お寺さんぽ Ver.03

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石田三成墓所 三玄院 (京都) <続編>

2006年01月27日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日も拝観謝絶の三玄院です。
塀越しに拝むことしかできませんのでファンの方はくれぐれも気をつけて。

日本歴史上、最も好きな石田三成さまについて補足をば。
彼の性格を言葉で表現すると「正義の味方」なんです。
三成の正義というのは、自分を取り立ててくれた豊臣家の安泰。
彼はそれを実現するため、全身全霊をかけてつくしました。

「質素な生活」
三成は豊臣政権下では秘書官的な役割で辣腕をふるっていましたから、
「さぞかし豪勢な生活をしているだろう」
関ヶ原合戦後に東軍の諸将はそう目論見、居城である佐和山城を攻め立てました。
ところが城内はいたって質素で財宝などの類はいっさいなく、驚いたと言います。
三成は常々、
「禄(今で言う給与ですね)を蓄えるのも、不足するほど使ってしまうのも悪である」
…というような事を言っておりました。
そのまま実行していたんです。そんな人です。

「武功と気概」
小田原合戦での失態で戦ではマイナス面が目立つ三成さま。
あまり知られていませんが、有名な賤ヶ岳合戦で七本槍に次ぐ軍功を上げているんです。
(ちなみに親友の大谷吉継もここで手柄を立てています)
後の批評では臆病で卑怯者だの、虎の威を借る狐だの散々言われてますが、
実際は戦いでも政治でも実に勇気ある人なんです。
おそらく普段は冷静でも、気性は激しい方であったのでは、と思います。
勇気を示すなによりの証拠としては、当時の大大名である徳川家康に対して
一歩も(気持ちでは)引かなかっただけでなく、実際に戦を仕掛けていることで
証明できると思います。
「殿に国を進呈するのは三成以外にいません」
それは家康軍師の本多正信にその気概を逆利用されてしまうほどだったんですね。

自分の信じたものに物凄く正直で真面目な反面、堅物で融通が利かない、と。
正しいものは正しく、間違ったものは間違い。
そんな当たり前のことを思ってるだけでなくて、口と行動に出してしまう人。
理解する者には好かれますが、「いいじゃん、ちょっとまけてよー」という
タイプには、おそらく邪魔臭い奴だったんではないでしょうか。

今で言う学級委員長タイプな三成さま。
彼の死後、大阪城内が荒れたと言います。
きっと細かいことまで指摘し、あるいは自分で正していたのでしょうねぇ。

そんな三成さまが今度ゲーム(↓)で大暴れするようです。
……???!!!
え、ええ、勿論買いますとも!

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
疑問 (通りすがり)
2006-01-27 02:13:55
光成って三成の間違い?
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うっかり (ひでる)
2006-01-27 08:49:23
おさまりがあまりにも良かったのでうっかりしました。

ご指摘の通りでございます。ありがとうございます。

(写真にも書いてあるのにねー)

慌てて修正しました。

返信する
失礼しました。 (京都検定ブログ人)
2006-01-27 11:40:26
こんにちは。通りすがりで記入した京都検定ブログ人です。はじめまして。いきなり指摘して失礼しました。京都検定に関するブログを書いています。寺ってほんといいですね。

ではー。
返信する
とんでもないです (ひでる)
2006-01-28 01:10:41
いえ、知らぬは一生の恥と言います。

正直、ご指摘頂くまで、疑いもしなかったんです。

ほんとうに助かりました。

都検定ブログ人さん、のサイトにも遊びにいかさせて頂きました。

ちょっと新鮮な驚きでした。

ああいったブログの書き方もあるんですねぇ。



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