側はやはり防御度が命
 特に本城では常に最大にしておきたいところでしょう。
 逆に支城では、最大値でもせいぜい80程度。
 余裕があれば別ですが、急務ではないかと思います。
■治水:水田の範囲が広がるほか、台風被害も受け辛くなります。
 序盤はほったらかしても、兵糧収入を増やすためどちらかでやっておくと便利。
■道造:街道を造ります。
 道があると、軍団ユニットの移動力が各段に上昇します。
 軍事行動より、物資輸送に必須ですね。
 当然ながら敵軍にもその恩恵があるので、突如攻め込まれたりしないよう注意。 

【朝廷、外交について】
■朝廷:
 今回のポイントである威信に関わる、朝廷工作。
 この「威信」については後述します。
 ただひたすらに金銭を献上して、官位を得ていくのが目的。
 高い官位によって威信を上昇させると共に、家臣にあたえて忠誠度を上げることができます。
■外交:
 同盟は便利で、結構簡単に結ぶことができます。
 ただし手切となった際には、忠誠度、名声(威信)が下がるため、ひたすら結ぶのは考えもの。
 婚姻も同様。
 コンピュータから破棄されるのは、ほとんどないみたい。
 取込はわざわざせずとも、ほっといて傘下になることあります。
 これは武将の性格かな。

【威信システム】
ターンは1ヶ月に1度。
戦略の順序はランダムでなく、威信の高い大名が早いようです。
これは実際戦略上で先制が出来るので有利です。
外交、調略の成功率が上がるなどありますが、独立勢力や他家城主が勝手に降伏してくるのがデカイです。
合戦に勝利する、京を制圧するほか、隠し要素の「香木」でも上昇します。
多門山城のちょっと上あたりで発見しましたよ。

⇒ つづく。
  次回は『「信長の野望 烈風伝」 合戦編 (光栄・PSP版)』です。
  書ききれなかったので、次にしてみました。 

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閻魔天 (天部・仏像)

2011年04月17日 | 仏像
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は「閻魔天(えんまてん)」です。
皆さんお馴染みな、おっかない顔の「閻魔大王」とはちょっと違います。
…というか、そっちをやりたいので、その原点であるこちらをやることとしました。
なお、この方はほとんど見掛けず、資料もないため、↑イメージはひでるさんが描いてます。
大雑把にはあんな感じよ。


梵名「ヤマ」、あるいは「ヤーマ」を音写したものが「閻魔」です。
他に「夜摩(やま)」、「焔摩(えんま)」、「焔魔(えんま)」…といった表記もある様子。
また、それに「王」の意味がある梵名「ラージャ」をつけて「閻魔羅社(えんま・らしゃ)」、それを略して「閻魔羅」、「閻羅」というのもありました。
その「ヤマ」には”一対をなす”という意味があり、「双王」とも訳されます。
彼には「ヤーミー」という双子の妹がいたんだって
…どんな顔してるんだろ。

その「ヤマ」は、最初は天上の楽土に住んでいた光明神の一人。
それが人類最初の死者となって冥界へ行き、そのまま死後の世界の支配者となったのでした。
暗黒世界を主催する彼は地獄の王とされ、いつしか死者の生前の行為に従って、賞罰をつかさどる神となっていったのです。
インドの「ヴェーダ神話」、「マヌ法典」では、だいたいそんな感じの内容。
それらの性格が仏教にも取り入られ、さらに密教では十二天の一人として”南方を守る護法神”とされたのでした。

これが中国に伝わって…道教の冥界思想と融合した姿が…冒頭でちょろっと書いた「閻魔大王」です。
別にやりたいので、今回は詳細についてばっさり割愛しますね。
(※ただ、各本の記述はどっちだか曖昧なものもあり、よく分かりません。次の「閻魔大王」記事とセットで見ていただければ幸いです。…まだ書いてないけど)
日本では、密教と共に「閻魔天」が平安時代に、「閻魔大王」はやや遅れて鎌倉時代に伝わった様子。
十二天の一人として信仰されるほか単独の信仰もあり、天台密教「冥道供」では本尊とされます。

その姿は、叙事詩「マハーバーラタ」では王冠をかぶって片手に棍棒、片手に索を持ち、水牛に騎乗していました。
それが密教になると菩薩形。
片手に人頭をつけた半円月のステッキのような、”人頭幢(※)”を持っていて、水牛に半跏座で騎乗しています。
菩薩で水牛なら、ほぼ間違いなく「閻魔天」である筈。
仏像はほとんど見掛けませんが、京都「醍醐寺」には大きいものがありましたよー。
これは必見。

(※)人頭幢(じんとうどう):
儀式または軍隊の指揮などに用いた旗の一種。彩色した布で作り、竿の先につけたり、柱に懸けたりした。
人頭とあるので、先には人の頭がついている。

密教での「閻魔天」は亡者の救済、死すべき者の延命などのご利益があります。
なお、「地蔵菩薩」の化身とも言われています。


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※「えん魔くん」は閻魔大王の甥だそうです。
 なんかリニューアルのやつやってますね。

高尾山薬王院 (東京都・八王子市)

2011年04月10日 | お寺
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は天狗のメッカ、東京都は八王子市の「高尾山薬王院(たかおさん・やくおういん)」です。

連休ともなると、多くの人で賑やかな「高尾山薬王院」
アクセスが良く、ちょっとおでかけには最適な場所ですねー。
ひでるさんが行ったの時も連休中だったので、ケーブルカーはえらい行列になっていましたよ。


※天狗もあちこちにいます

さて、こちらの正式名称は「高尾山薬王院有喜寺(~・ゆうきじ)」
真言宗・智山派の大本山です。
なんと、関東三大本山の一つでもありました。
(※他は成田山新勝寺、川崎大師平間寺)

こちらの起こりは天平十六年(744)、奈良時代のこと。
「聖武天皇」の勅命によって、”菩薩”の称号を持つ「行基(ぎょうき)」によって東国鎮護の祈願寺となるべく開山されました。
ただし、「行基菩薩」の主な活動地域は関西方面。
そちらには実際に開山した寺院が多くありますが…ここの場合は名前を借りただけかなー。
まぁ、いいか。
本尊として「薬師如来」が祀られたため、「薬王院」と名付けられたのです。


※飯縄権現

それから時代がずーっと過ぎて、永和年間(1375~ 1379)
将軍「足利義満」の室町時代のこと。
京都は醍醐寺より「俊源大徳( しゅんげんだいとく)」が迎えられ、こちらは「飯縄権現」を守護神として奉納・中興されたのでした。
これこそが、ヒットの要因。
飯縄信仰では霊山であるという認識が広まり、また修験道の道場として大いに繁栄することとなるのです。
また、戦国時代。
兜の前立にした「上杉謙信」を筆頭に、「飯縄権現」は”戦勝の神”として当時の武将の間で流行しています。
それがためか、関東を支配していた北条家、続いて徳川家からも保護を受け、大きな勢力を持ったのでした。
めでたし、めでたし。


※神変堂

「飯縄権現」のおわす「飯縄権現堂」は修理などはありますが、享保十四年(1729)の建立。
その「飯縄権現」の眷属こそが「天狗」なのでした。
境内に「天狗像」がちらほらあったのは、それがため。
天狗伝説もあるようです。


※伝説だけでなく、こんなんもあります。て、天狗丼!?

大本堂は明治三十四年(1901)のもの。
他には「役小角(役行者)」を祀る「神変堂」などもあります。
ちゃんと二対の鬼、前鬼「妙童鬼(みょうどうき)」、後鬼「善童鬼(ぜんどうき)」がいましたよー。




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※そんな訳でキューピーも天狗でした。
 鞍馬…ですが。
 こちらは現地でゲットしてます。

非凡な嫡男・父の念願を果たす (村上義清6)

2011年04月03日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日が源氏の血を引く名門家の末裔「村上義清(むかかみ・よしきよ)※写真」のラストです。

信濃へ侵攻した甲斐の若き大将「武田晴信」
これに義清は上田原で大敗させたほか、戸石城攻防戦でも”戸石崩れ”という痛い敗戦を味あわせたのでした。
しかし、晴信に仕えていた「真田幸隆」は調略によって次々にその勢力を削ぎ、晴信念願の戸石城をも調略によってあっさり攻略。
こうした事態に動揺した北信濃の国人らは、こぞって村上方より鞍替えをしてしまうのです。
ついに葛尾城を支えられなくなった義清は、越後の龍「上杉謙信」を頼って落ち延びたのでした。

天文二十二年(1553)
葛尾城の落ちた数ヵ月後には、謙信の支援もあり八幡にて武田勢に勝利。
この時は葛尾城の奪回に成功しておりますが、反撃を受けて越後へと撤退しております。
さらに三カ月後、上杉の主力と共に信濃へと侵攻。
ここでは先鋒として出陣した義清は、布施での合戦に武田勢の先鋒を崩すなど活躍していました。
しかし、決戦を避けた武田勢がため、兵を退いています。
こちらが第一次の「川中島合戦」です。

武田・上杉が激突した「川中島合戦」には二度ほど従軍している義清。
しかし、結局望みは果たせなかったのです。

晩年はその庇護を受け、根知城を預けられて越後西浜地方を支配しておりました。
元亀元年(1573)にて越後・根知城で病死。
享年七十。
菩提寺は長野県埴科郡は「満泉寺」です。

上杉勢に属した嫡男「村上国清」
父と似て非凡な才を発揮し、信濃、越中などを転戦して活躍しています。
「上杉謙信」にも気に入られ、その側近となていました。
謙信に代わって書状を発行する要職を得たほか、越後の名族であった山浦上杉家を継いで「山浦国清」との名乗りになりました。
こうして、一門衆並みの厚遇を受けるのです。
なお、上洛から急遽沈黙した「武田晴信」について疑問を持ち、その死を謙信まで伝えたのも国清であったようです。
相続争い「御館の乱」でも、判断良く「上杉景勝」を支持して勝利に貢献。
その一字を拝領して、「山浦景清」となったのです。

天文十年(1582)
この年には信濃四郡の代官として「海津城」を与えられ、父の念願だった信濃復帰を果たしております
(※後に越後へ帰還してますが)
さらに、徳川家との外交交渉にも尽力。
後の「小田原城合戦」でも「上杉景勝」と共に従軍し、こちらでは先鋒を任されています。
謙信に続き、よく景勝を補佐しておりました。

なお、上杉勢として活躍する彼の陣中へ手紙を出していた義清。
”家臣を自らの分身とし、人の扱いには留意するよう…”
そうした内容であったようです。
息子の活躍に満足しているという書状もあり、武田勢を駆逐した猛将の優しい一面が垣間見えます。
調略によって崩されるあたりを含め、おそらくこの方は単純にイイ人だったのではないでしょうか。




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※あまり関係ないですが。
 この信長かっこえーですね。